花言葉

「山城、しっかりしろ!」と冴島は、震える声で叫んだ。目の前に横たわる山城の身体からは、止めどなく血が流れ続けている。



 警部が息を切らしながら駆け寄り、声を張り上げる。



「冴島、救急車が到着したぞ!」



 すぐに救急隊員がストレッチャーを持って現れ、迅速に山城を運び込む。



「山城、死ぬなよ、絶対に死ぬな」と、自分に言い聞かせるように囁いた。



「冴島! お前は山城に付き添え! 犯人の連行は俺に任せろ!」警部が厳しい声で命令する。



 救急車の中では、緊迫した空気が張り詰めていた。



「患者の怪我は背中。刃物による刺し傷」「血液は足りるか?」「問題ないが、早急に手術が必要だ」



 その言葉一つ一つが、冴島の不安を煽る。



「山城、安心しろ。絶対助かるからな!」冴島は必死に言葉を紡ぎ、彼女に勇気を与えようとした。しかし、山城は薄れゆく意識の中でも、彼を気遣うように微かに笑みを浮かべた。



「先輩、心配しないでください。私、タフですから」山城は力を振り絞って言う。





 数時間後、病院の待合室で、警部は冴島に問いかけた。



「それで、山城の状況はどうだ?」冴島は疲れ切った表情で顔を上げ、かすかに笑みを見せた。



「警部、安心してください。医者が言うには、致命傷ではないそうです。時間はかかるかもしれませんが、山城は助かるとのことです」



 警部はその報告を聞き、重い身体を椅子に預けた。



「そうか、それならよかった……」





 数日後。冴島は山城が入院している病院に見舞いにやって来た。



 病院に入ると、受付で「山城の見舞いに来たのですが、病室はどちらでしょうか?」と訊ねる。受付の女性はカルテを確認し、「山城さんですね。605号室です」と落ち着いた声で案内した。



 冴島はエレベーターに乗りながら、どう声をかけるべきか考え込んでいた。単純に「ありがとう」だけでは済まない気がしていた。チンという音とともに、エレベーターが6階に止まる。



「605号室はこっちか」と彼は呟きながら廊下を歩き、目当ての部屋の前に立つ。深く息を吸い、覚悟を決めてノックした。



「どうぞ」という山城の返事が部屋の中から聞こえる。そのいつもと変わらない声に、冴島は少し安心した。



「あ、先輩でしたか。もしかして、罪悪感でお見舞いに来ましたか? 別に気にしなくてもいいのに」と山城は冗談交じりに言う。



「それもあるが、俺は教育係だ。部下の心配をするのは、当たり前だろ?」



「へえ、先輩に自覚があってホッとしましたよ」と山城は薄く笑みを浮かべ、いつものように軽く冴島をからかう。



「それで、怪我の具合はどうだ?」



「医者からは一ヶ月ほど安静にするように、と言われています」



「焦るなよ。しっかり治すのが先決だ」



「それよりも、先輩をかばったせいで傷物になっちゃいました。責任とってくださいよね!」



 山城が冗談交じりにそう言った瞬間、冴島は一瞬言葉を失った。彼女の軽口が予想外だったが、どこか照れくさい気持ちもあった。



「先輩、後ろに隠しているのは何ですか? 定番の果物とかですか?」



「いや、花だ」



 冴島は後ろに隠していた花束を渡す。それは、クロユリの花束だった。花言葉は「恋」。赤いバラも考えたが、直接的すぎてやめにした。



「クロユリですか。先輩、センスないですね。花言葉を検索しますか」と山城はスマホを取り出す。



「『復讐』。え、復讐!? それに『呪い』!? 先輩、私が死ねばいいと思ってませんか?」山城の言葉は刺々しい。



「いや、他にも花言葉があって……」と、冴島は言いかけるが、山城によって遮られる。



「先輩、帰ってください。顔を見たくもありません!」



「悪かった。すぐに退散するよ。早く現場に戻ってこいよ」と言い残して、冴島は病室を後にした。



 扉を閉める前、山城が何か小さく呟くのが聞こえた。



「もしかして、クロユリのもう一つの花言葉の……いや、そんなわけないか」





 事件から数日間、冴島は悩んでいた。自らが考えもせず関係者を庇ったせいで、山城が傷をおったことで。



「佐々木先輩なら、どう考えますか? 自分のせいで他人が傷ついたら」



 佐々木はいつになく厳しい表情をすると、「俺なら気にしないな」と持論を展開する。



「俺たちは刑事で、危険とは常に隣り合わせだ。今回、冴島の行動で山城はけがしたが、それはお前が一般人をかばった結果だ。刑事として正しい判断をしたんだ。気にしすぎるな」



 冴島は佐々木の先輩としての助言に救われる思いだった。自信を取り戻した時だった。鍵山が会話の輪に加わったのは。彼は鋭い視線でにらむとこう言った。「やはり、俺が教育係になるべきだったな」と。その言葉で三人の間に緊張した空気が漂いだした。



「冴島、単独行動はお前の十八番だ。人を指導する器じゃないんだよ」鍵山の言葉は鋭い刃物のように冴島の心に刺さった。



「おい、鍵山。言いすぎだ!」と、佐々木が止めるが鍵山は責めて立てることをやまなかった。



「冴島は責任をとるべきだ。一人の行動で貴重な人材が戦線離脱したんだ。お前は今後も捜査一課のチームプレーを乱すに違いない。辞表をだしたらどうだ?」鍵山はそう言い終えると冴島の肩を殴りつけた。



 佐々木と鍵山の考えは正反対だが、二人とも自分の信念に従っている。冴島は自身がどうすべきか、深く考えた末に、一つの結論に達した。





「やはり、そうきたか。責任感の強い君のことだから、もしやと思っていたが」



 冴島の持つ辞表を見て、警部はため息をついた。



「私としては君に残ってもらいたい。密室の謎を解いたように、素晴らしい知識と分析力がある。チームプレーはゆっくりと身につければいい。そう焦るな」



「警部の評価は嬉しいです。でも、チームプレーは苦手なんです。それに、自分の行動で誰かが傷つくのを見るのは耐えられません」



 冴島がデスクに辞表を置くと、警部はそれ以上言葉をかけることはなかった。

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