クロユリの花束を君に

雨宮 徹

謎を呼ぶ黒いバラ

 警視庁捜査一課の一室。冴島さえじま涼太りょうたはコーヒーを片手に捜査資料に目を通していた。



鍵山かぎやま、例のヤマ、どうなっている?」



「警部! 二人にまで絞り込みできています」鍵山は手元の書類の束を渡す。



「鍵山の奴、また手柄をあげそうだぞ! おい、冴島はどうなんだ?」冴島の先輩である佐々木が肩を叩く。



「いや、どうって言われても、今追っているヤマがないですからね」



「そうだったな。『冴えない』から冴島だったな。冴えないやつに事件を任せるほど、警部も馬鹿じゃないからな」



 冴島には分かっている。捜査一課に立ちこめる重い空気を吹き飛ばすべく、佐々木が冗談で言っていることを。



「ちょっと、その言い方はないんじゃないんですか? それ、パワハラですよ」と山城やましろが諌める。彼女は冴島の後輩だ。つまり、後輩が先輩をかばっているわけだ。普通は逆だろうが、これが捜査一課の日常だ。



 そんなやりとりをしていると、デスクの電話が鳴る。



「はい、こちら警視庁捜査一課。はい……かしこまりました」



 山城は電話を置くと、警部に「都内で変死体が見つかったそうです」と報告する。警部は考えることなく、「冴島くん、手空いてるだろ? 行ってくれんかね。山城、お前は冴島が独断専行しないようにピッタリくっついていろ」と指示をする。



「ちょっと待ってください。警部、私は冴島先輩のお守りではないですよ! 勘弁してくださいよ……」山城が大きくため息をつく。



「そんな嫌な顔しないでくれよ。俺だって一人の方が好きなんだ。山城の教育は鍵山に任せればいいでしょう? あいつの方が有能ですから」



 冴島はジョークのつもりで言ったのだが、佐々木は「そうだ、そうだ」とばかりに首を縦に振っている。山城がジロっとにらむと、佐々木はおとなしくなる。



「ゴホン、ともかく冴島、山城の両名は現場に急行するように!」





 冴島は助手席に座り、窓の外をぼんやりと眺めていた。しかし、隣の山城の不機嫌な顔が気になって仕方がなかった。



「冴島先輩、どうしていつも独断専行なんですか。私を巻き込むのは勘弁して欲しいですよ!」



「やっちゃん、それが俺のやり方だ。気にするな」



「その呼び方、やめてくださいって何度言えばわかるんですか!」山城の苛立ちが伝わってくるが、冴島は気にしない。



 だが、不意に山城の口調が変わった。



「でも、実は思うんですけど、冴えないから冴島じゃなくて、『冴えすぎる』から冴島なんじゃないですか?」



 冴島は驚いて彼女の顔を見た。いつもは冷静で、あまり冗談を言わない山城が、そんな言葉を口にするとは思ってもみなかった。後輩としてだけでなく、異性としても意識している山城の言葉に冴島は少し照れくさくなった。



「独断専行は許せませんが、捜査への情熱は本物ですからね。だからこそ、もっとチームプレーを大事にしてほしいんですよ」山城の声は真剣だ。



 冴島は小さく笑いながら、「お前は真面目だな、やっちゃん。でも、チームプレーは俺に向いてないさ」とだけ答えた。





 到着した現場は、築四十年以上は経っていそうな古い一軒家だった。庭先に立っているのは二人の男女。見た目からして一般人だろう、彼らは明らかに動揺しており、声が震えていた。



「刑事さん、こっちです!」と手を振る男の声が、家の中へと導く。



「さあ、どいてくれ」冴島は手をかざして二人の間を通り過ぎる。家に入る途中、背中から「現場はリビングです」と女性の声が聞こえる。



「山城、リビングだ! 二手に分かれて調べよう」と、冴島は指示を飛ばし、廊下を進んだ。奥に進むと、やがてリビングにたどり着く。そこには、不可解な光景が広がっていた。



 リビングの中央には、一人の男性が倒れていた。彼の周囲には黒いバラが散りばめられており、開いた窓から吹き込む風が花びらを舞い上がらせていた。



「山城、こっちだ!」と呼びつつ分析をする。



 遺体の口元には血が滲み、これは毒殺の可能性が高いと直感する。もしくは、被害者自身が服毒したのかもしれない。山城が駆け付け、事態の異常さに息を呑むものの、すぐに冷静さを取り戻す。



「付近を封鎖します」と、山城は再び現場を離れて指示を出しに行った。



 冴島は室内の状況をさらに確認する。窓は少しだけ開いており、部屋全体は冷房で冷たく包まれていた。



「窓が開いている以上、外部犯の可能性が高いな……」と、つぶやきながら窓辺に近づき、外を覗き込んだ。だが、花壇には人が歩いた跡は一切残っていなかった。



「妙だな」



 想定外の状況に、冴島は戸惑いを覚える。玄関に戻り、ドアノブを確認すると、ピッキングされた痕跡も見当たらない。



 冴島は二人の目撃者に向き直り、質問を投げかける。



「ここに着いたとき、ドアはどうなっていた? 開いていたのか?」



「閉まっていました。でも、カギはかかっていませんでした」女性が少し怯えながら答える。



「閉まっていたが、カギはかかっていなかった……?」冴島は繰り返す。



「ともかく、応援が来るまで何にも触れないでくれ。君たちは第一発見者であると同時に、容疑者でもあるんだからな」



 数分後、現場に到着した警部が状況を把握すると、静かに口を開いた。



「これは……一種の密室殺人だな」



 冴島もその見立てに同意する。カギはかかっていないが、扉はしっかりと閉められていた空間。そして窓は少しだけ開いていたが、外に犯人の足跡はない。そして、リビングに倒れていた被害者。その周囲に散りばめられていた黒いバラが、さらに謎を深めていた。



「冴島、どうだ? 何か見落としていないか?」



「いえ、窓が開いているのに外には痕跡がないです。内部犯の可能性も捨てきれないですが……」



 その時、鑑識班が到着し、現場の詳細を報告してきた。



「死因はどうやら毒です。遺体からも毒物反応が出ています」



 毒殺か、それとも服毒自殺か。まだ結論を出すには早いが、刑事としての直感は、これは他殺だと告げていた。



「先輩、黒いバラの花言葉をご存じですか?」と、山城がスマホを操作しながら訊ねてきた。



「いや、知らないな」



「どうやら『恨み』を意味するそうです」



 冴島は静かに考え込んだ。この黒いバラは、単なる偶然ではない。被害者が何か深い恨みを買っていたのか、それとも……。冴島は感じ取った。この事件が一筋縄ではいかない予感を。

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クロユリの花束を君に 雨宮 徹 @AmemiyaTooru1993

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