第39話:地下7階2

「一休みしたいところだが、ここは駄目だな、先に行こう」

仕方がないが、また手すり越しに何かが見えては休めない。進むしかなかった。通路はその手すりで左に折れ、またすぐに右に折れてしばらく進むと部屋へと行き着いた。部屋に近づこうとせずに足を止めたフリアが何を見ているのか。

カサコソ、カサコソ、と何かがはい回るような音が、コツコツ、コツコツ、と何かが床をたたくような音が、していた。

どうした、と聞くまでもなかった。何かいる。音は軽く小さい。大きい物ではない。だが何かがそこを動き回っている。

フリアに追いつき部屋の中を見ると、それが何かはすぐに分かった。足が歩き回っていた。いや、足ではない。手だ、手がはい回っているのだ。それは人の手のようだった。手首よりも少し上辺りで折れたのか、骨が見えている。そしてずれたかのようにしわを作った皮膚が何層かの節を作ってちょうど手首の曲がるところに丸まっていた。

手首から先を床につけて押すような形で、だが肝心の腕がなく、体がなくなったような状態で、指を器用に動かしてはい回っている。爪を立てて床をたたいている。そんな手首が全部で5つ。部屋のあちらこちらにいた。

「何だこれ、こえーよ」

クリストの感想が正解なのかもしれなかった。単に手首だけが動き回っていて、武器を持っているようにも見えない。これだけならばさほど脅威ではないだろうが、単純にこの場の雰囲気が恐ろしかった。

「‥‥宝箱が真ん中にある、入るしかないのかも」

ようやく復活したフリアが言う。確かに部屋の中央には宝箱が置かれている。

「お、右側、手すりになっているじゃないか。こいつらはすくい上げて吹き抜けに投げ込むか」

「ああ、それがいいな。盾を使えば簡単だろう。やるか」

エディが盾を裏返すと部屋へ入るために前へと出る。

「あ、あ、待って待って」

それをフリアが慌てて止め、そして上を指さした。

「ん? 何かあるのか?」

エディとクリストがそろって部屋の天井を方を見上げた。

「うん? 特に何も――」

「あ? 石組みじゃないのか? 何だ?」

「――あー、もしかしてあれか、ダークマントル。もしかしてこの部屋全部か」

ダークマントルは自ら作り出した闇の中で天井に潜み、下を通る獲物に襲いかかるという魔物だ。イカかクラゲかというような見た目をしているが、天井に張り付いて動かなければ魔物がいるようには見えないという生態をしている。

この部屋の天井を覆い尽くす数がいるのなら数は5や6では済まないかもしれなかった。

「これは、まともにやるのは面倒すぎる。フェリクス、ファイアーボール頼む」

部屋の中にいるのだダークマントルも手首もまとめて吹き飛ばした方が早い。

うなずいてフェリクスが魔法を用意する。

「ファイアー・ボール!」

巨大な火球が部屋の中へと飛び込んでいった。爆発のような音とともに部屋の中央付近で炎の渦が作られ、魔物が次々と巻き込まれていく。

あっという間に炎が飲み込み、そしてあっという間に炎は消えた。

静けさの戻った部屋の中にすでに手首は一つも残っておらず、イカのようなクラゲのような形をした魔物が床に折り重なるように落ちていた。

「やっぱりこれだよな。魔石はどこにあるんだ? ああ、頭の中か、これだけは一応もらっておくか。で、死体は吹き抜けに放り込もう」

エディとクリストは部屋に入ると床に落ちていたダークマントルの死体から魔石を回収すると、そのまま吹き抜けに放り投げていった。

数は全部で6体だった。手首は跡も残さず消し飛んでいるがそれはいいだろう。

「たっからばこはー、鍵なし、罠、これはもう知ってる、ダーツ、開けるよ」

部屋の中央の宝箱はファイアーボールに傷一つ付けられることもなく、そのまま部屋の中央にあった。

フリアが罠を解除して蓋を開けると、中からは見覚えのある薬瓶が出てきた。

「ポーションだね。オレンジ色、これは初めて? ん? 上の方に煙みたいなガスみたいなのがたまっているね」

相変わらず用途不明なポーションを出してくるのが好きなようで、これも見ただけでは何なのかまったく分からなかった。

「なあ、ここから見ると、左の方、向こうと、こっちと、どちらにも手すりが見えるぞ」

吹き抜けを眺めていたエディが言うように、この部屋の手すり越しに左側を見ると、この手すりと同じ壁沿いに左手と、そして左前方と、両方に手すりが見えていた。そしてその向こう側にもずっと広く吹き抜けは続いている。

「これはかなり広いな。この階はあれか、この吹き抜けに沿って両側に広がっているってことでいいのか?」

今までのような小さなエリアを組み合わせるのではなく、吹き抜けの左右で大きく二つに分けてあるとも考えられた。

そうなると今探索しているこのエリアに階段がなければ、相当な範囲を探索しなければならない可能性もあった。


吹き抜け沿いの通路は探索を終えた。次は階段を下りたところから続いていた通路へ戻って、調べていない扉の先だ。

だが吹き抜けに沿って戻ってくる途中で向こう側、階段下の通路に沿って伸びる通路をその階段の方へ向かって遠ざかっていく魔物の姿が見えた。

「‥‥オーク。1体かな?」

「さっき倒したところだよな、まさかこのタイミングで復活したのか?」

別の場所から移動してきたオークならばまだいい。問題は倒したオークがすでに復活していた場合だ。今まで通路上で倒した魔物がまたその通路を通った時に復活していたということはなかった。

「これは調整が入ったってことでいいのかもな」

「それにしても復活が早くないか。2階以降は一度通ったところは安全だったんだがな。これからはそういうわけにはいかないようだ」オークは遠ざかって行きすでに姿は見えない。その間にフリアが手近な扉を調べていた。

「鍵なし、罠なし、これはたぶんグールがいる。と、もう1体かな? いるね」

「グールか、それともう1体はグールよりは小さいんだな? よし、さっさと片付けよう。グールは俺とエディ、もう1体はフェリクス。カリーナとフリアはフォロー頼む」

方針を決めると扉を開ける。部屋の奥にグール、そして左側にもう1体、グールよりは小さめの人型の魔物がいた。

「ゾンビ!」

真っ先に部屋に踏み込んだエディが確認、そのままゾンビは無視してグールへと迫る。

「ファイアー・ボルト!」

そのゾンビにフェリクスの炎の矢が迫る。

斧を正面に向けて構え、前面には盾を構えたエディがグールへそのまま突進した。斧が脇腹をえぐるように突き刺さり、盾が振り上げられた腕を受け止める。

その空いた腕の下の横腹にはクリストがすでに迫っていて、その剣が真っすぐに突き入れられ、そこから切り開くようにして振り回される。

こういう攻撃手段の少ない魔物には長物を構えたエディの突進は良く効くようだ。瞬く間に倒されたグールがその場に崩れ落ちた。

ゾンビはと振り返れば、すでに炎に勝てずに崩れ落ちた後だった。

「よし、こんなもんだな。この部屋は何もないな? よし」

扉も宝箱もなし、これ以上の長居は無用だった。魔石だけを手早く回収すると、通路の安全を確かめてから先へ進む。オークはまだこちらへ向かって戻っては来ていないようだった。

通路の先、行き止まりになっている扉を調べるためにフリアがしゃがみ込み、調べ始めたかと思うとすぐに手を止めた。

「今、音がした?」

「ん? そうか?」

首をかしげてもう一度調べ始めた時、今度ははっきりと音がした。

カリカリ、コリコリ。

扉から音がする。

カリカリ、コリコリ。

これは扉をひっかく音か。

カリカリ、コリコリ。

一度振り返ってからフリアが意を決したように音を無視して扉を調べる。

「鍵あり、罠なし、気配なし。いいかな?」

「開けてくれ」

剣を構えてクリストが答えると、フリアが扉を脇にどくように動きながら開け放った。

扉の向こうには何もいないし、音ももうしない。

「こういうの、止めてほしい」

フリアがため息をつくのも分かる。

どうにも嫌がらせのような仕掛けが多いエリアだった。

「そこに扉、正面ずっと通路。一応扉も調べていく」

そう言って扉に向かってフリアが踏み出した。

ケケケ

踏み出した足が止まる。

ケケケケ

どこかから笑い声が聞こえてくる。

カカカ、ヒヒヒヒ

近くはない、どこかここではない遠くの方から笑い声が聞こえてくる。

キ、ケケケケ

「こういうの、止めてほしい」

笑い声の中をフリアがそっと扉まで進む。

「鍵なし、罠なし、気配あり、うーん、ゾンビ! な気がする」

ケケケ、ヒヒヒ

「仕方がない、やるか」

気乗りはしなかった。どうしても笑い声が気になってしまう。後を行くカリーナが不安そうに周囲を見回していた。

扉に手を掛け、思い切り押し開けると、部屋の中にはゾンビが2体、うろうろと所在なげに歩き回っていた。その歩みが止まり、こちらを見る。目が合ったような気がした。

「ファイアー・ボルト!」

先手を取ったのはカリーナの魔法だった。一瞬遅れてエディとクリストも部屋に駆け込みそのままゾンビにたたきつけるように武器を振るう。それで戦闘は終わりだった。

「よし、いいな、この部屋も何もなし、次だ次」

カカカ、キケケ

笑い声に追い立てられるように先にある扉まで進み、フリアが調べようと扉に手をかけると。

コンコン

と音がした。

え? という顔をしてフリアが扉を見上げる。

コンコンコン

扉を向こう側からたたくノックの音だった。

フリアがどうしようという顔で後ろを振り返る。

ガタガタガタッ

突然扉が音を立てて揺れるように動いた。

フリアが慌てて立ち上がりあわてて下がる。だがそれ以上扉が動くことはなかった。

「ほんとう、こういうの止めてほしい」

もう一度フリアが扉を調べるために手をかけた。

コンコンコン

またノックの音がする。

「鍵なし、罠なし、気配あり。よく分かんない。たぶん何かいる」

「よし、分かった。落ち着いていこう。エディ。フェリクスとカリーナは魔法を」

エディが前に出て盾を構える。その隣でクリストが扉に手をかけ押し開けた。

キッと軽い音を立てて開かれたその向こうは部屋になっていて、右側奥の方に宝箱があった。だが気配ありといっていたが何もいない。

「いない、な?」

「あれ、でも何かいるような気がして」

「見えないってこともあるかもしれない、気をつけろ」

「‥‥待って、ディテクト・イーヴル」

カリーナ魔法を使って部屋の中を見回す。

「いる、そこ、宝箱の前辺り」

「マジック・ウェポン」

それを聞いたフェリクスがエディの斧に触れて魔法を使う。これでこの斧は魔法の武器としての効果を持つ。

「ふんっ」

エディが前に踏み出し主に宝箱の前の空間を狙って大きく斧を振り回す。威力よりも今は範囲が必要だった。

斧が通過した空間が揺らいだ。何かがいる。

「クリストも。マジック・ウェポン」

フェリクスが続けてクリストの剣にも魔法を使う。それを待って踏み出したクリストが揺らいだ辺りを狙ってこちらも大きく剣を振った。

ざあっと揺らいだ空気の塊のようなものが左へ流れながら色を濃くしていく。

「シャドウよ!」

それを見たカリーナが叫ぶ。シャドウは暗闇に潜む影の塊のような魔物だ。魔法の武器以外には強い耐性を持っている。

「ちっ!」

流れた影はクリストの左腕に絡まるような格好になっていた。だがこれで場所も確定する。そのまま腕を振るようにしてエディの前へと差し出すと、影の塊もそのまま引きずられるように動いていく。待ち構えているのは魔法の武器と化した斧だ。影に切り裂くように何度も斧を振ると、次第に影は薄くなっていき、ついにはパッと散るようにして消えていった。

「はあ、これでよし。ここでシャドウか。非物理の魔物ってのはここでは初か? さすがに面倒だな」

「大丈夫かい。腕を捕まれていたみたいだけど」

「ああ、どうかな、ちょっと待ってくれ。あー、振りにくい、か。これは何かもらったな」

剣を左手に持ち替えて振った感触が良くなかった。何かしらの悪い効果をもらったと考えた方がいいだろう。

「まあ効き側じゃないからな、少し様子を見よう。時間が解決するかもしれんしそうでなければ魔法か薬か」

「シャドウの弱体化は確か時間で直ると思うわよ。休憩した方がいいんじゃない?」

「ああ、そうなのか。あー、どうするかな。なあ、ここで休憩したいか?」

聞かれたフェリクスやカリーナが、あーという表情をする。どうにも雰囲気が良くなかった。扉をひっかく音、通路の笑い声、ノックの音。長居はしたくなかった。

「ねえ、宝箱」

気にしたフリアの声にようやく宝箱の存在に思い至る。どうにもここは雰囲気が良くない。注意力も散漫になってしまう。

「鍵なし、罠、ん? 何か引っかかるものがあるね、ここ押さえればいいのかな。ね、開けてみて」

近くにいたエディが蓋に手をかけ開けようと動かす。

バンッと大きな音をさせて蓋がそのまま箱からはずれて高く上がった。

キャーーーハハハハハハハハハハハッハハッハハハハハハ

甲高い笑い声が部屋中に響き渡る。

宝箱の蓋には大きなバネが付いていて箱につながっている。これで跳ね上がったのだろう。その蓋を見上げてぼうぜんとしていたフリアが箱の中をのぞき込んでから床に突っ伏す。

「‥‥何の意味もない仕掛けって何なの。意味のない浮いた板が入っているだけって何なの‥‥」

どうやら罠に見せかけた意味のない仕掛けだったらしい。蓋を開けようとしたところで跳ね上がるというものだったのだろう。その蓋を見つめてぼうぜんとしているのはエディも同じだった。

「‥‥なあ、中身は何だった?」

ようやく気を取り直したクリストが問うと、はっとした様子でエディが箱をのぞく。

「ネックレスか? なかなか凝った作りだが」

取り出した物は金鎖に5つの宝石が付いた飾りが下がったネックレスだった。装飾品としても十分な価値がありそうだった。

「‥‥何だか見たことがある気がするわね‥‥ディテクト・マジック‥‥ああやっぱり、それ魔道具よ。確か宝石1つに魔法1つ、封じてあるのよ」

「マジか、どんな魔法だ?」

「ヒーリングとかレストレーションとかだったかしら。ああ、ブレスもあったと思うわ」

「マジか、すごいんじゃないか」

「いい物よ。念のため持っておけば魔法を切らしても回復できるってことよ」

「‥‥よし、この部屋はもういいな? よし。引き上げよう。ここはもういい、十分だ。ひとまずは引き上げて休憩にする。それでこれは鑑定しておこう。保険になる」

正直に言ってしまえば疲労がたまっていた。

体力や魔力よりも精神力を削られている。戦闘自体はまだこなせるだろうし、探索も続ける体力はあったが、とにかく一度休みたかった。

「そうするか、どうもここは良くない」

エディも盾を杖のように床に付け、手を置いて息を吐く。

部屋を出て通路へ出ると再び笑い声が聞こえてきた。

ケーケケ、ヒヒ

カカカ、ケケケ

「‥‥もういいって‥‥」

ため息しか出ない。

そのまま通路を引き返し、開けたままにして置いたひっかく音のした扉を抜ける。そのまま進めば左手に吹き抜けが姿を見せ、そして遠くからオークがこちらに向かってくる姿を確認できた。

「ああ、何だこの安心感。オークには悪いがさっさと落とそう」

ため息が漏れる。ようやく嫌な場所を抜けた感じがしていた。

オークがこちらに気がつき、斧を振り上げて向かってくる。その斧に合わせるようにエディが盾をたたきつけると、オークの手から斧が飛び吹き抜けへと落ちていく。それをぼうぜんとした表情で見送ったオークの足元をクリストが切り裂く。体勢を崩したところへもう一度盾をたたきつけると、オークの上半身がぐらりと吹き抜けに向かって崩れた。クリストが剣を置いてオークの足を持ち上げると、悲しそうな顔をしたオークの体はそのまま手すりを乗り越えて吹き抜けへと落ちていった。

「はあ、何だろうなこの安心感。普通の魔物ってのはいいもんだ」

これで7階はひとまず終了だ。まだ大事なものは何も見つかってはいないが、今日はもういいだろう。階段を6階へ上がり、そして5階への階段を目指す。今回も通路上で魔物に出会うことはなく、すんなりと階段へたどり着くことができた。拠点まではもう魔物の出現もない。そこまで行って一休みとしよう。

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