第7話


 断れるはずがない。これは彼にとっても、千載一遇の機会なのだから。

 確信とわずかな優越感を味わいながら、ラヴィニアは相手の右手が差し出されるのをじっと静かに待ち続けた。


「副隊長! だめですってば!」

「放せ、もう聞いていられん!」


 すると部屋の外から、話し声が聞こえてくる。続いてバン! と扉が開け放たれ、大柄な男がのしのしと応接室に踏み入ってきた。

 年齢は二十代半ば程度。燃えるような赤銅色の髪に、みっしりと鍛え上げた体つき。容姿は人間の青年そのものだが、よく見れば頭上に高位魔族の象徴たる猛々しい角が生えている。

 さらにその腰元には、赤髪の男を引き止めようとしてずるずると引き摺られる、小柄な少年の姿もあった。こちらはまだ、十二かそこらの年頃に見える。


「閣下から離れろ、この毒婦め」


 男は少年を腰に巻きつけたまま、ルードベルトを庇うようにしてラヴィニアの前に立った。

 金色の瞳で激しく睨み下ろされるが、ラヴィニアは涼しげな表情のまま首を傾げた。


「あら、どちら様?」

「俺はナバル。アルハイム公国竜兵隊副隊長のナバルだ」

「竜兵隊……」


 その名前には覚えがあった。確か魔帝国が存在した時代、魔王直属の精鋭として猛威を奮ったという組織の名称である。

 だが九十八年前の敗戦後、アルハイム公国は軍事力を持つことを禁じられ、竜兵隊もアルハイム公の〝私兵〟という形に格を下げられてしまった。

 今の彼らの仕事は、アルハイム公の私的な護衛。そして周辺地域の警備巡回だ。


「ナバル。入室を許した覚えはないぞ」


 と、ルードベルトが鋭く咎める。次に彼は、ラバルの腰元にしがみつく少年に視線を落とした。


「それにアインも、一体何をしている。お前たち、人の会話を立ち聞きしていたのか」

「申し訳ございません!」


 アインと呼ばれた少年は、弾かれたようにナバルから体を離す。蜂蜜色の金髪頭が、床につきそうなほど勢いよく下げられた。


「決して盗み聞きをするつもりはなく! ただ、ご報告することがあってこちらに参りましたところ、お二人の会話が廊下にまで聞こえてきて……」

「公妃の座を寄越せと、聞くに耐えない妄言が耳に入ったので、つい」


「つい」と言いながら、ナバルには少しも悪びれる様子がない。

 彼は懐から芋を取り出すと、ルードベルトにポンと手渡した。


「……これは?」

「その女の侵入経路です、閣下」


 ふん、とナバルは鼻を鳴らす。


「厨房が仕入れた野菜の中に、注文書に記載のない芋の箱があるのを部下が発見しました。――この女、国外から仕入れた野菜に隠れてホテル内に侵入したようです」

「おやおや、それは……」


 ルードベルトは何か言いかけたが、紳士的な態度でもってその先の言葉を控えた。ただし魔性の美貌には、ほんのりと呆れの色が浮かんでいる。


「そんな方法で当ホテルの警備を突破したのですか。芋と一緒に密入国とは剛気な方だ」

「父に行方を悟られないようにする必要があったのよ」


 ここで恥じらいを見せたら負けである。つんとそっぽを向いてラヴィニアは答えた。

 父親への復讐を決意した直後、ラヴィニアは痕跡を一切残さず家を抜け出した。

 だがセオドアの監視の目は世界各地に張り巡らされている。父に察知されずに遠く離れたアルハイム公国にたどり着くには、非正規な道程を選択する必要があった。だからホテル・アルハイムと取引のある野菜商を調べ上げ、その荷の中に身を潜めたのである。

 結局、食品庫から這い出たところで警備員に見つかってしまったのだが、目的は果たせたのだから結果は上々と言えるだろう。


「イモ女の事情など知ったことか。閣下、この女は密入国者です。身柄は竜兵隊が預かりますので、処遇は我々にお任せください」

「悪いけど、いま彼と交渉している最中なの。口を挟まないでくださる?」

「交渉? 悪質な密入国者の妄言に付き合う暇など閣下にはない。お前なんぞ、芋箱に詰めて祖国に送り返してやる」


 二人の間に火花が飛び散る。両者互いに譲らず、剣呑な空気が辺りに漂った。


「ナバル」


 そこで釘を刺すかの如く、ルードベルトが口を開く。ただ名前を呼んだだけだが、先刻より一層冷ややかで、警告めいた響きだった。


「この方との話は終わっていない。退がれ」

「ですが閣下」


 無言のまま、ルードベルドはじっとナバルを見据える。

「これ以上言わせるな」と言わんばかりの圧に、はじめてナバルがたじろいだ。


「……承知いたしました」


 主人の静かな怒りに触れたナバルは、まだ不満げではあるものの、渋々と壁際へ立ち退いた。まるで言葉もなしに獅子を調教したかのような光景だった。


 ――勝った。


 ラヴィニアは心の中でほくそ笑む。

 ルードベルトの心は決まったようだ。だからこそ、彼は会話を中断させたナバルを退がらせたのだろう。


「ラヴィニア様、大変失礼しました」

「お気になさらず。主人想いの良い部下ね」


 こういう時は、寛容にあしらってやる方がより嫌味に聞こえるものである。案の定、ナバルは悔しげに歯を食いしばったが、ラヴィニアは気づかぬふりをした。


「それで、話の続きですが」

「ええ」

「誠に申し訳ございませんが、今回のお申し出はお受けできかねます」


 数秒のあいだ、ラヴィニアは硬直した。ややあって、彼女は椅子から勢いよく立ち上がる。


「待ちなさい! あなた、断るの⁉︎」


「はい」とルードベルトは申し訳なさそうにうなずいた。


「ラヴィニア様には、接客業のご経験がないようですから」


 接客業、未経験。

 思いもよらぬ理由に、ラヴィニアは空いた口が塞がらない。

 危険だからとか胡散臭いからだとか、そうした理由で提案を渋られる可能性は想定していた。だが接客未経験を理由に首を横に振られるとは、誰が予想できようか。


「まさか、それが公妃の条件だって言うの」

「はい。たとえ一時的であっても、私の妻になるということは、このホテルの女主人になるということ。となれば当然、私の代わりにお客様のおもてなしをお願いする機会もあるでしょう。それなのに、未経験者はちょっと」


 接客のことを何も知らない方に、大事なお客様をお任せすることはできませんから、とルードベルトは言う。


「それに現在、当ホテルから求人を出しているのは清掃部門だけ。私自身は伴侶を募集していないのです」

「募集って」

「お力になれず申し訳ございませんが、今回はご縁がなかったということで」

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