第6話



「――という経緯があって、私は悪役令嬢と呼ばれるようになったの」


 身の上話を長々と語ったあと、ラヴィニアはからりと軽い口調で締めくくった。


「まさか自分の父親が黒幕だったとは、夢にも思わなかったわ」

「心中、お察しいたします。ラヴィニア様のお噂は遠く離れたこの国にも届いておりましたが、そんな事情をお持ちだったとは」


 じっと話に耳を傾けていたルードベルトは、気の毒そうに眉を寄せる。腹の読めない青年であるが、声には憐れむような響きがこもっていた。


 ――まあ、私の詰めが甘かったのも悪いのだけど。


 そもそも、ラヴィニアがしっかりクリストフの心を掴んでいれば、彼がアンナとかいう女に転ぶことも、婚約破棄騒動が起きることもなかったのだ。

 張り切って裏工作に注力するあまり、肝心の王子への対応を疎かにしてしまった。これはラヴィニアの未熟が招いた結果とも言えるだろう。


「とにかく父は、自分の目的のため私という駒を使い捨てた。しかもそのことを、なんのためらいもなく教えてくれたわ。私がバースタイン家から離反することになっても、惜しくないと思ったのでしょうね」


 バースタイン家令嬢という価値を失った小娘など、お荷物以外の何物でもない。さっさと手放した方が得である、とセオドアが考えたとしても不思議ではなかった。


『目的のためなら、どんな悪事も迷わずやれ』


 それこそが、彼の信条なのだから。


「では。〝復讐したい相手〟というのは」

「もちろん、父よ」


 つとめて静かに答えるが、それでもわずかに声が震える。胸の内で怒りがふつふつと沸き立って、握りしめた拳に自然と力がこめられた。


「ここまでコケにされて、黙っていられるものですか。こうなったらとことん反抗して、私をボロ布のように捨てたことを後悔させてやる」

「左様ですか。ですが、それがどうして私と結婚するという話になるのでしょう」


 恐る恐る、腫れ物に触れるように問いかけられる。

 するとラヴィニアは吊り上げていたまなじりをふわりと緩めた。代わりににっこりと、それはそれは愛らしく微笑んでみせる。


「復讐にはお金がいるの。そしてお金を効率的に稼ぐには、信用と身分がいる。でも私には、そのどちらもが欠けている」


 いま思えば、新聞社にラヴィニアの記事をばらまかせたのもセオドアなのだろう。

 その結果〝悪役令嬢〟の顔と名前は広く知れ渡り、ラヴィニアは表立った活動ができなくなってしまった。彼女が一族を離反したとしても簡単には報復できないよう、あらかじめ無力化されたのだ。


「だから私は、社会的に安定した地位が欲しい。それも父の影響力が及ばない、祖国から遠く離れた土地のね」

「だから私と結婚したい、と。……少々、私を買い被りすぎですよ」


 私はただのホテル支配人ですから、とルードベルトは困ったように苦笑を滲ませる。

 だがラヴィニアは知っていた。


 彼は〝ルードベルト・ローデングリア・アルハイム〟。

 このホテル・アルハイムの総支配人であり、かつて人間たちを恐怖の底に陥れた魔王の直系たる、アルハイム大公家の現当主だ。

 大戦が終結し、魔帝国が崩壊して九十八年が経過した今も、その影響力は大国の王に比肩する。彼という夫を得れば、再びラヴィニアが成り上がることも不可能ではないだろう。


「ルードベルト。四年前に亡くなったお父君は、先代アルハイム公――あなたのお祖父様に相談せず、ずいぶんと大きな負債を作ってしまったそうね」


 唐突に切り出されて、ルードベルトの端正な顔がぴくりと凍りついた。同時に、部屋の空気も張りつめたものに変わっていく。

 彼にとって、あまり触れられたくない話題であることは明白だった。


「そこまでご存知だとは。お恥ずかしい限りです」

「大変ね。ルボワ共和国の極悪高利貸し、ペレグリックにもかなりの額を借りていると噂で聞いたわ」

「ご心配には及びません。現在は当ホテルの収益をはじめ、アルハイム公国の経済は好転しておりますので」

「でも、すぐに返せるほどではないのでしょう」 


 だからあなたを選んだの。

 ――という台詞は飲み込んで、ラヴィニアは懐に忍ばせていた封筒を取り出した。


「これをどうぞ。私の結婚持参金よ」

「持参金?」


 警戒を帯びたまま、ルードベルトは差し出された紙を慎重な手つきで受け取った。

 中には折り畳まれた紙が一枚のみ。持参金と表現するにはあまりに貧相な代物である。だが文書を開いて読み進めるうち、彼の瞳が見開かれてゆくのをラヴィニアは見逃さなかった。


「これは、ペレグリック卿の逮捕令状……?」

「の、写しよ。国家反逆罪の容疑ですって」


 驚くルードベルトを満足げに眺めながら、ラヴィニアはゆったりと足を組み替える。


「ペレグリックときたら、貴族や有力者だけでなく、反社会勢力や犯罪組織にも見境なくお金を貸していたみたい。それをどこかの誰かが密告した結果、国から目をつけられることになったんですって」

「彼は捕まったのですか」

「ええ。今頃、厳しい取り調べを受けていると思うわ。良かったわね。もし反逆罪が確定したら、ペレグリックの私財はすべて凍結される。当然、彼があちこちに貸していたお金を取り立てることもできなくなるわ」


 ルードベルトは何かを言いかけた。だがふと長いまつ毛を思案するように伏せ、「なるほど」と小さく呟く。


「ペレグリック卿の悪事を密告した〝どこかの誰か〟とはあなたのことですか」


 言葉は返さずに、ラヴィニアはいたずらっぽく口角を上げた。

 ここからが、正念場だった。


「どう。私が用意した持参金はお気に召したかしら?」

「確かに、ペレグリック卿への返済義務がなくなったら、アルハイムの負債は大きく減ることになりますね。ですが、これで私が結婚をお断りしたら、あなたが損をするだけでは?」

「残念ながら、それはないわ」


 ふふふ、と邪悪な笑みが口から零れる。幼い頃から「その笑い方はやめなさい」と言われ続けた悪い癖だが、これだけは止めることができなかった。


「実を言うと、私が流した情報は不完全なの。今のままだと、ペレグリックは証拠が足りず釈放される可能性が極めて高いわ」

「ふむ。そしてあなたの手には、ペレグリック卿を追い詰める決定的な証拠があるということですか」 

「ご名答ね」


 ペレグリックを生かすも殺すもラヴィニア次第。彼女の気まぐれ一つで、ルードベルトの借金も桁が一つ変わるのである。


「もし私の提案を受けてくれるなら、証拠はお渡しするわ。脅しのような形になって心苦しいけど……これで、わかったでしょう」


 ラヴィニアは身を乗り出して、無遠慮にルードベルトの顔を覗き込む。紫水晶の瞳に、くっきりと〝悪役令嬢〟の姿が映った。


「三年でいい。私を公妃にして。私の力があれば、残りの負債も簡単に帳消しにできる。そうすれば、あなたは一つでも二つでも、好きにホテルを経営できるわ」

「三年で帳消し、ですか。ずいぶんと大きく出ましたね」

「一時的とはいえ、公妃の座をよこせと言っているのだもの。これくらいの利益はお約束すべきでしょう」


 当然のごとく言ってのけると、ラヴィニアは右手をルードベルトに差し伸べる。嵌められたままの鉄枷が、再びかちゃりと音を鳴らした。


「改めて言うわ。ルードベルト、私と手を組みましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る