22
戦いは一時間にも及んだ。
無限にも思えた激闘の果てに、ついにボスモンスターがその巨体を四散させた時も、
終わった──の……?
ああ──終わった──
その思考のやりとりを最後に、俺とアスナの《接続》も切れたようだった。不意に全身を重い疲労感が
二人とも生き残った──。そう思っても、手放しで喜べる状況ではない。あまりにも
「何人──やられた……?」
左のほうでがっくりとしゃがみこんでいたクラインが、顔を上げてかすれた声で聞いてきた。その
「──十四人、死んだ」
自分で数えておきながら信じることができない。
皆トップレベルの、歴戦のプレイヤーだった
「……うそだろ……」
エギルの声にも
ようやく四分の三──まだこの上に二十五層もあるのだ。何千のプレイヤーがいると言っても、最前線で真剣にクリアを目指しているのは数百人といったところだろう。一層ごとにこれだけの犠牲を出してしまえば、最後にラスボスと対面できるのはたった一人──というような事態にもなりかねない。
おそらくその場合は、残るのは間違いなくあの男だろう……。
俺は視線を部屋の奥に向けた。そこには、
無論彼も無傷ではなかった。視線を合わせてカーソルを表示させると、HPバーがかなり減少しているのが見て取れる。俺とアスナが二人がかりでどうにか防ぎ続けたあの巨大な
だが、
俺は、疲労で
言わば、
その
意識が一気に
ヒースクリフのあの視線、あの穏やかさ。あれは傷ついた仲間をいたわる表情ではない。彼は俺たちと同じ場所に立っているのではない。あれは、
それに、彼の
デスゲームのルールに
NPCでもなく一般のプレイヤーでもないならば、残る可能性は
いや、ある。今この
俺はヒースクリフのHPバーを見つめた。
俺とのデュエルの時、ヒースクリフの表情が動いたのは、HPが半分を割り込もうとしたその寸前だった。あれは、イエロー表示になることを恐れたのではないのだ。
そうではなく──おそらくは──。
俺はゆっくりと右手の剣を握り直した。ごく小さな動きで、徐々に右足を引いていく。腰をわずかに下げ、低空ダッシュの準備姿勢を取る。ヒースクリフは俺の動きに気付いていない。その
仮に予想がまったくの的外れなら、俺は犯罪者プレイヤーに転落し、
その時は……御免な……。
俺は
「キリト君……?」
アスナがハッとした表情で、声に出さず口だけを動かした。だがその時にはもう俺の右足は地面を
俺は、ヒースクリフとの
ペールブルーの
しかしその動きのクセを、
寸前で、目に見えぬ障壁に激突した。俺の腕に激しい
【Immortal Object】。不死存在。か弱き有限の存在たる俺たちプレイヤーにはありえない属性。デュエルの時、ヒースクリフが恐れたのは、まさにこの神的保護が
「キリト君、何を──」
俺の突然の攻撃に、
俺は剣を引き、軽く後ろに跳んでヒースクリフとの間に
「システム的不死…? …って…どういうことですか…団長…?」
戸惑ったようなアスナの声に、ヒースクリフは答えなかった。厳しい表情でじっと俺を見据えている。俺は両手に剣を下げたまま、口を開いた。
「これが伝説の正体だ。この男のHPはどうあろうと
言葉を切り、上空をちらりと見やる。
「……この世界に来てからずっと疑問に思っていたことがあった……。あいつは今、どこから俺たちを観察し、世界を調整してるんだろう、ってな。でも俺は単純な真理を忘れていたよ。どんな子供でも知ってることさ」
俺は紅衣の
「《他人のやってるRPGを
ヒースクリフは無表情のままじっと俺に視線を向けている。周りのプレイヤーたちは皆身動きひとつしない。いや、できないのか。
俺の
「団長……本当……なんですか……?」
ヒースクリフはそれには答えず、小さく首をかしげると俺に向かって言葉を発した。
「……なぜ気付いたのか参考までに教えてもらえるかな……?」
「……最初におかしいと思ったのは例のデュエルの時だ。最後の
「やはりそうか。あれは私にとっても痛恨事だった。君の動きに圧倒されてついシステムのオーバーアシストを使ってしまった」
彼はゆっくり
「予定では攻略が九十五層に達するまでは明かさないつもりだったのだがな」
ゆっくりとプレイヤーたちを見回し、笑みの色合いを超然としたものに変え、紅衣の
「──確かに私は
「……
「なかなかいいシナリオだろう? 盛り上がったと思うが、まさかたかが四分の三地点で看破されてしまうとはな。……君はこの世界で最大の不確定因子だと思ってはいたが、ここまでとは」
このゲームの開発者にして一万人の精神を
「……最終的に私の前に立つのは君だと予想していた。全十種存在するユニークスキルのうち、《二刀流》スキルは
その時、凍りついたように動きを止めていたプレイヤーの一人がゆっくりと立ち上がった。血盟騎士団の幹部を務める男だ。
「貴様……貴様が……。俺たちの忠誠──希望を……よくも……よくも……」
巨大な
「よくも────ッ!!」
絶叫しながら地を
だが、茅場の動きのほうが一瞬速かった。左手を振り、出現したウインドウを素早く操作したかと思うと、男の体は空中で停止し次いで床に音を立てて落下した。HPバーにグリーンの枠が点滅している。
「あ……キリト君……っ」
振り向くと、アスナも地面に
俺は剣を背に収めると
「……どうするつもりだ。この場で全員殺して
「まさか。そんな
紅衣の男は微笑を浮かべたまま首を左右に振った。
「こうなってしまっては致し方ない。予定を早めて、私は最上層の《
茅場は言葉を切ると、圧倒的な意思力を感じさせるその
「キリト君、君には私の正体を看破した
その言葉を聞いた
「だめよキリト君……! あなたを排除する気だわ……。今は……今は引きましょう……!」
俺の理性も、その意見の正しさを認めていた。
だが。
奴は何と言った? 血盟騎士団を育ててきただと? きっと辿り着けるだと……?
「ふざけるな……」
俺の口から無意識のうちにかすかな声が
奴は、己の創造した世界に一万人の精神を閉じ込め、そのうち実に四千人の意識を電磁波によって焼却せしめるに
俺は、二十二層で聞いたアスナの過去を思い出していた。俺にすがって泣いた彼女の涙を思い出していた。世界創造の快感のためにアスナの心を何度も何度も傷つけ、血を流させたこの男を目の前にただ退くことがどうしてできるだろうか。
「いいだろう。決着をつけよう」
「キリト君っ…!」
アスナの悲痛な叫び声に、腕の中の彼女に視線を落とす。胸を
「ごめんな。ここで逃げるわけには……いかないんだ……」
アスナは何か言おうとして
「死ぬつもりじゃ……ないんだよね……?」
「ああ……。必ず勝つ。勝ってこの世界を終わらせる」
「
たとえ俺が負け、消滅しても、君だけは生きてくれ──。そう言いたかったが言えなかった。代わりに、アスナの右手を長く、固く握った。
手を
「キリト! やめろ……っ!」
「キリトーッ!」
声の方向を見ると、エギルとクラインが必死に体を起こそうとしながら叫んでいた。俺は連中に向きなおると、まずエギルと視線を合わせ、小さく頭を下げた。
「エギル。今まで、剣士クラスのサポート、サンキューな。知ってたぜ、お前が
目を見開く巨漢に微笑みかけてから、顔を少し動かす。
その深く
「クライン。…………あの時、お前を……置いていって、悪かった。ずっと、後悔していた」
たちまちのうちに
「て……てめえ! キリト! 謝ってんじゃねえ! 今謝るんじゃねえよ!! 許さねえぞ! ちゃんと向こうで、メシのひとつも
尚も
「
右手を持ち上げ、ぐっと親指を突き出す。
そして
泣き笑いの顔でこちらを見返すアスナに──。
俺は胸中で、すまない、と
「……悪いが、一つだけ
「何かな?」
「簡単に負けるつもりはないが、もし俺が死んだら──しばらくでいい、アスナが自殺できないように計らってほしい」
茅場は意外そうに片方の
「良かろう。彼女はセルムブルグから出られないように設定する」
「キリト君、だめだよーっ!! そんなの、そんなのないよ──っ!!」
俺の背後で、涙混じりのアスナの絶叫が
茅場が左手のウインドウを操作すると、俺と
次いで、奴の頭上に、【changed into mortal object】──不死属性を解除したというシステムメッセージが表示される。茅場はそこでウインドウを消去すると、床に突き立てた長剣を抜き、十字盾の後ろに構えた。
意識は冷たく
勝算は、実のところ何とも言えない。前回のデュエルでは、剣技に限れば奴より劣るという感触はなかった。だが奴の言う《オーバーアシスト》、あの、こちらが停止し奴だけが動けるというシステム介入技を使われればその限りではない。
俺と茅場の間の
「殺す……っ!!」
鋭い呼気と共に
遠い間合いから右手の剣を
金属がぶつかりあうその
それは、
俺はシステム上に設定された連続技を一切使わず、左右の剣を己の戦闘本能が命ずるままに振り続けた。当然システムのアシストは得られないが、限界まで加速された知覚に後押しされてか、両腕は通常時を軽く上回る速度で動く。自分の目にすら、残像によって剣が数本、数十本にも見えるほどだ。だが──。
茅場──ヒースクリフの
不意に、
俺が今相手にしているのは、四千もの人間を殺してのけた男なのだ。果たしてそんなことが、人にできるものだろうか。四千人の死、四千人の
「うおおおおおお!!」
心の奥に生まれた、ごく小さな恐怖のかけらを吹き飛ばそうとするように俺は絶叫した。
恐怖が
俺の心を疑念が
「くそぉっ……!」
ならば──これでどうだ──!
俺は攻撃を切り替え、二刀流最上位剣技《ジ・イクリプス》を放った。太陽コロナのごとく全方向から噴出した
──だが。茅場はそれを、俺がシステムに規定された連続技を出すのを待ち構えていたのだった。奴の
最初の攻撃数発を放った時点で、俺はミスを悟った。最後の最後で、自分のセンスではなく、システムに
剣の飛ぶ方向を予測してめまぐるしく動く茅場の十字盾に
ごめん──アスナ……。せめて君だけは──生きて──
二十七撃目の左突き攻撃が、十字盾の中心に命中し、火花を散らした。直後、硬質の悲鳴を上げて、俺の左手に握られた剣が砕け散った。
「さらばだ──キリト君」
動きの止まった俺の頭上に、茅場の長剣が高々と掲げられた。その刀身がクリムゾンの光を
その瞬間、俺の頭の中に、強く、激しく、声が
キリト君は──わたしが──守ってみせる!!
アスナ──なぜ──!?
システム的
のけぞるようにこちらに倒れるアスナに向かって、俺は必死に手を伸ばした。音も無く、俺の腕の中に彼女が崩れ落ちた。
アスナは、俺と視線が合うと、かすかに微笑した。そのHPバーが──消滅していた。
時間が停止した。
夕暮れ。草原。微風。少し冷たい。
二人並んで丘に座り、深い紺の上に夕陽の赤金色が溶けた湖を見下ろしている。
彼女がそっと手を握ってくる。肩に頭をもたれさせる。
雲が流れていく。ひとつ、ふたつ、星が
世界を染める色がすこしずつ変わっていくのを、二人でいつまでも飽かず見つめ続ける。
やがて、彼女が言う。
「すこし、眠くなっちゃった。
「ああ、いいよ。ゆっくりおやすみ──」
俺の腕に倒れ込んだアスナは、あの時と同じように、
アスナの全身が、少しずつ金色の
「うそだろ……アスナ……こんな……こんなの……」
震える声で
アスナの瞳から、はらりとひとつぶの涙が落ち、
ご め ん ね
さ よ な ら
ふわり──。
そして、そこにもう彼女はいなかった。
声にならぬ絶叫を上げながら、俺はその
こんなことが起きるはずがない。起きていいはずがない。はずがない。はずが──
崩れるように
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