第29話:中編 古龍眼の分析

「いかがですかアルフィーナ様」

「ありがとうヴィナルディア。ぴったりですね」

「では、この二枚を前後に……」

「少しひやっとします」


 衝立の後ろからアルフィーナとヴィナルディアの会話が聞こえる。ヴィナルディアがアルフィーナに着せているのは、コルセットを下に伸ばしたような物らしい。紫の魔力を反射したり波長を下げる魔力触媒で染めている。らしいというのは見せてくれなかったからだ。


 繊維だし、全てを被うと紫の魔力の制御に支障を来すことから、どうしても漏れが出てしまうようだ。それでも、アルフィーナを強い魔力波長から少しでも守る必要がある。


「まあ、私も出来る範囲で配慮するわ」


 メイティールがジト目で言った。俺は「頼む」と頭を下げる。


「これでいいの、ヴィンダー」


 ノエルが俺に一枚のメモとサイコロ大の黒い結晶を渡してくれる。小さく整形した負の魔結晶だ。メモには一組の数値が書かれている。マイクロピペットのネジの仕組で十分の一ミリレベルで正確に測った距離だ。


「深紅の方が強いのだから、これに関しては想定の範囲内よね。後は……」


 メイティールがメモを見て言った。その視線が衝立の後ろに向かう。


「ああ、実物を見ないことにははじまらないからな」


 俺はサイコロ大に削られた負の魔結晶をつまんでいった。丁度衝立の向こうからアルフィーナが出てくる。少なくとも一度、水晶とは対峙しないといけない。一次情報は大事だ。


◇◇


 俺達は本来ならもう二度と入りたくない場所、聖堂の奥にある水晶の間に来た。

「始めますねリカルドくん。一応言っておきますけれど。早まったことは駄目ですよ」


 水晶を睨んだ俺を見てアルフィーナが言った。


「……ちゃんとした理由もなく壊したりはしませんから」


 俺は手に持った負の魔結晶を引っ込めた。水晶から魔素を全部吸い出したら無力化出来ないか、なんて考えていない。わざわざ小さくした魔結晶を持ってきたのだ。そもそも、俺達は水晶の中に魔素があるかどうかすら知らない。それを確かめるのが今回の実験だ。


 もう一つの理由は水晶を用いたときにアルフィーナが受ける紫の魔力を、防護コルセットでどの程度防げるのかだ。


 正直やりたくないが、リスクをゼロにするということはできない。それはリスクを単に無視しているだけなのだ。つまり、無限大のリスクを負うことと同じだ。


 ならば、コントロール可能な状況の内にリスクを把握しておく。考えたくないが、今後水晶の予言の力が必要になる可能性も否定できない。


 アルフィーナが水晶に意識を集中する。禍々しい紫の光が立ち上る。事実を知ってからはなおさらあの光に見えてしかたがない。原理上は全く違うのは解っているんだが。


 俺は負の魔結晶を手に水晶に近づく。水晶まで後一歩のところに来て、ゆっくりと黒いキューブを水晶に近づけていく。


「えっ!?」


 すぐに異常を感じた。俺の手の方に微かに光が延びているのだ。そして、負の魔結晶が紫色に光る。同時に水晶の光が微かに陰った。


「リカルドくん」


 アルフィーナが水晶の力を弱める。俺は慌てて負の魔結晶を離した。一度暗くなった水晶がすぐに光を回復する。


「大丈夫みたいです」


 アルフィーナがほっとしたようにいった。水晶の機能は無事らしい。


 俺達は隣の控え室に移った。アルフィーナは俺に背を向けてコルセットから感魔板を取り出す。


 コルセットの外側に貼り付けた感魔板と内側に貼り付けた感魔板には感光にかなりの差があった。魔力触媒による防護は効果があるが、完全では無い。


 使用時間や防護布を交換する時間などの見当を付ける為のデータだ。そもそも、効果が強い魔結晶ほど劣化も早い傾向がある。


 次が予言の水晶の基本的性質だ。水晶にも魔結晶と同じく魔素が含まれていることが確認された。つまり、本質的には赤や深紅の魔結晶と同じと言うことだ。


 だが、違いもある。水晶の魔素は極めて強力であることが解った。アルフィーナが圧力を掛けた状態とは言え、水晶まで10センチ近くあった。負の魔結晶との間に魔素が流れうる距離は、深紅の魔結晶でも2ミリ程度、赤なら一ミリを切っているのだ。


 それにしても、魔力はどこから来てるんだ。水晶は長い間、形骸化した期間も多いとは言え、使用されている。紫の魔力を発生させると言うことは、水晶の魔素は紫以上の魔力によって励起されることになる。だが、それが観測されていない。情報と一緒に魔力が送られてくると考えられるが……。


 さっきの、魔素が負の魔結晶に流れた後のことも気になる。魔結晶の場合は魔力がなくなるだけじゃなく、充填すら不可能になる。だが、さっき水晶は光を一度減らした後回復した。膨大な魔素を含んでいるから誤差程度だったと言うことも考えられるが……。


 ちょっと調べただけでこれだ。


◇◇


「これまで無視してきたデーターも全部検討し直す」

 俺は書庫から持ち出した古代の伝承を積み上げて言った。前に調べたときに比べて災厄の魔獣に対する情報はかなり増えている。それを元に、資料の信頼性を再検討する。おとぎ話と切り捨てた部分も含めてだ。


「この伝承、八枚翅の竜と言う記述は最初は大げさと思ったんですけど……」


 俺は燃えさかる街の上を飛び回る竜の絵を指差した。前に見たときはドラゴンのブレスで燃えさかる街にしか見えなかった。今なら、炎は雷撃による火災だったと解る。羽の数もそうだ。昆虫なら手足とは別に4枚の羽根があるのは当たり前だ。


 恐らく、伝えられる間に事実と恐怖の象徴が交じったのだろう。


「ふむ、帝国に現れたつがいの様子を考えると、交尾中の二匹の姿を写した可能性があるか。となると、こちらの記述も無視できぬな」

「はい。この色に関する記述も何かを反映しているとしたら……。魔狼の場合はどうですか」

「うむ、前に言ったように魔狼の場合は確かに……」


 フルシーが魔狼の生態について講義してくれる。


「繋がりますね」


 俺は頷いた。


「検証が必要ですね。一つは王太子殿下にサンプルを要請するとして……」

「血の山脈の測定結果をもう一度確認せねばなるまい」

「なるほど。となると、ファビウス男爵にお願いする調査の検討しておかないと」


◇◇


 クレイグに頼んでいたものは翌日に届いた。戦利品として飾られていた物をかき集めてくれたらしい。イーリスで分析すると、すぐに結果が出た。二種類の魔結晶の間には違いがある。


「これを魔虫に適応するとすれば可能性が増すのう」

「でも、差は僅かよ。こうして解析してみて初めて解る程度」


 メイティールとフルシーが結果を前に考え込む。


「向こうは進化の時間的長さも環境も違うからな」


 こちらに来た時期は解らないが、地球では昆虫は哺乳類よりも古い。


「今よりずっと魔力の強い時代と言うことも考慮に入れなければいけない訳ね」

「ああ。……災厄の魔虫の想定に大きな見落としがある。そう考えたほうが無難だ」


 俺は結論を言った。後は現地の観測にゆだねよう。


◇◇


 城門の前には、北へ向かう軍団が勢揃いしていた。俺はまず騎士団の後方にある輜重部隊に向かった。そこには見慣れたメンバーが旅装で立っていた。


「すいません。本来なら俺が真っ先に行かないといけないのに」

「気にすんな。お得意様に商品を届けに行くだけだ」


 ダルガンが言った。ケンウェルが馬車に穀物を積み込むため外してること。プルラも次の隊でいくことも教えてもらう。


「リルカまで」

「……私も同じ。アルフィーナ様ばっかり危険な目を見させるわけにはいかないから。ただし、あんまりミーアに無茶させたら怒るからね。後、いくら心配でもヴィンダーも無理しちゃ駄目。それと、シェリーとヴィナルディアと……」

「あ、ああ。気をつけるよ」


 自分がいち早く危険な場所に行くのに、リルカの口からは仲間の名前ばかりが出る。


「王太子殿下」


 俺は隊列の先頭に移動した。騎士達が一斉に道を空ける。一人馬竜に乗るクレイグに声を掛けた。


「王太子殿下とは他人行儀だな。義弟おとうとよ」

「せめて義妹の婚約者でお願いします。言っておきますけど、アルフィーナと結婚しても王太子殿下は王太子殿下ですので」

「つれないことを。…………それで、あの件だな」


 クレイグは馬竜から下りると、声を低めた。


「はい、これが考えられる可能性です」


 俺はクレイグに紙を渡した。ファビウスに伝えて欲しいことが書いてある。血の山脈の魔力反応について注意して欲しいポイントだ。


 問題は対策だ。予言の告げる初夏までは最長でも一月も残っていない。

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