第10話:後半 贅沢の形

「では、私が準備した菓子をご賞味ください」


 ホットチョコレートへの賞賛が一回りしたタイミングで、アルフィーナが言った。リルカとシェリーの指示で侍女達がトレイの氷から皿を運んでいく。


 令嬢達は熱い視線で冷たい菓子を見る。先ほどまでの忌避感は無い。


 さっきから、何人かはハンカチを額に当てているし、ストールや膝掛けを壁際の侍女に預ける参加者も目立っていた。熱い紅茶を飲んでいた後に部屋が暖まったのだ。さらに追い打ちのホットチョコレートだからな。


 満場の視線に押されて、リーザベルトがアイスを一口食べ、口を覆った。それを合図に、参加者達は次々とスプーンを手に取る。


「まあ、何という口溶けと甘さでしょう」

「珍しい香りですけれどすっきりとした風味ですね」

「上に掛かった黒いジャム。甘さが素晴らしいですわよ」


 アルフィーナの菓子に歓声が上がる。黒でそろえる趣向だと勘違いしている人間もいるかもしれない。そう思ってくれれば丁度良い。


「このお菓子はどういう物ですの? 口当たりと良い、香りと良いすばらしいですわ。それに、この上に乗った黒いジャムが相まって。どれも味わったことがないのですが」


 青いドレスの令嬢が質問した。


「は、はい。氷菓子はクリームと牛乳を氷で固めたものとなります」

「……緑の色はハーブの色でございます。黒いジャムは、見て頂ければ分るかと思いますが、豆を砂糖で煮込んだ物です。特別な砂糖を使い甘さを特に引き上げております」

「まあ、これは豆のジャムですの」

「信じられません。でも、ハーブの香りととても合いますわね」

「特別な砂糖ですか。確かに、この甘さは素晴らしいですわ」

「ま、豆を菓子に使うなんてリーザベルト殿下を馬鹿にしているのかしら。そんな物は……」


 アルフィーナの菓子を味わったドリスディアが驚愕の表情になる。プルプルと肩をふるわせて、文句を止めた。


「いかがでしょうかリーザベルト殿下」


 アルフィーナがリーザベルトに聞いた。


「はい。このような素晴らしいお菓子初めて味合わせて頂きました。私の母の故郷では豆をよく食べるのです。このような美味が隠されているとは、本当に驚きました。先ほどのドリスディア殿下のお菓子も素晴らしかったですし。これほどの歓迎を受けて、私は幸せ者ですね」


 リーザベルトは言った。互角だと気を遣っているが、反応の差は明らかだ。ヒルダが焦った顔になる。


 それにしても、豆をよく食べるのか。単に領民がってことかな。それとも、向こうの豆は特別なのかもしれない。少し調べてみるか。皇女の故郷とやらは帝国のどこだろうか。


 まあ、何にせよ上手くいったか。


「ヴィンダー。……確認しといた方が良いでしょ」


 俺が様子をうかがっていたドアのそばにリルカがやってきた。カップと細長い焼き菓子を渡される。


「あ、ああ。助かった」


 カップにはリルカの唇の後が付いている。俺は正反対に回転させると。焼き菓子の先にホットチョコレートを付けて味見した。


「……旨いけど。ちょっと微妙だな」

「うそ。私一瞬負けたと思ったわよ」


 俺の感想にリルカが驚いた。いや、確かにチョコレートだ。懐かしい味であることに変わりはない。香りも高い、おそらくは前世の一枚百円のよりはカカオの割合が高いのだろう。


 だが、味がどこかちぐはぐ。完成形を知っている俺には少し物足りない。蜜の抜けていない砂糖を大量にぶち込んでいるのも原因だろう。


 まあ、それでも羊羹では勝てなかったな。小倉抹茶アイスでもなんとか見劣りしないというところだろう。何しろチョコレートは万人が好む味だ。一方、小倉抹茶アイスという反則技でなんとか対抗出来たというところだ。本来ならだけど……。


「それにしても、室内を暖かくしてから氷菓を味わうなど、何という贅沢でしょう」


 舌の上で溶けるアイスにうっとりとして、令嬢の一人が言った。室温まで含めた演出だと言うことに気がついたらしい。


 ドリスディアとヒルダがぎょっとした顔になった。アルフィーナの財力を見誤っていたことに気がついたか。ついさっき、室温に文句を言われるアルフィーナに口元を押さえた令嬢達も困惑と不安の表情になっている。


 王侯貴族でも出来ない贅沢だ。前世では誰でも出来た贅沢だけど。逆バージョンで冷房をガンガン掛けて夏に鍋って言うのもあるんだぜ。こちらでは無理だけど。


 フウフウ息を吹きかけながらチョコレートに挑む客もいるが、カップを尻目にアイスクリームに舌鼓を打つ参加者の方が多いか。


 抹茶にしろ、餡子にしろ苦手な人間もいるはずだ。だが、アイスでこちらの好みに合わせたのと室温のおかげでそれを乗り越えることが出来た。それ以上の氷菓は、個人の好みが大きいだろうけど。


「豆のジャムというから抵抗がありましたけど、穏やかで深みのある味わいですわ」


 一人が言った。抹茶の香りと餡子の組み合わせは本物の組み合わせだ。カルチャーギャップを乗り越えれば刺さる人間はいる。


 会場は大盛り上がりだ。チョコレートにも小倉抹茶アイスにも文句を言う人間はいない。ホストである公爵夫人も顔をほころばせている。彼女にとってはベストな結果だろう。そもそも、王女が揃って皇女をもてなすという趣向上、勝敗など決めるわけがない。


 向こうの思惑は外したし、餡子の宣伝も出来た。まあまあ、満足のいく結果だといって良いだろう。俺はひとまずほっとした。


「わ、私のお菓子とアルフィーナのと、リーザベルト殿下はどちらがお気に召しましたかしら」


 ところが、ドリスディアから唖然とするような発言が飛び出した。暖かい会場の空気が下がったような錯覚する覚える。まさか、チョコレートを有利にするため。なわけないか。


 全員の視線がリーザベルトに集まる。室内に緊張感が高まった。


「そうですわね。ドリスディアもアルフィーナもリーザベルト殿下のために全力を尽くしたようです。どちらの品も味はもちろん、珍しさも甲乙付けがたいできでした。二人の妹の頑張りを私は心から喜んでいますよ」


 進み出た公爵夫人メインホストの言葉に、会場の緊張が解けた。それを確認して、王の長女はアルフィーナに柔らかな笑みを向けた。


「特に、部屋の温度まで上げて冬に氷菓を楽しませたアルフィーナの趣向には本当に驚かされましたし。朝早くから準備を頑張っていましたから」

「そ、そんな。お姉様」

「ドリスディア」


 姉に睨まれてドリスディアはうろたえる。側に居たヒルダが慌てて耳打ちをした。第三王女はおろおろと会場を見て、ぎゅっと両手のひらを握ってうつむいた。やっと自分が何を言っていたのか気がついたらしい。


◇◇


「素晴らしいお茶会でしたわ」「流石王女殿下」「これは皆に自慢出来ますわ」「ええ、特にあの氷菓」「そうですね、上に掛かった黒いソースも珍しかったですし」「まあ、私はアレが豆で出来ていることに一番驚きました。どこで手に入るのかしら」


 興奮冷めやらぬまま、帰途につく令嬢達の会話が聞こえてくる。多くの人間にとってアイスに掛けられた珍しいソースという認識だろう。だが、餡子そのものに興味を持った人間も少しだがいる。


 別に王国の食文化を和風に染め上げようとは思っていない。独占事業だし、餡子が成立しうるだけのニッチを切り開けばいいのだ。


 シェリーに餡子のことを聞いていた令嬢達もいたし。少しずつでも羊羹を売り出しても良いかもしれない。アイスは販売出来ないが、羊羹は出来る。


「リカルドくん」

「アルフィーナ様」


 公爵夫人と話しを終えたアルフィーナが俺の方に来た。


「ありがとうございます。おかげでリーザベルト殿下に喜んで頂けました」

「趣旨が変わってますよ」


 むしろ皇女も含めた王女連合との戦いだった気がするが。第一王女がちゃんとしていて良かった。


 会場の隅では、ドリスディアの前でうなだれているヒルダが居る。しかられたか。言われた役目を果たしただけだろうに気の毒に。


 それにしても、チョコレートの感想を聞かれた時の皇女の反応が微妙だったな。食べ慣れている物だから反応が鈍ったのだろう。仕込みである以上チョコレートが出ることは分っていたはずなのだが、あまり演技が上手くないのか?


 この前はいろいろと翻弄されたが、俺を翻弄する程度は普通の人間なら出来て当たり前だからな。


 いや待て、逆にアルフィーナに取り入るための演技という可能性もあるな。すぐに学院に乗り込んで来るわけだし、油断は禁物だ。


 それに、カカオの産地や皇女の故郷も気になる。


 俺はアルフィーナへの取り次ぎを頼まれているらしいルィーツアを見た。今日のお茶会で揺さぶられた第三王女の取り巻きから情報が入ると良いが。

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