第5話:前半 一次情報は大切だ

「私には見えたのです。この花を踏みしだいて逃げる人々の姿が」


 俺が贈った栞を握った美しい顔には、必死さだけが見えた。俺は唖然とした。一体これは何の話だ。


「申し訳ありません。私にはアルフィーナ様のおっしゃっている意味がよくわからないのです」

「えっ!? あの、ですから………………、私に予言のことを教えてくださるのではないのですか?」

「予言、ですか?」


 姫は困惑の瞳で俺を見る。その瞳には同じくらい困惑した俺が写っているだろう。唐突に飛び出した予言に困惑はますます深まる。いや、予言の意味はわかる。アルフィーナが口にしている以上、あの新年祭の予言に違いない。


 俺が教えることなど何もない。宗教的儀式に対する俺の知識など、この世界の一般人以下だ。正月のおみくじくらいにしか思っていなかったくらいだ。


「申し訳ありません。私にはやはりお役に立てるような心あたりがないのですが」

「でも栞の花は!」


 俺の保身感覚がビリビリと刺激される。心のなかで警報が鳴り響く。一体何に巻き込まれているんだ。


 孤立しても凛としていた中庭の王女ではない。頼りない明かりの下、縋るような目で俺を見る同級生の少女が目の前にいる。


「予言、というのは新年祭でアルフィーナ様が告げられた予言でしょうか」

「そうです」

「栞の花というのはレンゲの押し花のことですね」

「はい」

「あの花が、予言に関わるとおっしゃるのですか?」

「はい。あの、あれは私に対する合図ではないのですか……」

「いえ、レンゲの花は当家の商売先の村に咲いております。今年の開花はまだですが、押し花になったものが手元にあったのを思い出したものですから」


 昔、村の子どもたちが作ってくれたそれを、栞に仕立てただけだ。


「…………でも、あの状況の私に近づくのは…………」

「アルフィーナ様にはドレファノとロワン公子からかばっていただきましたから。あの状況の私に手を差し伸べるメリットはなかったと思いますが」


 必殺、お互い様だからなあなあですまそうぜだ。コミュ障の俺は人間関係の利害の軽重を感覚的に把握できる技能はないのだ。 


「で、では、本当に私を慰めようと……」


 アルフィーナは泣き笑いの様な表情になった。ぐっ、おかしな方向に転がった。どう答えればいいんだ。


「先輩、これは?」


 固まった俺達に、三つ目の困惑が響いた。慌てて振り返ると、そこには冷たい目で俺を見るミーアが居た。



「それではアルフィーナ様が先輩を逢引に呼び出されたわけではないと」

「ミーア。アルフィーナ様は巫女姫としての御役目を果たそうとしただけだぞ」


 俺とアルフィーナの説明を聴き終えて、ミーアは言った。真っ赤になってしまったアルフィーナに代わって、俺は両手を振って代弁を試みた。


「では先輩は何を期待してアルフィーナ様のお招きに応じたのでしょうか」

「い、いや、それは…………」


 ミーアは今度は俺に冷たい目を向けた。冷や汗が背中を流れる。いや、お前だってもし「お姫様に秘密裏に人気の無いところに呼び出されたみたいだから行ってくるわ」なんていったら、俺の頭がおかしくなったと思うだろ。


「先輩が不用意に贈った栞がアルフィーナ様の災厄の予言に関わるということでしたが」


 俺達を交互に見てため息を付いた後、ミーアは本題に戻った。


「そ、そうでした。この花が咲いている場所を詳しく教えていただきたいのです」


 アルフィーナは栞を表にしたままテーブルに置いた。頼りないくらい小さな赤紫の花が五本並んでいる。


 巫女姫に選ばれた者は、新年祭の四日前から前日まで聖堂の一室に篭もる。予言の間と呼ばれるその場所で、魔道具である水晶に触れると、頭のなかにイメージが浮かぶ。三日掛けてイメージは徐々に明確になっていき。最後に見えたイメージを予言として報告するのが役目なのだという。


 そして、そこで見えたのが、赤紫の花を踏みしだき逃げる大勢の村人の姿だったという。


 ちなみに、災厄そのものを見ることは出来ず、西方というのもイメージがやってくる大まかな方向として感じるだけらしい。予言らしい、絶妙な残念さ加減だ。


「最初に見えたのは、去年と同じ豊かに実る麦畑でした。陛下はそのことだけを話せばいいと」


 アルフィーナは悲しそうに言った。ミーアが俺を見る。やはり、王の意向に逆らって予言を公表したのだ。これに関わるには相応の、いやとんでもないリスクがある。すぐにでもここから立ち去りたいくらいだ。


 だが、それが出来ない理由が二つある。


 ひとつ目は俺、というよりもヴィンダーの利害だ。万が一予言が本当で、災厄の中心地があの村の近くだった場合、ヴィンダーはとてつもないダメージを負う。苦労して創りだした養蜂の全てが失われるのだ。そしてもう一つ、ミーアにとってあの村は生まれ故郷だ。


 だが、そもそも……。


「私に出来るお礼ならどのようなことでもします。もちろん、貴方から聞いたことは誰にもいいません」


 こちらにリスクを負わせることは理解しているらしい。確かに、彼女は誰にも知られないように俺を呼び出した。自分は正しいことをしているのだから、周りの人間は無条件で協力すべきだという傲慢、俺の一番嫌いなものの一つだが、はそこには見えない。


 彼女は自分の立場が危うくなることを承知で口を開いた。誰にも望まれない、押し付けられた役割をはたすためにリスクを取ったのだ。疎まれる立場が生み出したスタンドプレイとは思えない。


 少なくとも自分が真実だと思っていることを口にしている。そう信じ……、判断しよう。


 となればどうする? 聞かれたことだけを応えてこの場を離れるのが一番無難だ。あまり価値はないが、お姫様に恩を売ることができる。リスクとしてはあの村が人目を集めることか。


 テーブルの下で袖が引かれた。わかっている、早く決めないとどんどんまずい方向に行くのだ。俺は決断する。


「わかりました。レンゲが咲いている場所を教えます。ですが一つ質問をしてもいいでしょうか?」

「は、はい。なんでも聞いてください」


 ん? 今…………。違う、いや違わないか。このお姫様の脳内はお花畑すぎる。俺の協力を求めるには全然足りない。


「私が場所を教えたとして、その後どうするのですか?」

「もちろん、村の人々に避難を呼びかけます」


 アルフィーナは当然のように答えた。


「誰が、どのようにですか?」

「えっ! その私が……」

「収穫間近の畑を捨てて逃げることをどうやって説得するおつもりですか?」

「そ、それは、その場所は危険だから……」

「どう危険なのですか?」

「それは、災厄が……」

「どんな災厄ですか?」

「そ、それはわかりませんけど…………」


 アルフィーナの声はどんどん小さくなっていく。


「質問を変えましょう。避難といっても、どこまで逃げればいいのでしょうか、どれくらいの期間でしょうか。その間の食料と住居はどう準備されるのでしょうか?」

「…………」


 俺の質問にアルフィーナはついに口をつぐんだ。テーブルの下で足が蹴られた。いやだから、あんまり考えなしだからちょっと語気が荒くなっただけじゃないか。


「コホン。食料の備蓄の放出、地方領主や騎士団の協力など、国家主導の計画になりますね」


 アルフィーナは国王を説得しなければならない。だが今のところの材料は、彼女が見た曖昧なイメージだけ。予言が重んじられていたらそもそもこんな事態にはなってない。如何に異世界でも曖昧な予言で国家は動かないということだ。そして、俺もそうあるべきだと思う。


 言わなかったが。災厄が起こらなかった時、誰が責任を取るのかという話も重要だ。その第一候補は目の前の……。いや他人の保身なんかを心配してる余裕はない。


「アルフィーナ様の曖昧なイメージだけでは国が動かないのは道理です」

「そんな、私は……」


 アルフィーナは何かを言おうとして口をつぐんだ。俺は立ち上がった。ミーアが何をやっているんだと非難の目で見る。わかっている、こんなこと言うくらいなら適当に質問にだけ答えてここを出れば良かったのだ。


「ただ、曖昧な予言を明確な情報にする手が無いわけではありません」


 俺は本棚から地図と図鑑を取り出して席に戻った。アルフィーナは俺が戻ってきたことに驚き、ミーアは改めてため息を付いた。仕方ないだろ、ここまで言ってしまった以上は協力しなければならない。予言など専門外もいいところだが、それも一つの情報と捉えれば処理するステップには覚えありだ。


 それに、どこまで協力するかは別として、もう少し情報を引き出すべきだろ。万が一予言が事実なら、あの村とプロジェクト・レンゲはおしまいだ。情報だけ引き出して、あとはこちらで対処するということも出来る。


 何が始まるのかと、アルフィーナの目が地図と図鑑に注がれる。だが、俺はそれをテーブルの脇に避けると、予言の巫女をまっすぐ見た。一番大事なのは一次情報だ。この場合はアルフィーナの見た災厄のイメージ。


 …………主観的なイメージが一次情報というのは矛盾しすぎて泣けてくるが。


「いくつか質問させていただけますか」

「は、はい」


 アルフィーナは真剣な顔で頷いた。


「アルフィーナ様の見たイメージの中の花ですが、レンゲに間違いがないのでしょうか。よく似た別の花ということは? あっ、その栞を確認するのはダメです。なるべく具体的に、イメージの中の花の色や形を言ってください」

「……申し訳ありません。頭のなかに浮かんだイメージでは、そこまで細かいところはわかりません。色は間違いなく赤紫でした。花びらの形は、王都の庭園などに生えているような花の形ではなくて、えっと馬車の車輪のような……」


 アルフィーナはチラチラと裏返った栞に目をやりながら言った。人間のイメージなど簡単に塗り替えられてしまう。相手を騙すつもりがなくとも、質問のされ方で正反対の答えを告げるなどいくらでもあり得る。


 特徴は合っている。この世界ではマメ科植物の有用性が知られていない。俺が探しまわった経験からも、姫の言葉は信憑性が高いと判断する。


 次は別の角度から検証だ。


「では、逃げていく人々はどんな服装をしていましたか? 王都とはいささか趣の違う服装だったと思いますが」


 姫は黙って目をつぶった。


「…………女の人は皆、腰に帯をしていました。王都では見たことがない広い帯でした。帯にはまっすぐな線の模様が入っていました。浅葱色の帯に、翡翠色の線だったと思います」


 流石というべきか、女性の服装のほうが記憶に残っているらしい。俺はミーナを見た。彼女は不承不承うなずいた。ちなみにその線は模様ではない。村の女性達に模様を染めた布をまとうような裕福さはないからだ。あの地域の女性は広めの帯の上に、細い紐を締めるのだ。色の組み合わせは既婚未婚で違う、浅葱に青は未婚の女性の組み合わせだ。


「他にその土地の特徴を表すような建物などは有りましたか?」

「……村の近くに水車のようなものが見えたかもしれません」

「…………」「…………」


 俺とミーアは顔をしかめた。アルフィーナは水車など珍しいと思っていないのだろう。だが、木材が貴重なこの国で、小さな村に水車があるのは珍しいのだ。レンゲの分布と人々の服装、そして水車。その三つが共存する地域は存在し、それはワンポイントに限定される。


 何しろ、蜂の巣から効率よく蜜を回収するために村に小さな水車を設置したのは俺達だ。俺は図鑑を広げた。


「先ほど質問した帯ですが、実際にはこのようなものでは……」

「……これです!」


 次に地図を広げる。西方国境となっている山脈近くの平原を指でなぞる。


「レンゲはこの地域に分布しています。そして、アルフィーナ様がおっしゃった帯の特徴は、その中で南部のベルゲン郡の更に南部に限られ。そこにある村は三つ……」


 俺は地域の範囲を絞っていく。そして、指が一点を指した。


「…………その中の一つ、レイリアには水車が有ります。ですから…………。ア、アルフィーナ様」


 地図を押さえる俺の手に白い掌が重なった。驚いてアルフィーナを見ると、涙ぐんだ目で見つめられた。


「すごいです。貴方に相談してよかった。私の言葉を信じてくれるのですね」


 アルフィーナの手に力がこもった。広げていた指の間に、白くて細い指が入りこんだ。緊張していたのか、体温の引いたヒンヤリとした掌が気持ちいい。そして、触れ合っている部分が徐々に互いの熱で温まっていく。


「コホン。アルフィーナ様は先輩のことを誤解していると思います。先輩は甘いですが、人を信じたりしません」


 どこの性格破綻者だ。俺はただリアリストとして、自分が動かせるのは自分だけだという信念をだな。……ちくしょう、当たってるか。


「……そうですね。私が今していることは、災厄の予言を信じたからではなく、信じるかどうかを検証するための一ステップです」

「検証ですか? いえ、でも、私の話をちゃんと聞いてくれたのは貴方が初めてだから。やはりお礼を言いたいです…………」

「時間は限られていますから、次のステップに進むべきだと思います」

「そ、そうでした」


 ミーアの視線に気がついて、アルフィーナは慌てて手を離した。俺も反射的に手を引いた。地図が閉じようとする。ミーアが俺の横に寄り添うように手を伸ばしてページを抑えた。


 や、やりにくい。早く次のステップに進むぞ。これで、予言から場所という情報を引き出した。次はこの情報を元に災厄の種類を絞り込む。

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