予言の経済学 ~巫女姫と転生商人の異世界災害対策~
のらふくろう
一章『災害は予防が肝心』
第1話 災厄の予言
春の日差しの下、重々しい王宮の門が大きく開かれている。城門内の広場の中央には段状の席が設置され、銀色の鎧をまとった騎士が周りを守っている。階段席の一番上は金糸の刺繍の入った緋毛氈、二段目は銀糸に紫紺の絨毯、三段目は無地の青布が掛かっている。一段につき十二の椅子が出席者を待っていた。
王都が一番賑わう日、この国の構造を見事に視覚化したその様子は……。
「えげつない雛壇だな」
門前に集まった民衆の中で俺は思わずつぶやいた。故郷の伝統の美とは似ても似つかない。隣りにいた職人風の男がきょとんとした顔になる。そりゃそうだ、雛壇なんて言葉はこの世界には無い。
一月の最初の日、十五年前まで生きていた元の世界なら元日だ。ただし、季節は春。日本なら三月と四月の境目くらい。今年の豊作を祈る行事だが、農業従事者が居ない王都では新しい年を寿ぐ意味が強い。
人口二十万に達する王都の繁栄は、文明レベルを考えると立派なものだ。
安定した気候と平坦な国土、最後の対外戦争が五十年前という条件が、豊かな農業国クラウンハイトを成り立たせている。記録を調べる限り、地震や火山の噴火も起こったことがない。さらに、ここ十年は不作知らず。一番大切な食料と安全が確保されていれば市民の顔が明るいのも道理だ。
それ故、この国の硬直的な政治体制、つまり目の前の雛壇は小揺るぎもしない。王族、貴族、平民という身分はほぼ固定、身分内も序列がある。現代日本で二十台半ばまで生きてた感覚では窮屈この上ない。前世ではどちらかと言えば保守的だった俺が言うのだから間違いない。
何が言いたいかといえば、零細商人の息子に転生した俺が、前世知識で色々やろうとすると不都合と理不尽にもれなく見舞われるということだ。己の保身を誰よりも大事にする俺にはキツすぎる。
百歩譲って、統治が安定しているのはいい。秩序を保っているという一点で合格点はある。知識も技術も人づてなのだから、地縁血縁重視もある程度しかたない。
だがせめて、いやだからこそ経済活動はもう少し柔軟に行われるべきだ。商人はリスクを引き受けるのが役割だからだ。
生産者と消費者をつなぎ安定的な値段と供給を実現する。そのために、在庫という形でバッファーの役目を果たす。さらに、新しい商品や市場を開拓して富の流れの多角化をはかる。
安定のためにリスクをとる、それが商業の役割だ。そうでなければ、何も作らない商人が下手したら小領主以上の富を得る理由がない。
そして、リスクを引き受けるためには、柔軟かつ迅速に動けなければならない。だが、そういった全てを前例と序列を理由に邪魔する存在がある。泣けてくることに、商人の互助会たるべき商業ギルドがそれだ。
埋まりはじめたの下段の席、高価な生地を着こなすのは各商業ギルドを束ねる大商人達だ。ビロードのような布で作られた、襟を立てた服装はまるで貴族だ。実際彼らは一代限りの名誉爵位を持つ。任命するのは王で、推薦者は各ギルドに利権を持つ大貴族。もちろん商会が代替わりすると、息子が新しく与えられるのでほぼ世襲だ。
下段の中央に座ったドレファノの太鼓腹を俺は睨んだ。食料ギルドの長で、穀物だけでなく貴族向けの高級食材も多く扱う。我がヴィンダー商会の新しい蜂蜜に思いつく限りの嫌がらせをした男だ。資本で圧倒されたとか、宣伝力や販売力、つまり貴族へのコネで負けたなら我慢もできる。それはある意味商人としての強さや信用だからだ。だが、ギルド長に逆らったら貴族への反抗となることを利用するのは許さない。
そう許さないだ。間違っているではなく、許されないでもなく、許さない。俺は商売敵には敬意を払うが、政敵なら容赦しないと決めている。今言っても負け犬の遠吠えにもならないが。
二段目の仮じゃない貴族の席が埋まっていく。その中央右に座った人物に驚いた。女性、しかも二十代半ばくらいの若さだ。隣はこの十数年宰相を務める公爵だから、それに準じる序列の貴族家当主ということだ。
脳内の人名リストを手繰っている間に最上段が埋まった。玉座に王が腰掛ける。気が付くと周囲の民衆たちも随分と増えている。この茶番が終わったら振る舞われるお神酒が目当てだろう。
王が何かを渡し、宰相は押し頂いたそれを広げた。「王国の民たちよ」と言葉が始まった。読み上げる声は通りがよく、魔道具で拡大されて俺達の耳に届く。一方、内容は面白みの欠片もない。要するに「去年は神の祝福で豊作でした」ってだけだ。正確には東方は豊作で、西方は普通だけどな。
少しはオリジナリティーや遊びを交えようとは思わないのだろうか。あくびをこらえながら、あらためて壇上を見渡すと空席に気がついた。王族から少し離れたところに置かれた椅子は、最上段のものとは思えないほど簡素だ。
そういえばいるはずの彼女がいない。学院で数度言葉を交わしたことがあるだけの同級生、アルフィーナ・クラウンハイト。第四王女くらいだったか。四番目と言っても、確かこういう場で茶番に華を添える仕事だった気がするが。俺がキョロキョロしていると宰相の読み上げが終わった。
それを待っていたように、神官衣の女の子が現れた。飾りひとつない紫の法衣は、綺羅びやかな宝石と豪奢な刺繍に覆われた最上段では、かき消されそうなほど地味。だが、それがかえって少女の清楚さを引き立てている。
遠目にも艶やかな青銀の髪の毛。幼さを残しながら整った顔立ち。凹凸の主張は乏しいがスラリとした体の線。聖女というタイトルのフィギュアが動き出したような、いやそれ以上の美少女だ。ドレスで着飾った第二だか、第三だかの王女よりずっと可愛い。
「巫女姫アルフィーナ様より、本年の予言が告げられる」
アルフィーナは離れた席で立ち上がった。形だけでも聖職者、出家の身ということか。それにしても、予言とは茶番も極まれりだ。魔法の有るこの世界では完全に否定は出来ないが、これは単なる儀式だろう。先ほどの言葉と同じで内容が毎年変わらないのだ。王のお言葉が「去年はいい年だった」だとしたら、予言は「今年もいい年になります」というだけ。
というか、もし本当に予言なら公表できないだろ。国が滅びるとか戦争が起こるとか出たらどうするんだ。
「今年も大地は数多の恵みを我々にもたらすでしょう。特に西方では……」
透き通る少女の声が会場に響く。民衆の視線が十五歳の美少女に集中する。宰相の読み上げよりもずっと注目を集めている。配役が美少女だと絵になるものだ。雛壇のお偉方よりも民衆は素直だ。
言ってることは予言らしく曖昧だが、要するに東方は例年通りの収穫、西方は豊作ということだ。市民達は雰囲気を盛り上げていく。祭りの日に高貴な美少女が告げる明るい未来だ、盛り上がるのはわかる。もちろん、俺はこんなものを当てにして商売をする気はない。
問題なく明るい年の希望を煽り、アルフィーナが言葉を止めた。民衆が歓声を上げるために身構えた。行事が終わり、城門が閉じれば平民同士祭りの始まりなのだ。この手のパフォーマンスには興味ないが、役割を果たした同級生に拍手の一つもしてやるか。余計なお世話だったが、一度かばってもらったこともあるしな。
俺が両手を構えた時、彼女は心持ち下げていた瞳を真っ直ぐ前に向けた。
「聞いてください」
先程までとは違う、必死な声が会場に響いた。
「水晶はもう一つの未来も告げています。…………今年、西方より大いなる災がこの国を襲うでしょう」
民衆が戸惑ったように左右を見た。中には先走って拍手をしてしまい、気まずそうに手を止める人間もいる。アルフィーナは唇を引き結び、自分の言葉に混乱する民衆をまっすぐ見た。その言葉が真実であると無言で主張するように。
「おいおい、大丈夫か」
空気を読めない俺にも、場が固まるのが聞こえた。雛壇の貴顕達は明らかに動揺している。引きつった顔をした貴族達。王妃と太子は苦々しげに彼女を睨んでいる。王は流石にどっしりと構えるが、さっきまでの笑顔が能面の様になっている。
宗教的意味があろうと、いやだからこそ公式に発せられる巫女姫の言葉が事前にチェックされないはずがない。
つまり、彼女の発言が予定通りではないということだ。手の届かないところにいる同級生は祈るように両手を胸の前で握って自分に集まる視線に耐えている。
「災ってなんだ」「西方って……」民衆のざわめきが大きくなっていく。具体性ゼロの不吉な言葉をいきなりぶつけられたのだから当たり前だ。
俺みたいに最初から茶番と思ってるならともかく、迷信深い大衆ならばなおさらだ。このままだと、騒ぎはどんどん大きくなるだろう。
着飾った儀仗兵がアルフィーナに近づいてくる。宰相が立ち上がる。例の女貴族がアルフィーナの方に向かう。抗うような仕草を見せた少女は、女貴族が何か声をかけると諦めたように席についた。
「仮に災厄が訪れようと、王国はそれに打ち勝ち、平和と繁栄を守るであろう。これまでのように」
宰相の発言に、雛壇の人間が大きな拍手をする。壇の周りの騎士たちから「王国バンザイ」という声が上がる。それにつられて城門前の大衆からパラパラと拍手が起こり始めた。場内から振る舞いの酒瓶が運び出される。歓声が上がり、吹っ切れたように拍手が大きくなっていく。
どこかちぐはぐな雰囲気の中、厄介事を封じ込めるように城門が閉じていく。門の隙間から、肩を落としたアルフィーナが女貴族に付き添われて段を降りるのが見えた。
俺は学院での彼女の姿を思い浮かべる。上品で穏やか、王族とは思えないほど控えめな態度。スタンドプレーという言葉とは最も程遠い。そんな彼女が新年を寿ぐ空気をぶち壊した理由はなんだ……。
「まあ、俺には関係ないさ。とっと店に戻るか」
酒に群がっていく市民たちに俺は背を向けた。「西方」という言葉が気になるが、予言なんて曖昧なものを相手にしても仕方ない。吹けば飛ぶような零細商会の息子は、ギルドの圧力やその他、現実的な脅威がたくさんある。雲上人の”祭り”ごとにかまっている暇はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます