第9話 ディルアンディアは元気です。
ディルアンディアの様子がおかしい、と、姫君の母であるルーナルア夫人は少々怪しんでおりました。
不本意な形でビナギア王国を追われて2日。
ビナギア王国側の情報収集と戦砦からの撤退準備を急ぐ皇太子殿下を待つ夫人たちは、侍女長のエルベラから「今はお心とお身体を休めて下さいませ」との言葉に甘えてゆっくりとさせていただいておりました。
メイドのキキは気丈にもユルグフェラーのメイドたちに混ざって仕事をしたり夫人たちの面倒を見てくれたりと色々と動き回っておりましたが、もう良い歳のマデラはショックが大きく身体に自由が利かず、今はルーナルア夫人が看病をする側になってしまっています。
夫人とて昨日は朝ご飯のあとにぐったりと一日休んでしまったので、ルーナルア夫人とディルアンディア姫の母子を育ててきたマデラはもっと疲れてしまっていた事でしょう。
ルーナルア夫人とて、国のことが気にならないわけではありません。
ですが今はリューグ皇太子殿下に拾われた身。独断で動くわけにもいかず、ただただ言われるままにのんびりと過ごすばかりでした。
その中で、ディルアンディアだけは妙に活発に動き回っている事に、ルーナルア夫人は大変気になっておりました。
ディルアンディア姫は、その可憐なお姿に反して性格は実に父親似の娘であると知っているのは、彼女に近しい人々だけです。
子供の頃にはアレが食べたいコレが食べたいと非常に食欲旺盛で、パクパクとお腹いっぱい食べては騎士に混ざって訓練をしたがりました。
流石にまだ幼い少女を交えての訓練は出来ないので早々にマデラや執事たちに回収されていたディルアンディアでしたが、彼女の【特殊能力】が開花すると尚更に訓練をしたがって大変に困ったものです。
ビナギア王国の王族に伝わる【特殊能力】。これは古来より【魔女の悪戯】とも呼ばれる不思議な力で、王家の血を引く者の中で特に血の濃い者にだけ現れるものです。
そのためルーナルア夫人にはそんな力はなく、反対に国王陛下の弟であった姫の父・ベルホルト大将軍には【超膂力】という国防を担うものとして相応しい力が備わっておりました。
姫の弟である双子の男の子のルーデルスとリーベルトにも種類は違えど【特殊能力】は備わっており、流石は大将軍の息子だと国王直々にお褒めの言葉を頂いたほどです。
当然のこと、大将軍の長子であるディルアンディア姫にも【特殊能力】は存在しましたが、それは到底淑女のための能力とは言えないものだったのが運の尽き、だったのかもしれません。
例えば過去に王族の女性たちに備わっていた【特殊能力】の中には、体臭が甘い花のような香りになるものですとか、動物と心を通わすといった女性向きの能力を持っている方々の記録はあったのです。
しかし国一番の美女とまで言われるように育ってくれたディルアンディアに備わった能力は彼女の外見からは一番遠い能力で、その力を知った時には夫人も大将軍も卒倒しかけてしまった程です。
笑いながら「素晴らしいではないか」と褒めてくれたのは、王太子でありいつかはディルアンディアと結婚するはずだったジョルファンくらいのものでした。彼はディルアンディアの事を本当に愛してくれていて、姫のする事だったらなんでもOK、という若者だったからこその爆笑だったのかもしれませんが。
とにかくそんなディルアンディアが、活発さでは殿方にも負けぬと母目線でハッキリと言える姫君が、実に活発に動き回っているのが気になりました。
メイドたちに混じって料理の練習をしたり皇太子殿下のご様子を伺うだけならばまだしも、気付けば騎士団の方々に混じって王都への帰還の手伝いをするのはやり過ぎです。
しかしエルベラから活発に動ける服を貰ったディルアンディアは、元々の記憶力の良さを活かして物資の数を数えたり他の騎士たちに伝達をしたりと、まったくもって忙しく駆け回ってるのです。
これにはルーナルア夫人もメイドのキキも参ってしまいました。
ディルアンディアは言い出したらきかない娘ですが、今回に限ってはその原動力がわかりません。
父や弟たちを心配している素振りは見せますが、日中の元気さったら自分が淑女であることを忘れてやいないかと心配になってしまう程です。
しかし3日目の夕食の時間になってやっと、ルーナルア夫人はディルアンディア姫の元気の良さの原因に気付いた、ような気がしました。
この砦にお邪魔してから、夫人たちは毎日皇太子殿下と近衛騎士団長と食事を共にしています。
皇太子殿下はお忙しいお方ですので昼食ばかりは一緒というわけにはいきませんが、朝と夜は必ず食事を共にしてビナギア王国についての情報交換をするのがお決まりになっておりました。
ビナギア王国は恐ろしい程静まり返っているようでそれがかえって恐ろしい。
ユルグフェラーのメイドたちはコソコソとそんなことを言っていて、それを聞いた夫人も少しばかりの違和感を覚えておりました。
事件が起きてからもう3日。その間にビナギアと唯一国境が接しているこの戦砦に何の報もないのはおかしいと夫人も思い始めておりました。
しかしその日の夜。先にテーブルについて皇太子殿下を待っていた姫と夫人は、少しばかり急ぎ足でやってきた皇太子殿下に、立ち上がってドレスを広げました。
「ビナギア国王の崩御が報じられた。犯人はユルグフェラーの騎士だそうだ」
片手で夫人たちに座るように促した皇太子殿下の第一声は、それでした。
少しばかり震えているように感じる声も、今日もつけておられる仮面から覗く赤い目が僅かに潤んでいるように見えるのも、ビナギアでは最大手の新聞社の号外をテーブルに広げる手が
見れば皇太子殿下の出で立ちはここまで急いできたのを証明するように大変乱れておりました。汗でうなじに貼り付いた髪を乱暴に拭い、胸元を寛げて喉元があらわになります。
今までまとっていた皇太子殿下らしい装飾がたくさんついたマントも、ジャケットもない、冬場では寒くさえ感じるのではないかと思えてしまうほどの薄着です。その白いシャツにも汗が浮いており、彼がどれだけ急いで情報収集に当たっていたかがよくわかりました。
ルーナルア夫人は声を失い、目眩がしそうなのを必死で膝の上で拳を作って我慢します。
想像はついていた事でした。
首謀者はきっと己の利のために国王陛下を害しその罪をユルグフェラーに押し付けようとしているとは、ディルアンディアも言っていた事だったからです。
ですがそれがこうして新聞に書かれているのを前にしてしまうと、あまりに恐ろしい事態に涙が出てしまいそうです。
ユルグフェラーが犯人ではないことは、あの日救われた夫人たちが一番良く知っています。あの時夫人たちの馬車を追いかけてきていたのは他でもないビナギアの騎士たちだったのですから、大嘘も良い所です。
「わたくしが! 誤解を必ず解きますわ!」
目眩を起こして黙り込んでしまったルーナルア夫人の隣で、ディルアンディア姫が突然声をあげて立ち上がりました。
その声の大きさははしたないくらいの大きさで、ルーナルア夫人だけでなく自分の席に座ろうとしていた皇太子殿下もびっくりしてガタリと椅子の背を掴んでいます。
しかしディルアンディアは元気です。
「そのような妄言、出所から潰してみせます!」
「で、出所から……?」
「その出所がまだハッキリしておりません、姫」
ディルアンディアの元気さに困惑しておられる皇太子殿下の代わりに、彼の椅子を真っ直ぐに直したシグルド近衛騎士団長がディルアンディアを伺います。
そう、その通りです。
妄言の出所、となれば、つまりはその真犯人を見つけてやるという宣言です。
もしかしてビナギアに戻るつもりなのか? と思いついた夫人と皇太子殿下の視線が一瞬交差します。何を言っているんだこの娘は、という心の声が、皇太子殿下と通じ合ったような気がしました。
「王宮に乗り込んで、元凶に近いと思われる方々とお話いたしますわ」
「お一人で乗り込まれるおつもりで?」
「女一人の方が怪しまれないかもしれませんわ」
「ほ、本気か?」
「勿論ですわ、皇太子殿下。わたくしたちを助けて下さった皇太子殿下の顔に泥を塗る者が、許せませんの」
完全に本気ムーブのディルアンディアの様子に、皇太子殿下が渡された水をちょっとだけこぼしてしまわれました。
唇の端から溢れた水を慌てて拭った皇太子殿下は、ディルアンディアをどう止めるべきかと思案をなさっているようです。
しかし、ルーナルア夫人は気付いてしまいました。
娘の目が、腕まくりをなさっている皇太子殿下の腕に釘付けになっている事に。
そしてラフな格好をなさっている殿下の胸元や水の溢れた口元、そして少しばかり乱れておられた前髪を黒い手袋をなさっている手でぐっと掻き上げた姿にグッと歯を噛み締めているのにも、気付いてしまいました。
なるほど、と、ルーナルア夫人は思います。ここ数日の彼女の元気さは、皇太子殿下への感情が恐怖や悔しさや悲しみに勝った結果だったのだ、と。
そして、娘に会うたびに花束をくれたり愛を囁いたポエムを送ってくれていたビナギアの王太子殿下の失恋を察し、ほんのちょっとだけ頭痛もしてしまったのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます