第14話銀の腕輪 その壱

「よう。来たぜ、ひかげさん。相変わらずここは空気悪いな」

「望月氏……」


 それから三日後。

 土日を挟んでしまったので、些か訊くタイミングを逃したと従吾は思いつつ、オカ研の部室でひかげと会っていた。


 初め、二人とも何を話せば分からなかった。従吾はソファに座ってしばらく黙った。ひかげも最初の挨拶だけでパソコンで何やら操作している。気まずい空気の中、口を開いたのは従吾だった。


「あの数珠、どうせいわくつきなもんだろ? 教えてくれよ」

「……本当に知りたいことはそうじゃないのに。意外と遠慮がちなんですね」


 パソコンの操作をやめたひかげは、微笑みつつ机の引き出しから件の数珠を取り出した。

 紫色で怪しげな雰囲気がある。しかし同時に徳の高さを感じられた。


「この数珠は高僧が所有していたものです。他者に霊力を与えることができるのは……望月氏の予想どおり、いわくがあるからですな」

「高僧って坊さんのことだよな? まさか道を外れた……なんだっけか?」

「破戒僧ではありませんよ。むしろ逆ですね……望月氏は即身仏をご存じですか?」


 従吾は首を横に振った。まったくの初耳だったからだ。


「即身仏とは、自ら食を絶って死に至る道を歩む修業の果てのことです」

「あん? それって……餓死か? なんでそんなことを?」

「生きながらにして仏へと成るためですよ」


 従吾には理解できない話だった。

 餓死は相当苦しいはずだ。それを自分から行なうなんて考えられなかった。


「その即身仏が肌見放さず持っていた数珠です。おそらく他者を助けたいと思う慈悲の心が宿ったのでしょう」

「…………」

「ところで望月氏は六道輪廻について知っていますか?」


 それも初耳だった従吾は「いや知らねえ」と答えた。ひかげはズレた眼鏡を直しながら「簡単に言えば我々は六つの世界を順番に生きているという教えです」と話した。


「その中には餓鬼道があります。その世界の住人は常に空腹で食べ物を争い奪い合って生きねばなりません」

「ひでえ話だな。それと即身仏がどう関係しているんだ?」

「妙だと思いませんか? 餓死で仏に成ることと空腹で苦しみ続けること。同じなのに一方は尊くて片方はあさましいと思われる。おかしいでしょう?」


 そう言われると変だなという気持ちが従吾の中に生まれてくる。

 ひかげは「僕の考えですが」と前置きして語り出す。


「自らの信念をもって死に至ること。そして死を覚悟してまで貫こうとする意志。それこそが尊いのでしょう。餓鬼道のように与えられた環境であさましく生きるのと異なります」

「難しい話だな……俺にはやっぱり数珠も不気味なもんだってことしか分からねえ」

「餓鬼道だけではなく、現世でも人は奪い合って生きています。土地だったり、お金だったり、食料だったり。大切な命さえ奪ってしまいます」

「ひかげさんは何が言いてえんだ? 俺の訊きたいことは既に答えてもらったぜ」


 そうは言うものの、従吾には訊きたいことが山ほどあった。

 あの天王寺蛇子という女は誰なのか。

 ひかげとどういう関係なのか。


 それに自らの手を斬り落としたのも気にかかる。

 蛇子はかまいたちの力をもらったと言っていた。

 ならば自分の手首を斬ったのは、かまいたちの母親の力を使ったからではないか――


「望月氏の頭の中では、いろいろなことが渦巻いていると思います。それは彼女のことでしょう」

「……よく分かっているじゃねえか」

「ですが、僕から言えることはありません」

「なんだと?」


 素っ気ない言い方に文句を言おうとした従吾だったが、次のひかげの言葉で止まってしまう。


「今の望月氏では彼女と関わるのは危険です」

「最悪、死ぬかもしれねえってことか?」

「ええ。それ以上に悲惨な目に遭うでしょう」

「俺ぁ別にあの女と関わるつもりは……いや、正直に言うけど、あの女は危険だって分かっている。その上でどうにかしてえと思う」


 従吾はゆっくりと立ち上がった。

 その目には覚悟がありありと浮かんでいた。


「忘れることができねえ。目の前で母親を殺されたかまいたちが可哀想なのもある。だけど、何の躊躇も無く殺しをやったんだ。それが人間じゃなくて妖怪だろうとも許されないことだ」

「いつもながら、正義感が強いですね」

「そんなんじゃねえ。俺は不良だ。番長と呼ばれるほどのな。そんな俺だけどよ――人として捨てておけねえんだ!」


 鋭く啖呵を切った従吾を穴が開くまで見つめたひかげは――不気味に笑った。まるで予想していたようだった。


「いいですねえ、望月氏! それでこそ、皿屋敷学園中等部の番長ですぞ!」

「なんだよ。いきなりテンション上げやがって。気味が悪いぜ」

「……彼女に対抗する術を教えましょう」


 ひかげは不気味な笑みのまま、机を探って――銀の腕輪を取り出した。手首を覆うほどの幅で、外国の言葉が書かれている。従吾には英語の筆記体に感じられた。


「なんだこれは?」

「以前、僕が渡した藁人形を覚えていますか?」

「ああ。三つ子池のか。あれで幽霊を殴れたっけ」

「これを付ければ幽霊や妖怪も触れられます」


 なら最初からくれればいいじゃねえか――それを言う前に気づく。

 ひかげがどこか、従吾を試している顔をしていることに。


「……何かリスクがあるのか?」

「いいえ。ただこれを渡していいものかと悩んでいます。望月氏が悪人ではないと分かった上です。この腕輪は調伏した幽霊や妖怪の力の一部を借り受けられるのです」

「俺にも分かるように話せよ」


 ひかげは少し考えて言葉を選んだ。


「幽霊や妖怪を子分にしたら、望月氏の力が強くなります」

「はっ。そいつはすげえな。それであの天王寺蛇子に対抗できるってわけか」

「あくまでも可能性があるだけです。彼女の力は底が見えません」


 それでも可能性があるのなら――従吾は「頼む。それをくれ」と頭を下げた。


「もちろん差し上げます。望月氏ならば悪用はしないでしょう。ただし、決して幽霊や妖怪を殺めないでください。それだけは約束してくれますか?」


 すぐに答えず、従吾は間を空けてから――すべてを覚悟して頷いた。


「約束する。俺は誰も殺さない」

「それではどうぞ。右手に付けてください」


 言われるまま、従吾は腕輪を付けた――ずっしりと重くて冷たい。質感から金属だと思われるが、不思議と肌に合うような気がした。


「なんか変わった感じはしねえな」

「まだ効力はありませんよ……ところで望月氏。僕から一つだけ提案があります。是非とも子分にしてほしい妖怪がいるのです」

「あん? 誰だよ?」


 ひかげは「かまいたち殿ですよ」と告げた。


「今、中等部の屋上にいます。彼は助けになってくれるでしょう」

「子分になれって言って素直に従う野郎か?」

「そこは話し合ってください。君に任せます」



◆◇◆◇



「というわけでよ、俺の子分になってくれねえか?」

「なんで人間なんぞの子分に……断る」


 夕方になってしまい、もうすぐ日が落ちようとしている。

 従吾は屋上に手すりに寄りかかっているかまいたちと話していた。

 サラワの森での和服ではない。皿屋敷学園に溶け込んだブレザーの制服を着ていたかまいたちは、どこからどう見ても中等部の生徒に見えた。


「お前、母さんの仇を取りたくねえのか?」

「取りたいに決まっている。だけどさ、俺なんかがどうこうできる奴じゃなかった……あんたでも無理だと思うぜ」

「なら諦めて生きていくのかよ」


 従吾の挑発的な言葉にかまいたちは「はっ。そいつも悪くないな」と自嘲した。


「俺は治す力しかない。そんな俺が父ちゃんと母ちゃんの力を奪った、恐ろしい人間に勝てるわけがない」

「何言い訳してんだ? どんな理由があっても、親の仇を取るのは当然だろ」

「うるさいな。ほっといてくれ」


 従吾はこんなにもかまいたちが無気力なのは、自分だけではかないっこないと諦めているのだと考えた。

 もしもかまいたちに力があれば――是が非でも仇を取るだろう。

 だから従吾は――


「俺があの女――天王寺蛇子を倒す」

「……ふふふ、何言ってんだ? 無理に決まっているだろう」


 かまいたちは笑ってしまった。

 そんな彼に従吾は「やってみないと分からねえ」と強気になった。


「少なくともここで腐っているお前よりは可能性あるぜ」

「……なんだと? さっきから聞いていれば、適当なこと言って――できるわけがない!」


 もたれていた手すりから離れて従吾に詰め寄る――かまいたちの拳を従吾は手で受け止めた。少しずつ力を込めていくと、痛みでかまいたちの顔が歪む。


「できるできないなんて、誰にも分からねえ。俺はやるってだけだ。ひかげさんがお前を子分にしろって言ったが、期待外れだったな。根性なしだとは思わなかった」


 大言壮語を吐かれた挙句、見下されたかまいたちは「ならあんたの根性、見せてもらおうか!」と掴まれていた手を振りほどいた。

 拳を握り締めて従吾と向かい合う。

 それこそが従吾の望んだことだった――


「簡単に負けてくれるなよ――いくぞ!」

「来いよ、かまいたち! お前がどれだけやれるのか、見せてみろ!」

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