第12話かまいたち その参

 サラワの森は暗くて闇深くて粘っこい空気――妖気と瘴気を発していた。

 人の手入れが行き届いておらず、ただそこにあるだけではなく、禍々しいナニカを備えている。普通の神経を持っていればすぐさま逃げ出したいと思うだろう。


「そういえば、あんたの下の名前なに? 望月は名字よね?」

「……あー、自己紹介まだだったな。俺は望月従吾ってんだ」


 サラワの森の入り口までやってきた従吾たちだが、緊張感のない会話をしていた。

 森からあふれ出る妖気と瘴気は肌どころか五感に訴えてくる。

 それに気づかない従吾ではない――しかし強がって隣にいるひかげにも花子さんにも言わなかった。いつもどおりの平静を装っていた。


「へえ。良い名前ね。不良とは思えないくらいに」

「誉め言葉として受け取っておくぜ……ひかげさん、このまま行くのか?」

「ええ、もちろんですとも。その前に望月氏、これをお飲みください」


 差し出されたのは包装紙に入れられた丸薬だった。

 BB弾と同じくらいのサイズで物凄く小さい。

 従吾は受け取りつつ「なんだこりゃ?」と不思議そうに眺める。


「ふひひひ。頭痛薬ですぞ。あらかじめ飲んでおけば痛くありません」

「森に入っただけで頭痛がするのか?」

「望月氏は霊力や妖力はありませんので、もろにあてられてしまいます」


 従吾は迷いなく丸薬を口に含んで飲み込んだ。

 花子さんは「あんた、よく飲めるわね」と不用心を責める目になった。


「そんな不気味な人の薬、躊躇もなく飲めるのは驚きだわ」

「ひどいですぞ、花子さん。この僕が怪しいとでも?」

「お化けに怪しいって言われたらおしまいよ。それより、中に入りましょう」


 花子さんの促しに従吾とひかげは頷いた。

 そして一歩森の中に足を踏み入れる――


「……な、なんだ、これ」


 全身が凍えるほどの寒さに襲われた従吾。

 冷水、いや氷水を浴びせられたと錯覚してしまうほどの悪寒で身体が震えてくる。

 それでいて己自身がかあっと熱くなる感覚――不気味な矛盾に包まれる。


「やっぱり、この森の妖気と瘴気はきついですなあ」


 従吾と同じ状況に陥っているはずなのに、ひかげは普通に歩いている。

 花子さんもどこ吹く風のように余裕で足を運ぶ。

 このまま森から出るのは負けた気になる――従吾はゆっくりと二人の後ろをついて行く。


「はあ、はあ……これが、サラワの森か……」

「喋る余裕があるのは流石ですぞ。呼吸を整えてしっかりと前を見るのです。薬が効けば冷気は収まり火照りも消えます」

「そうか……なら耐えるしかねえな……」


 それから五分後、薬の効力のおかげで、従吾はまともに身体を動かせるようになった。

 呼吸も整った――森の中は鬱蒼とした木でいっぱいだった。改めて周りを窺うとこちらを睨みつける視線を感じる。誰かが誰かとひそひそ話をしている声も聞こえる。どこか血の香りらしきものも漂ってきた。


『……帰れ』


 唐突に耳元で囁かれた従吾は背中に鳥肌が立つのを感じた。

 木の根に足を取られないように気をつけて歩いていたが、思わず転びそうになる。


「気持ち悪りぃなあ……さっきの話を聞いたのもあるが、不気味でしょうがねえ」

「……望月氏。気をつけてください。前に妖怪の反応があります」


 ひかげが手に持っている、妖怪の居場所を探る道具――針が前方を強く指す。

 目を凝らす――木の間から人影が見えた。


「誰だお前は! 出てきやがれ!」


 ドスの利いた声になる従吾。

 ガサガサと音を立てて――姿を現した。


 背丈の低い男の子――小学校高学年か中学校に入りたてぐらいだ――が睨んでいる。

 髪は赤みのかかった茶色でくりくりとしたくせ毛。

 まん丸な目の可愛らしい顔立ちでともすれば女の子に間違えられるかもしれない。

 服は灰色を基調にした着流しだ。和服に疎い従吾には着物を着ているとしか思えなかった。少し浅黒い肌で左腕を押さえている。唇からは血を流していた。


「お前……怪我してるのか?」


 目の前の少年が弱っているのを見て、警戒レベルを下げた従吾。

 それはとんでもない油断、気の緩みだった――


「――望月氏! 危ないですぞ!」


 鋭いひかげの叫びで反射的に後ろに飛んだ従吾の目の前で、空気を切り裂く音が鳴った。

 避けるのが遅ければ頭が真っ二つになっていた――いや、左頬を切り裂かれている。

 いつの間にか、少年の立ち位置が変わっていた。そして手には小さな鎌を持っている。目にも止まらない速度で従吾に斬りつけたのだろう。


「あっぶねえ……! 何しやがる!」


 従吾はどくどくと頬から流れる血を手で押さえつつ、ゆらゆらと身体を左右に動かしている少年に問う。


「あんたらには恨みはねえんだけどよ……」


 見た目通りの幼い声だった。

 しかしそれに疲労が含んでいるのが従吾には分かった。


「悪いが俺に食われてくれ……力、つけなきゃいけねえんだ……」

「ふざけんな。ただで食われてやるほど、俺ぁお人よしじゃねえんだ!」


 従吾は拳を構えた。かなり弱っているが相手は人間ではないと分かっている。

 さっきみたいな油断はしない。全力で戦うつもりだった――


「……う、うう」

「あ! おい、大丈夫か!?」


 少年がうつぶせに倒れてしまう。ゆらゆら揺れていたのは前後不覚になっていたからだと従吾はようやく気づいて咄嗟に駆け寄った。

 荒い呼吸をしている。まるで熱中症のようだと従吾は思い「なあひかげさん! 花子さん! どうにかしてくれよ!」と後ろを振り返って喚いた。


「あんたねえ……自分を襲った相手を助ける気?」

「僕も賛成できませんな。悪い妖怪かもしれません」

「そりゃあそうだけどよ! ほっとけねえだろ!」


 ひかげはやれやれを肩をすくめて、ゆったりとした足取りで従吾と少年に近寄った。

 ブレザーのポケットから紫色の数珠を取り出して、両手で握りしめて少年の胸辺りに添えた。


「おい。なんだよそれ――」

「少し黙っててください。僕の霊力を彼に渡します」

「ひかげさんも霊力があるのか……?」


 従吾の疑問に答えずに、ひかげは集中する――熱いエネルギーのようなものが少年に渡っていくのが感じられた。

 しばらくして、ひかげはそっと少年から離れた。

 ゆっくりと少年は目を開けて「なんで、助けたんだ……?」と不思議そうにする。


「望月氏に頼まれたからですな。お礼は彼に言ってください」

「その言い方はずるいだろ。俺が直接助けたわけじゃねえし」

「……ごめんなさい」


 ゆっくりと上体を起こした少年は従吾の頬に触れた。

 すると切り裂かれた頬が少しずつ治っていく――綺麗に塞がって跡も残らない。


「お前、やっぱり妖怪だったんだな。何者なんだ?」

「……かまいたち。人は俺たちをそう呼びます」


 ひかげは「やはりそうでしたか」と腕組みをした。


「治す能力を持つだけではなく、僕の指南盤にも反応しましたからな」

「お願いします。母ちゃんを助けてください」


 少年――かまいたちが頭を下げる。

 知らぬ間に従吾の隣にするりといた花子さんが「あんたの母親のことね」と確認する。


「かまいたちは三匹で活動する。だけど治す役のあんたが離れたことで親が暴れていると聞いたけど」

「違う……離れたのは父ちゃんと母ちゃんのほうだ」

「それはどういう意味?」


 花子さんの質問に「俺だって意味が分からない……」とかまいたちは眼から涙を流し始めた。


「唐突に現れた『あいつ』は……いきなり俺たちを襲った……父ちゃんが押してくれたから、俺はこの程度の怪我で逃げられた……だけど、戻ってきたら……」


 従吾たちは嫌な予感を同時に覚えた。

 かまいたちは深呼吸して――起きた事実を言った。


「父ちゃんはいなくて、母ちゃんは大怪我を負ってた。俺が傷を塞いでも、妖力が戻らない……このままだと死んじゃう……」


 かまいたちは大声で――従吾たちに懇願した。


「お願いします! 母ちゃんを助けてください!」

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