第3話 悟る
再び目覚めた私は、決死の覚悟で起き上がった。
ガラガラと点滴スタンドを引きずりながらトイレへ。鏡の中の顔を凝視する。コンタクトも眼鏡も無いけれどそこそこ見えるから、私より視力がいいらしい。
だから、はっきり分かったの。
別人だって事が。
なんでこんな事に……
もう、絶望しか無いよ。
若返って、ピチピチJKになれてラッキー!
んなこと思えない。思えるわけがない!
そんな単純能天気に割り切れる話じゃないのよ。
私は私のままがいい。だって、今まで必死に築き上げてきた『私』ってブランドがあるんだから。それを捨てるなんて耐えられない……
あれ以来、顔も見せない母親もどきを思い出す。
この子……氷魚沙夜って、親ガチャ最悪みたいだし、きっと碌な人生送ってこなかったに違いないわ。
死にたくなるような、苦しくて、悲しい人生。
そんなの嫌よ。
今さら負け組になんかなりたくない。
社会の底辺にならないよう、必死に頑張ってきたんだから。
勉強も人付き合いも、仕事だって。
寝る間も惜しんでの受験勉強。みんなに合わせていつも明るく振る舞って。
彼氏に気に入られようとオシャレして会話合わせて、料理教室通って。
その結果がこれ……
私はその場に崩れ落ちた。
今までの努力がぜーんぶ、無駄になっちゃった―――
こんなに早く死ぬなんて、聞いて無いよぅ……
声を上げて泣きたかったけど、こんな時にも人目を気にしている『私』がいた。
喉元で押しつぶされる悲鳴。
涙だけが静かに頬を伝い落ちていく。
ママとパパに会いたい……
反射的に立ち上がると、ナースステーションへと急いだ。
「あの、都月来未さんの病室を教えてください」
ぎょっとしたような看護師たちが困ったように口ごもる。
「病室をお教えするのは……プライバシーの問題もあるし」
「お願いです。教えてください」
なんで邪魔するの。私が私のことを見に行くだけなのに。
プライバシー? そんなのとっくに奪われてるわ。
「でも……」
「お願いします!」
「謝罪でもしにいくつもりですか」
その時、背後から野太い男性の声がした。
看護師たちが、今度は緊張したように押し黙る。
「氷魚沙夜さんですよね。私は新宿警察署の刑事、
「それって……事情聴取」
「そんな堅苦しいもんじゃありませんよ」
振り返れば険しい顔立ちの男性が二人。警察手帳を提示してきた。
そこで気づく。
そうだったわ。私は加害者なんだ―――
本当は被害者なのに、今は魂が入れ替わっているから、みんなからは加害者にしか見えないわけで……
警戒されても仕方ないんだわ。
ああ、もう!
酷すぎる。こんなややこしい状況を放置するなんて、あの死神、最低!
怒りと悲しみでわなわなと震える身体。
再びポロポロと零れる涙。
「……私が立ち会いましょう。謝罪に行きたいのなら」
一本の細い糸が降ろされた。不本意だけど縋りつくしかない。
「お願いします!」
ガラガラとうるさい点滴スタンドの音が、この気詰まりな移動時間を埋めてくれて助かった。
刑事と歩くなんて、怖いよ。
私の身体は先ほどICUを出て個室に移されたばかりだと言われた。近づくほどに聞こえてくる母親の嘆き。
「来未、来未、目を開けて。ママだよ。痛い思いをして可哀想に」
頭をぐるぐる巻きにされて、チューブに繋がれた『私』
その身体に縋り付いて泣いているママ。
ママの肩を支えながら悲しげに私を見下ろしているパパ。
そうだよね。こうなるよね。
私は……二人に愛されてるんだから。
私を抱きしめてくれる二人への信頼や感謝、謝罪が心に溢れて、涙となって流れ落ちた。
二人を悲しませてごめんなさい。
でも、違うの。
本当は生きてるの。
ママ、パパ。私はここにいるよ。
見た目は違うけど生きてるんだよ。
ねぇ、抱きしめてよ。じゃないと、怖くて悲しくて、気が狂いそうなの。
二人だったら気づいてくれるよね、私のこと。一緒に元の身体に帰る方法を考えてくれるよね。
ヨロヨロと縋りつこうとして、背の高い刑事にガシリと腕を掴まれた。
「失礼しますよ」
年上の刑事の声掛けにこちらを見た両親。
その目が私に注がれて……みるみる鬼の形相へと変化した。
いつもは優雅に動く母親が疾風の如き勢いで駆け寄ってきた。肩を掴まれガシガシと揺らされる。
「……ママ」
「あんたのせいで来未は……殺人鬼!」
食い込む憎しみの目。
「返して、来未を返して!」
被害者の母親から加害者が向けられる視線としては当然で、寧ろこれは
頭では、分かっているの。
でも、剥き出しの憎悪は、向けられるだけでメンタルが削られるって分かった。
あっ……
私の中で何かが崩壊していく。
ここにいるのに。気づいてもらえない。
見ているのに、見ていない。
これが、本当の孤独ってやつなのかな。
絶望の味は砂を噛むようにジャリジャリと味気無くて。
この世に『私』は、もういないんだ。
横たわる『私』だった肉塊を見て……
そう、思った。
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