13. 明日は市場だ、うれしいな


 明日は市場でジャミルと会えると思うと、玄関はうれしくて踊りたい気分だ。


 明日というものに縄をつけられるのなら、引っ張って、少しでも早く今日に近づけたい。

 

 昨年はラティハの誕生日に悲しい事件があったから、たくさん優しい言葉をかけてあげたい。


 最近は時々ある歌が、ふっと口から出てきそうになるのだが、頭の中で眠っていて、まだ起きてこない感じ。もどかしい。


 散歩が情報を集めてきたから、昨年のあの日、何が起きたのかがわかった。

 いくら隠しても、事実は漏れるのだ。

 あの日、最初、少女たち6人は、ジャミルの飴細工作りを見て楽しんでいた。


「鶴をこんなに上手に作れるということは、鶴のことをよく知っているのか」

 とヘリマが言った。

 そうですとジャミルが頷いた。


「それなら、鶴の舞いをみせてはくれないか」

「ぼくは飴作りなので、踊りはできません」

「鶴をよく知っているというのなら、鶴のように舞えばよいだけの話ではないのか。みんなも、そう思わないか」

  少女たちはヘリマにけしかけられて「見たい、見たい。舞え、舞え」と口々に言った。


 実は、市場で飴を買い上げたのも、余興にジャミルを呼んだのも、ヘリマがラティハに指示したからなのだった。

 ヘリマが、群れから抜けて、ジャミルに近づいた。


「かわいい顔しているじゃない」

 ヘリマが指でその顔に触れたかと思うとチュッとキスをしようとしたから、ジャミルは驚いてヘリマを手で払った。

 その勢いでヘルマは片方の足を上にあげるというひどい恰好で尻もちをついたから、女子たちがはははと笑った。


 それを見てヘルマはすごい目で睨んだから、女子たちはおどおどと下を向いてすぐに黙った。ヘリマは年下の前で恥をかかされたから、頭に血が上った。


「私を誰だと思っているんだ」

 ヘリマはジャミルに攻め寄った。


「おまえは、行儀の悪い客だ」

「なんだと」

 真っ赤になったヘリマは、ジャミルに抱きついて強引にキスをした。

 ジャミルが身体をつき離して、仕事箱を投げつけたので、箱が壊れた。

  ヘリマは逆上してわけがわからなくなり、彼の服を力いっぱいに引っぱったから、彼の服が破れてしまった。


 

 その話を聞いた時、玄関は泣いて、鼻が真っ赤になった。

 なんてかわいそうなジャミル。そばにいて、助けてあげたかった。ヘリマの顔を、思い切り一発、なぐりつけてやりたかった。

 でも、明日になればジャミルに会える。たくさん慰めてあげよう。

 


 その夜、アーニャが玄関を部屋に呼んだ。

「話しておかないといかんことがある」

「なんですか」

「実は、ジャミルは市場にはもういないんじゃ」


「えっ」


 玄関はあわあわあわとしどろもどろになった。

 「ど、どういうことですか」

 昨年の事件の翌日、アーニャは市場に行った。

 その日はお風呂の日で、準備に忙しい日だったから、朝一番に出かけたのだった。

 ところが、市場にはもうジャミルの姿がなく、そこには飴屋の親方がいた。


「ジャミルは昨日、青い顔をして戻ってきて、行ってしまった」

「どこへじゃ」

「西の国へ行くと言ってた」

「いつ帰ってくるのか」

「許されたら、来年の夏祭りまでには帰って来ると言ってた」

 ジャミルはこれまで育ててくれたお礼を言って、夜の中に消えていったのだという。 

 

 仕事箱は壊れただけではなく、引き出しから水飴が流れ出て、あちこちにこびりついてしまったので、修理には時間がかかる。だから修理が終わったら届けるとアーニャが親方に言った。 

 親方はジャミルがいないと飴の仕事は続けていけないから、これで引退する。仕事箱はジャミルが戻ってくるまで、そこで預かってくれと言った。


「これがジャミルの仕事箱」

 アーニャが戸棚から四角い木の箱を出した。

 

 玄関が蓋をあけると、中に、大きなハサミがはいっていた。ジャミルは、これで飴細工を作っていた。


「それから、ジャミルが戻ってきたかどうか、時々、見に行っていた。実は昨日も訪ねてみたんだけど、ジャミルは戻っていない」

「親方は、夏の祭りが過ぎたら戻ってくると言ったんじゃろ」

「そうなんだけど、ジャミルは戻っていない」

 玄関の顔が真っ白になった。


 ジャミルがこの土地にもう1年も住んでいなかったのかと思うと、急にこの1年が空しいものに思えた。


「ジャミルは許されたら帰るって言ってたんだべ、それはどういう意味なんだ。誰に許されるんだ?」

「わからない」


「西の国って、どこだ」

「わからない」

 玄関がわかるのは、ジャミルは太陽が沈む方角に行ってしまったということだ。

 

 地震はその話を聞いて、思い出したことがある。

 あのジャミルが工房に来た翌朝早く、アーニャが出て行くのを見たが、あの木製の仕事箱は持っていなかった。

 外から帰って来た時には、下を向いて泣きそうな顔をしていたが、玄関に会った時、むりやり微笑んでいるように見えた。でも、そのことは言ってはいけないような気がして、地震は玄関には伝えなかった。

 

 あの時、ジャミルはもう市場にはいなかったのだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る