第二十五話 覚悟を決めろ

芹沢暗殺の計画は、慎重に段取りが組まれていった。怪しまれぬように芹沢の行動傾向や、共寝する女が通う頻度、どれくらいで酔いつぶれるかなど時間をかけて分析をしていく


「当日や明かりなんぞ灯せないからな。総司、目をつぶっても八木邸の離れを歩けるように全部叩き込んでおけ」


「すでに進めていますよ、門から全ての寸法まで抜かりなく」


近頃八木邸に足しげく通っていたのはそのためだった。土方が沖田にこれを命じるということは、先陣切って斬りこんでいくのは沖田だということを意味する。

一方橘は八木邸の人々を巻き込まぬよう、夕刻から夜間にかけての観察を命じられた。あくまで奇襲という形をとるため、間違っても八木邸の者に感づかれたり我々の正体を見抜かれてはならない。


八木邸や近所の子供たちと遊んでいる沖田をぼんやりと眺めながら、自分は誰を斬ることになるのだろうかと橘は頭の中で反芻していた。芹沢だけでなく、新見や平間がその場にいれば粛清対象になる。いや、その場にいなかったとしても二人間芹沢の腹心だ。間違いなく近藤らに疑いの目を向けるだろう。そうなる前に、何かと理由をつけて斬ることになりそうだ。

そしてー、お梅の顔が脳裏に浮かぶ。彼女もこの手で斬ることになるのだろうか。そうならないために日々お梅がやってくる規則性を掴もうと探っているが、結局のところ当日になってみないとわからない。「そのつもり」でいろ、と橘は土方に釘を刺されていたのであった。


「あそこにおるおにい、えらい暗い顔してるなあ」


鬼ごっこをしていたのをふと足を止めた八木家の息子、勇之助が橘を心配そうに見つめながら沖田に言う。


「本当だ、腹でも痛いのかな」


沖田は勇之助を抱き上げると、そのまま橘の方へ歩み寄る。


「そんなに怖い顔していたら、子供たちが怯えちゃいますよ」


片手を橘の頬へ伸ばし、無理やり口角を持ち上げる。

勇之助はその様子を見てケタケタと笑っている。


「やめへくだはい」


「飛鳥さんは笑顔の方が似合うんだから・・・と言おうとしましたがあまり普段から笑わない人だったな」


「よくおわかりで」


つねられた頬をさすりながら沖田を見上げると、存外目が笑っておらず思わず息を飲んだ。


「こんなところでそんな顔をしていたら、のでやめなさい」


勇之助が気づかない程度に、沖田の纏う空気が少しだけぴりついた。


「・・・申し訳ございません」


橘は返す言葉もなく謝罪する。自分とは違い普段と変わりなく落ち着いている沖田を見て、橘は自分を恥じる他なかった。




そしておよそ一月後、その晩はやってきた。

すでに丑の刻も近いが、近藤・山南は現在角屋で芹沢一派を引き連れて大宴会を催している最中だ。

もう半刻もしないうちにひどく泥酔した芹沢が帰ってくる算段だ。

予定外なのは天候は生憎のひどい雨で、道がぬかるんでいるくらいか。



壬生寺の表門にほど近い一夜天神堂の軒下で、息を殺して知らせを待つ。

いつその時が来ても良いように、土方・沖田・原田・橘は黒い装束に着替え頭から更に黒い頭巾をかぶった。口元も覆い、さながらその外貌は戦国の世の忍びである。


ふと、橘は腰に刺した国俊に目をやる。八木邸は鴨居も低く長物を振るには危ない。脇差のみで行こうか迷い国俊を腰から外しかけたがー、不測の事態があるやもとすぐに思い直して差し戻した。


「良いか、声は出すな」


緊張感ある土方の声に一同は静かに頷く。


「先頭は沖田。次に俺、原田、殿は橘で行く。万が一取り逃がした奴がいたら、お前のその足で追いかけてすぐ仕留めろ」


土方が橘の足に向けて顎をしゃくる。


「いいか、その場にいる奴は全員斬れ。例外はないぞ。全員だ」


最後の言葉は橘に向けたものか。

橘は「御意」と小さく答えた。


「皆、待たせたな」


そこへ足元を濡らした近藤が傘をさしてやってくる。


「遅えよ。朝までかかるかと思ったぜ」


土方が軽口をたたくが、やはり緊張しているのかいつもの調子よりも暗く聞こえる。


「今山南君が八木邸へ芹沢らを送り届けたところだ。行こう。」


幸いにも雨音で足音はかき消される。八木邸の勝手口に到着し、しばらく待つと山南が疲れた顔をして出てきた。全員の顔を見渡し、そっと小声で報告をする。


「全員ぐっすりだ。芹沢殿はいつもの部屋に、平山君、平間君は屏風を挟んで同じ部屋にいる。新見君は残念ながら馴染みの女の家へ帰った」


土方が舌打ちをする。ここで全員まとめて粛清するつもりだったのだろう。


「それともう一つ。桔梗屋の芸妓、そしてお梅殿が共寝をしている」


その山南の言葉に、橘は誰にも感づかれぬように小さく肩を落とした。そして息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐く。覚悟を決めろ、そう自分に言い聞かせるように。



沖田を先頭に、後に続く者は前を進む者の腰に手を添えて慎重にすり足で進んでいく。草鞋も脱がず、離れの裏から芹沢らが寝る部屋へ回り込むようにして向かう。平山と平間が女と共にそれぞれ大きないびきをかいて寝ており、そのすぐ横に屏風を隔てて芹沢・お梅が共寝しているようだ。気配を消して、ゆっくりと部屋に侵入した。

まず土方と原田がすらりと抜刀し、土方が平山の、原田が平間の首と胸に狙いを定める。その横を通り過ぎ、沖田と橘も刀を抜いた。土方と原田が刀を振り下ろすと同時に沖田が芹沢に覆いかぶせるように屏風を蹴り倒し、屏風ごと橘と同時に刀を突き刺した。


男と女の断末魔の叫びが耳をつんざく。


(考えるな、考えるな、考えるな!!)


無我夢中で何度も屏風に刀を突き刺した。が、芹沢が物凄い力で屏風を押し返し、枕元に遭った刀を抜いて勢いよく振り回す。


(どこにそんな力が残ってるんだ!!)


すんでのところで芹沢の剣先を交わし、血をだらだらと流しながらなおも縁側へ逃げようとする芹沢を沖田と橘が追いかけようとする。が、橘の袴が何かに引っ掛かった。


(?)

足元を見ると、細く白い腕が血まみれの布団から伸び、橘の袴の裾を掴んでいる。


(―!!)


橘はゆっくりと枕元へ視線を移した。鼓動が早くなる。視界が揺れる。そして、真っすぐにこちらを射るように見つめる白い顔をしたお梅と目が合った。橘の顔は頭巾に隠され、目元しか出ていない。それでも、お梅は視線が合うとかすかに目を見開き、かすれた声で言った。


「ころして」


かすかな、消え入りそうな声。しかし橘の耳にははっきりと聞こえた。お梅の瞳から一筋の涙がこぼれる。すで胸や腹、全身を刺され、血がとめどなく布団から畳を赤く染めていく。放っといてもこのまま死ぬだろう。しかし橘は、お梅の最後の願いを無視することはできなかった。


震える腕でしっかりと刀の柄を握り直し、刀を構える。


(・・・せめてもう苦しまぬように)


首を目掛け刀を振り下ろした瞬間、お梅が穏やかに笑ったような気がした。





縁側を最後の力を振り絞って逃げる芹沢を、沖田はじりじりと追いつめていく。


「クソ!クソ!!クソッッッ!!!」


逃げながら刀を振り回してくるため、間合いがどうも詰められない。視界の端で母屋の灯りが灯ったのが見える。騒ぎを聞いて八木家の人々が起きたようだ。


(急がなければー)


芹沢が部屋に逃げ込もうとした時、何かに躓いてそれは派手に転んだ。


(好機!)


沖田はすぐさま間合いを詰め、芹沢の胴を斬りつける。


(!!)


確かな手ごたえはあったが、壺やら火鉢の砂やらが立て続けに飛んできて止む無く後退する。あんなに血を流しているのにまだ動けるのか、と苛立ちを覚えた時―、ふくらはぎの裏に何かが引っ掛かった。


(しまっーー!!)


先ほど芹沢が躓いた文机である。転んだ衝撃で事前に頭に入れておいた位置から大きく外れた場所まで移動していたようだ。


背中から倒れていく中、受け身をとる間もなく、芹沢がここぞとばかりに頭上から切り込んでくる。倒れる寸前に思いつきで振りかぶった脇差は、なんと鴨居に引っ掛かり抜けなくなってしまった。


圧倒的不利な状況を悲観したその時、芹沢との間合いに何者かが入り込んだ。橘だ。

キイインと刃がぶつかりあう音が響く。体格的にも不利な橘は、芹沢の力をうまく受け流し応戦している。が、火事場の馬鹿力というやつか。芹沢の重すぎる斬撃に橘は防戦一方となってしまっていた。


パキン!!


「!!」


あろうことか橘の脇差の刀身が、真っ二つに折れてしまった。


「死ね!!」


目を血走らせながら芹沢は橘の心臓に向かって突きを入れようとした。


その瞬間、姿勢を整えた沖田が目にも止まらぬ速さで加州清光を抜き芹沢の腕ごと斬り落とすと、そのまま沖田の十八番である突き技を芹沢の心臓に決めた。芹沢はついに動きを止め、口から大量の血を吐く。橘も国俊を抜き、芹沢の首の一番太い血管がある位置を容赦なく切りつけた。

勢いよく血しぶきを噴き出しながら、芹沢はゆっくりと倒れた。


強敵だった。一歩間違えればこちらが死んでいた。

橘は思わず止めていた呼吸を、なんとか再開する。


一息つく間もなく、沖田は鴨居に刺さった刀をなんとか抜き、

返り血で染まりながら茫然と立ち尽くす橘の背中を叩く。


我に返った橘は沖田と視線を一瞬合わせると、そのまま素早く八木邸を後にする。

合流場所まで走る間、橘の心臓はなおも激しく鼓動していた。全身が逆毛立っているいるような高揚感。そして、脳裏に焼き付くお梅の最期の顔―。感情の整理がつかぬまま、そして泣きたいのか笑いたいのか自分でもわからぬまま、橘は雨の中沖田の後ろを懸命に走り続けたのであった。

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