蒼鳥が舞う-男装剣士は沖田総司のために自重しない-
たつ
序章 明治二十六年
1963年、某大手新聞社朝刊の文化面に、小さくある記事が掲載された。
『新選組生誕100周年、隊士の新たな日記発見か』
記事には所謂回顧録ではなく、日記であることが最も重要な点だとある。当時の新選組の様子を脚色なくかつ時間差なく記録されているからだ。
そしてこの日記帳には筆者の記名がない。しかしその新聞社曰く、日記帳と共にある人物達の直筆署名及び押印が連名でされていた書簡が見つかったという。
その書簡にはこう記されていた。
『この日記を、以下の名に於いて新選組隊士 「橘飛鳥」のものであることをここに証明する───
───杉村義衛・藤田五郎』
橘飛鳥とは、これまで新選組の歴史を語る上で殆ど知られぬ名である。なぜ100年という節目まで、この日記帳を世間に公表しなかったのか。それは発見された当時の社会情勢が理由であった。
──時は遡り明治二十六年十月某日、この時期にしては珍しく日が照り付け汗ばむような日。東京日日新聞の新聞記者である伊藤虎吉は、東京の牛込にいた。肩から下げた荷物を大事そうに更に腕に抱え込みながら、とある立派な剣道道場に足を踏み入れるところである。門弟と思われる若者に客間に案内され、しんと静まりかえったなかで、伊藤は膝の上に乗せた拳を緊張のあまりぎゅっと握りしめた。
ひた、ひた
(きた)
滑るような、一切無駄のない静かな足音が徐々に近づいてくる。間もなく襖が開き、立派な髭を拵えた体格の良い壮年がの目が、正座して縮こまる伊藤の姿を捕らえた。
この壮年こそが、杉村義衛─かつての名を、新選組二番隊組長、永倉新八という。
「今日はやけに蒸すな。暑い中よく来てくれた」
そういってこちらに笑いかけるが、柔らかい口調とは打って変わってその眼光は鋭い。これが動乱の幕末を駆け抜けた人の目か。と、明治生まれの伊藤は杉村に向かって頭を下げる。
「こちらこそ、不躾におじゃまして申し訳ございません。お会いできて光栄です。東京日日新聞文化部の、伊藤虎吉と申します。」
「ああ、そのままそのまま。して、本題に入ってよいかな?君から連絡を受けてから、気になって夜も寝られんのだ」
鋭い眼光を更に鋭くさせ、そわそわしながらずいと身を乗り出す。その圧に押されそうになりつつ、伊藤はなんとか言葉を続けた。
「その件ですが、もう一名お揃いになってからご覧いただいたほうがいいかと思い…」
その時、襖が予兆もなくガラッと開いた。
「すまない、遅れたか」
重厚な底に響く声に、伊藤は小さくヒッと声をあげた。
「なに、今始まったところさ。ええと、今はなんていったっけな」
「藤田」
「そうだった、あれだ、藤田三郎君?」
「五郎です。三十年ぶりだというのに、とんだ歓迎の仕方ですな」
藤田と名乗った男の声は明らかに苛立っていた。
対して杉村は冗談だとケタケタ笑っている。伊藤は完全に蚊帳の外だった。
藤田五郎─そう、新選組三番隊組長、斎藤一のことである。
本日この日、幕末の殺戮集団として明治の世にも言い伝えられている、新選組二番隊組長と三番隊組長が、この牛込の道場に合間見えたのだ。
伊藤は鞄の中から、慎重に布に包まれた日焼けした分厚い書物を取り出した。
「こちらになります。状態があまりよくないので気をつけてください。こちらの手拭いをどうぞ」
藤田は黙ってその手拭いを取り、身長に書物を手に取り頁をめくった。
今日伊藤が二人を呼び立てたのは、新選組関係者と思われる者の新たな日記が発見されたからだ。
「見つかったのは雑司ヶ谷の民家です。記名はありません。」
「誰が書いたか何もわからないのか」
少し気落ちしたように杉村が言う。
「…すでに書いた本人は10年ほど前に亡くなったそうです。ただ、この日記を持っていた方が言っていました。これを書いたのは『春』という方だそうで」
「「春?」」
聞き覚えの無い名だ。最も、朝敵であった新選組の生き残りは、皆名前を変えて生きているのでこれについても偽名である可能性は高い。
杉村と藤田は黙って日記をめくっていた中で、何かに気づいたようにふと視線を合わせた。
「これは…まさか……」
「言い伝わっていたのはそれだけではありません。春というその人は、自らを『沖田総司の妻』だと名乗っていたようで…。男所帯である新選組に女がいたとは聞いたことありませんので、これは聞いた人の記憶違いと踏んでます」
「いや、これは新選組隊士のものだし、記憶違いでもないよ。」
遮るように藤田が言う。
「え?いやそんなわけ…」
「─懐かしいなぁ、そうか、つい十年前まで生きていたのか…会いたかったものだ…」
今度は杉村が、目頭を熱くしながら日記をゆっくり撫でた。
「筆跡から誰かは大体想像できたよ。これは、橘君のもので間違いない。」
藤田はそう断言したが、伊藤の頭は先程から話の展開についていけてなかった。
「ええと、どういうことでしょうか?そのタチバナ君とは、一体何者ですか?」
うーん、と藤田は罰が悪そうに首を傾げる。
「なんと言ったらいいものか。橘君は歴とした武士だったよ、間違いなく。」
全く同意だ、と、傍らで杉村が力強く頷いている。
「別に女の入隊を禁止してたわけじゃない。もちろん女を募集してわけでもないがな。必然的に入隊できる実力を備えた奴が、殆ど男だっただけさ。江戸の新徴組にも、女隊士がいただろう」
杉村が言うのは、新徴組の隊士であった中澤琴のことだろう。
「しかしこの日記の存在は、資料としてもまだ世間に公表はできんな」
そういう杉村の表情は険しい。
「やはりそうですよね…」
この時代は明治に入ってまだ浅く、世間では新選組といえば現政府のかつての敵であり、そして朝敵という印象がまだ根強く残っていた。
世間に資料として公開したところで、当時の生き残りで新選組に恨みを持つものは多くいる。貴重な資料が燃やされる可能性は十分にあった。
「伊藤君、もし可能ならば来るその時まで、この日記帳を君の新聞社で保管しておいてはくれないか。」
杉村は姿勢を正し、伊藤を真正面に見つめて言った。
「それは可能ですが、こちらが所持していて良いのですか?」
藤田も黙って頷く。
「我らが持っているより遥かに確かだ。世の中の意識が変わった頃を見計らって、この日記帳を公表して欲しい。必ず。」
「この通りだ」
そう言って二人は伊藤に向かって頭を下げた。
かつて幕末を生き抜いた二人の猛者の、自分に向けられたあまりの真剣な様子に思わず伊藤はたじろいだ。が、すぐに伊藤も姿勢を正し二人に向かって頭を下げ返す。
「わかりました。その時が来たら、必ず」
杉村と藤田がほっとしたように肩の力を抜いた。
しかし伊藤はまだ気になることがあるらしく、聞いて良いのかわからないが、という様子でおずおずと口を開く。
「あのう、差し支えなければその『タチバナ君』について詳しく聞かせてもらっても?」
思わぬ質問に杉村と藤田は顔を見合せつつも、ゆっくりと頷いた。その表情は二人ともどこか穏やかである。
「せっかくここに日記があるんだ。是非とも読みながら思い出話といこうじゃないか。新八さん、すみませんが酒はありますかな。」
「もちろんあるとも。折角斎藤君が来たんだ。用意しないはずがない」
そう言葉を交わす二人の姿は、まるで三十年前の凛々しき青年のようであった。
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