第2話 謎
「いや、いやいや、ちょっと待って」
「僕ずっとこの家で暮らしてきたけど、僕とお母さん以外この家誰も住んでないじゃん」
「はぁ? 何言ってるの。
「やがと?」
「あなたのお父さんの名前。……本当に知らないっぽいわね」
「見たこと無いよ……。家にいる時間僕多いけど、人気なんて全くないよ。靴だってお父さんらしき人のものないし、食器だって、服だってないじゃん」
「あの人は基本外に出るとき裸足だからねぇ~。って、食器と服はあるわよ。
その場の流れで不意に
「はぁい……。それで、お父さんってこの家のどこにいるの?」
「一階の廊下の奥に扉あるでしょ。そこよ」
練摩の家は二階構造の一戸建てで、練摩の部屋は二階にある。一階には台所や居間などの家族共有のスペースがあり、家の中心に玄関から一直線に伸びる廊下で繋がっていた。その一番奥。玄関と真反対にある、日に当たらずジメジメとした陰湿な空間。壁に沿って様々なものが散乱しており、ある種の物置と化している空間である。その壁の一部には扉があった。そこが、父親の部屋ということらしい。練摩はそんなこと露知らず、やれ虫が出そうだの幽霊が出そうだので近寄ろうとしてこなかったのだ。
「あそこ物置の扉じゃなかったんだ。一回も入ったこと無いから分からなかった」
「まさかこんな……練摩が軈堵のこと知らなかっただなんてねぇ…………」
机の上に置かれていた緑茶をクイッと一飲みする真楽。驚きと困惑が、その声色と動きのぎこちなさに出ていた。
「最近練摩と話してるのか、ってこの前聞いたら、話してるって感じの素振りしてたから普通にふれあってるのかとばかり……」
真楽が今日こうして昼間から家に居るのは特別で、普段は夕方になるまで働き詰めて帰ってくる。その間練摩は留守番ということになるのだが、真楽はてっきり父親である軈堵がその間練摩を見守っているのだと思っていたらしい。
素振りってことは、返事したワケじゃないんじゃ……? 練摩はそんなことを薄っすらと考えていた。
「今もいるの?」
「いないわ。あの人、この頃よく家を空けてどっか行ってるのよ。半年ぐらい前はほぼ毎日家に帰ってきてたかと思えば、最近は全くと言っていいほど帰ってこない……と思えば、家に練摩も
「へぇ…………お父さんって、何の仕事してる人なの?」
「無職よ。だから私も普段あの人が何してるか知らないの」
「えぇ……」
_____________________
「…………ってことがあって」
次の日。練摩は登校してから一目散に
「やっぱりそうだよね。
「ごめん。今日は放課後
「そっか。んじゃまた別の機会で」
練摩が自席に戻るなり、前の席に座っている
「練摩くん、百良ちゃんに家誘われてなかった?」
会話は、少し離れた場所に居た照稀の耳にも入っていたようだ。
照稀は普段学校の授業に真面目に取り組むなり、八方美人で人当たり良く誰とでも仲良く接するなりと、どの学校にも一人はいる優等生の立場にいる人間だ。しかし、こと色恋の話になると、同学年のどの女子よりも話にのめりこむ。冷やかしするつもりは毛頭なく、ただ単に日々の娯楽の一部として
練摩は照稀の問いに、「うん」と軽く返事をした。
「初対面だって言ってたのに、やっぱり昨日何かあったの? いや、僕の知る余地はないか。わざわざ二人っきりで話してたわけだし、大事な事なんだろうきっと」
照稀は普段と打って変わって早口でまくし立てる
「傍から見たらカレカノみたいだったよ」
「そんなんじゃないって~。昨日分かったんだけど、どうやら僕と百良ちゃん同じ家族らしくて……」
「えっ!? 僕たちまだ小学生だよ!?」
「だからそういうのじゃないってば~!」
それから百良と話をすることは無く夜が訪れた。
百良の家は、一般的な住宅と比べてかなりの広さがあった。平屋の代わりに、奥行きが充実している。そこには、何人もの
いくつもある部屋の中で、最も広いのは居間だ。そこは旅館でいう宴会スペースのような広さを誇り、人が何人入るか想像できないほど一面に畳が敷かれていた。
その隣は、台所である。台所はそこまで広くなく、といっても一般家庭の物よりはだいぶ広い。冷蔵庫は三つあり、大量の食器棚の中にはおびただしい量の食器が入っている。
そこに、夕飯の準備をしている人影が一つあった。
「ねぇお母さん」
百良が話しかける。
百良と同じような髪色をし、前髪を真ん中で分けている。紫色のジャージはサイズが小さめなのか、体にピッタリとくっついてスラッとしたボディラインを浮かび上がらせていた。声をかけられ百良の方に振り向き、生まれつきのジト目で百良を視界に捉える。
業務用の巨大な鍋でスープを作っており、お玉で小皿に注ぎ味見をしようとしていた時だった。
彼女の名は
「どうしたの? 百良」
「お母さんさ、
カツン、と。小皿が飌奈の手から滑り落ちた。
床に広がるスープに飌奈は目もくれず、百良を凝視する。
手が震え、次に唇が震えだす。
「お、お母さん?」
今まで見たことの無い母親の挙動に、百良は困惑する。
「い、今……なんて…………?」
「え、や、軈堵さんって人知ってる? って……。多分、ウチの家族の人だと思って……」
百良がそう言っている最中に、飌奈は両手で百良の肩をガッシリと掴んだ。
「軈堵……⁉ あなた、軈堵って言ったの⁉ なんで知って……どこでその名前聞いたの⁉」
飌奈は興奮気味で問いかけた。身体からは
「い、痛いっ。痛いよお母さん!」
その声で冷静さを取り戻し、百良の方から咄嗟に手を離す。百良の肩には今の一瞬掴まれていた跡と、飌奈の手から湧き出た手汗が付着していた。
荒くなった呼吸、涙の幕が張ったように見える眼。
普段のクールな母親の尋常ならざる様子に、百良までもが若干混乱し、心配していた。この様子、どうやら飌奈は軈堵のことを知っているようだ。
火をつけっぱなしにしていたコンロの上にある鍋から、沸騰したスープがブクブクと鍋から溢れ、火と接触してジュージューと沈黙を切り裂くがごとく音を立ていた。
「ごめんなさい……。つい……それで、その名前をどこで聞いたの?」
「転校した先のクラスで纏い気出してる人がいて、そのお父さんの名前が……」
途端に、飌奈の左目から涙が頬を伝って流れた。
手で拭うと、今度は右目から。それを拭うと左目から、右目、左目…………。次第に両方の目から、大量の涙が溢れた。飌奈はコンロの火を止め、涙で濡れた顔を手で覆う。何度か鼻をすすった後、「あ、あとでその話、ちゃんと聞かせて…………」と嗚咽交じりの涙声で尋ねた。目の周りはあっという間に赤く腫れあがり、手もあらゆる液体にまみれ水で濡らした後の様になっていた。百良は肯定の意を示すと、ズボンからハンカチを取り出して飌奈に手渡した。
一通り落ち着いてから、飌奈は百良の方を向きなおした。
「あと、この話、絶対この家の他の人に話しちゃだめよ」
百良は夕飯を食べる際に他の親戚に聞こうと思っていたので、この忠告には最初「えっ」と声を漏らした。しかし飌奈の真剣な眼差しを受け、「わかった」と返事をするほかなかったのだった。飌奈の意図は分からないが、ただ事ではないのだろう。
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