episode 10-3 今日だけは、私を見つけないでっ
始まった不釣り合いな私の初恋は、密かにその想いを膨らませていった。
けど、何をさせても駄目な私と、当時からサッカー部に入っていてレギュラーを張っていた冬生くんとでは、あまりにも釣りあっていなかった。
そんなこと、誰に言われるまでもなく、理解していた。
それでも、何度か私は冬生くんに想いを伝えようとした。冬生くんの誕生日や、バレンタインデー。伝えようとしたのはいいけど、直接言う勇気なんてあるはずなくて、溢れそうな想いの丈を手紙にしてみたりもした。
……渡せるわけもなかった。私が中一・中二のときの計四回、手紙を書くだけ書いて私は結局渡せなかった。
誕生日プレゼントやバレンタインチョコと一緒に渡せば、それで済むのに、後ろ手に何度も隠した便箋は、今も日記の最後のページに挟まったまま。陽の目を浴びることなく、ずっと部屋の勉強机の引き出しにしまい込まれていた。
ようやく私が冬生くんに告白できたのは、私が高校一年生の夏休みのときのこと。
私は冬生くんに誘われて、都内で開かれた夏祭りを訪れていた。
夏休み真っただ中のこの日のお祭りは、花火大会も同時に行われるということで、多くの人でごった返していて、屋台ひとつ回るのも一苦労、そんなありさまだった。
それくらいの混雑で、果たして私が冬生くんとはぐれないかと聞かれたら、答えは当然ノーだったわけで、開始三〇分でものの見事に私は冬生くんの姿を見失ってしまった。
「……ど、どうしよう……」
冬生くんに連絡を取ろうとするけど、なかなか電話は繋がらない。
どうすればいいかわからず、混みあっているお祭りの会場をひとりでフラフラと彷徨っていると、
「こんなところにいた。探したよー、優羽。いつの間にか側からいなくなっているから、びっくりしちゃった」
やっぱり冬生くんは、私を見つけるのが上手みたいで。ラムネ瓶を二本手にした彼は、にっこり微笑みながら私に一本手渡してから、反対の手を繋いだ。
「はい、暑いし買っちゃった。やっぱり夏と言えばラムネだよね。それに、またはぐれるとあれだし、こうしとこっか」
「……っっっ」
手のひらから伝う、冬生くんの温かい感触。耳を衝く、祭囃子と行き交う人の喧噪。打ちあがった、夜空を彩った夏の火花。
自然と、想いは口に漏れてしまった。
「……好き、です」
「…………。……え?」
たったひとこと。されどひとこと。それでも、私にとっては大きなひとことで。
「……今、好きって言ったけど、な、何が? 花火? それともお祭り? あ、ラムネのほうだったりする?」
「……冬生くん、が。……好き、です」
「……ほ、ほんとに?」
「嘘なんて、つかないよ……。ずっと、ずっと前から、だったし……」
「そ、その好きって、幼馴染として? それとも」
「……う、うう、わ、わかっているくせに、聞かないでよ……」
恥ずかしさで顔が発火してしまいそうなくらい熱くなっている。けど、それは冬生くんも同じだったみたいで、何度も聞き返してくる様子からもわかった。
「めっ、迷惑なら聞かなかったことにしていいからっ、忘れてっ」
「忘れられるわけないじゃん、こんなこと言われて」
「ひぅ……」
「……迷惑じゃない、よ。迷惑じゃない」
夜空に描かれ続ける花火を横目に、冬生くんは静かに続ける。
「……僕で良ければ、付き合おう、か」
その言葉が聞こえたとき、私は無意識のうちに冬生くんを二度見してしまった。
「い、いいの……?」
「……うん」
三年越しの片想いが叶った瞬間だった。
そうして、晴れて幼馴染から彼氏彼女の関係になれた私だったけど、私は付き合っていることを隠すよう冬生くんに頼んだ。
心のどこかに、私じゃ釣り合いが取れていない、っていう意識があったからだと思う。私は付き合い始めたことを話す友達がいないからいいけど、冬生くんにも同じように誰にも言わないようにお願いをした。もちろん、冬生くんと仲が良い、山形さんに対しても。
もはや親友と言っても過言ではないくらい、山形さんと冬生くんは親密な関係で、そこに恋愛感情が無いとわかっていても、もやもやしてしまう。
さらに、付き合い始めた夏休み明けには、冬生くんのクラスに転校生──白沢さんがやって来て、親しくなってしまう。なんだったら、山形さんよりも異性として近づいている雰囲気がするから、もっともやもやしてしまう。
わかっている。付き合っていることを隠しているから、こういう余計な嫉妬が生まれてしまっているのも。全部隠さなければ、こんな嫌な独占欲を出さなくてもいいことも。
けど、どうしたって私に自信はなかった。冬生くんの彼女として、堂々と隣を歩く勇気なんて、どこにも無かった。
そんな私の我儘も、冬生くんはちゃんと聞いてくれて、結局付き合い始めて一年近くなった高二の五月まで、冬生くんは私との関係を誰にも言わずにいてくれた。
迎えた冬生くんが三年生の五月上旬。冬生くんにとって最後の高校の大会となるインターハイの東京都地区予選、ブロック決勝。
この日、私は冬生くんに言ってはいけないことを言ってしまった。冬生くんを傷つける、最低なひとことを。そして、取り返しのつかないことを、してしまったんだ。
試合は、強豪の私立高相手に一歩も引かない展開になった。互いにゴール前の最後の守備で非常に集中してて、ベンチから見ている私も息が詰まる、そんな試合だった。
勝てば東京都一次トーナメント進出、負ければ冬生くんたち三年生は引退の試合は、八〇分では決着がつかず、一〇分ハーフの延長戦にもつれ込んだ。
延長戦も、ほぼラストプレーに差し掛かったとき。
目白学芸は、中途半端な位置でボールを奪われ、カウンターのピンチを招いた。今まさに攻めようとした態勢だったので、守備についているのは冬生くんを含めて三人。
相手はボールを奪った勢いそのままに、四人で一気に攻め上がる。相手の右サイドから、低く鋭いクロスが上げられた。
それは、ペナルティーエリア内に走り込んできた相手選手にドンピシャの精度で、通ってしまえば一点ものだった。
そのクロスをカットしようと、冬生くんが後ろ向きになりながら懸命にスライディングで足を伸ばした、次の瞬間。
冬生くんのスパイクに当たったボールはその軌道を変え、コロコロとキーパーの手が届かないコースを転がり──ゴールラインを割った。
そのときの、冬生くんの表情は今でも目に焼きついている。無情にもゴールマウスの入口で静止したボールを呆然と見つめながら、グラウンドに倒れ込む。それと同時に試合終了のホイッスルが鳴り響いて、冬生くんの高校サッカーは、終わりを迎えた。
「……ごめんね、せっかく色々、この試合のために協力してくれたのに、あんな終わりかたにして」
現地解散の帰り道、家の近所の小滝橋の上。隣を歩く冬生くんは、目を真っ赤にさせたまま、絞り出すように言葉を紡いだ。
「……そんなことない、よ。だって、あれは精一杯のプレーだったよ。プロの試合でもよく見るよ。冬生くんが触らなかったら、ゴール、決められてたもん」
「そうは言ったって……さ。僕のオウンゴールで、全部終わらせて。……にーたんや北山に申し訳が立たないよ」
「……冬生くんは、悪くないよ。悪くない。みんなだって、そう言ってくれてたし」
「それとこれは、話が別っていうか……自分のなかで、折り合いがつかないんだよ……」
長い信号待ちの間、私は深く考えることもなく、冬生くんに言う。
「……大学でも、サッカーやるんだよね? なら、そこで今日の悔しさを晴らせば──」
けど、冬生くんは俯いていた視線を私に向け、苦しそうに笑いながら、食い気味に差し込んで来た。
「──僕。もう競技としてのサッカーは引退しようって思ってるんだ」
「……へ?」
初め、私は何を言っているのか理解できなかった。
「大学で趣味や遊びでボールを蹴ることはあっても、今日みたいな真剣勝負は、最後にするつもりだったんだ」
「……な、んで?」
想像ができなかった。冬生くんが大好きなサッカーを辞めることなんて、これっぽっちも考えられなかったから。それこそ、私と出会ったときから、冬生くんはボールを蹴っていた。
「今日の試合も、見ていてわかったでしょ? ……僕は、下手くそなんだ。どれだけサッカーが好きでも、チームでは一番下手くそ。走ることしか、能がない」
「そ、そんなことっ……だって、冬生くんは誰よりも練習頑張って──」
「……頑張ったことは、失敗したことに対しての免罪符にはならないよ」
冬生くんがそう言った瞬間。私の頭は途端に真っ白になった。だって、それは。
今まで冬生くんが私に言ってくれたことを、真っ向から否定するものだったから。
ついていくのに必死だった勉強も、マネージャーの仕事も、冬生くんの彼女でいることも、全部否定された気がしたから。
「……そんなこと、言わないでよ」
「え?」
「そんなことっ、言わないでよっ!」
元から抱いていた色々なものに対する劣等感。山形さんや白沢さんに対する嫉妬。そういった諸々のマイナスな感情が全部振り切って、私は不意に叫んでしまう。
「本当にそう思っているなら、私は何なのっ? そう思っているなら、私に優しくしないでよ、憐れみで付き合ってくれてもっ、私が惨めになるだけだよっ!」
「っ、ちっ、ちがっ、そういうことを言いたいんじゃなくてっ」
「……違わないよ」
だとしても、このとき言うべき言葉じゃなかった。最後の大会が終わって、まだショックのなかにいるであろう冬生くんに、追い打ちをかける必要なんてどこにもなかった。けど、もう冷静さを失った私に、そんなことを考える余裕なんてあるはずもなくて。
「……違わないよっ! 冬生くんは、私のこと、好きでもなんでもなかったんだよっ!」
言ってしまった、彼を傷つける最低なひとこと。
私は、信号が青に切り替わったことを見て、碌に左右も確認せずに逃げるように横断歩道を駆けだした──
そのとき。
「──優羽っっっ!」
突然私の後ろから手がぎゅっと伸びてきては、冬生くんは私の身体を歩道側に引き戻してきた。そんな私と入れ替わるように、冬生くんが今度は横断歩道に躍り出る。
「え、な、何? ──っっ!」
目の前で、アスファルトとタイヤが激しく擦れる甲高い音が鳴り響いた。音につられて、そちらの方向に視線を飛ばすと、たった今私の代わりに横断歩道に飛び出した冬生くんの身体が宙に飛んでいる様がスローモーションで再生された。
「……っ、う、嘘っ……」
視界に映った光景を理解した瞬間、そんな悲鳴が自然と私の口を衝いた。
数秒のタイムラグを経て、ガシャンという激しい衝突音とともにたった今冬生くんを轢いた乗用車は、青々と葉々が生い茂る街路樹に突っ込んで停止した。
その後のことは、説明するまでもない。
私のせいで、私のつまらない嫉妬と、僻みと、劣等感のせいで、冬生くんは車に轢かれたんだ。
こんなことに、なるんだったら……。
*
もう、後夜祭が始まっている頃合いだろうか。だとすれば、タイムリミットまで一時間ちょっとだろうか。
そうすれば。冬生くんは完全に私の存在を忘れられる。
千歳優羽という、このどうしようもない幼馴染のことを、忘れられる。
それが、私が魔女と交わした約束。
冬生くんには私より、相応しい女の子がいる。私じゃ、駄目なんだ。私じゃ、いけないんだ。だから、だから、だから。
「……今日だけは、私を見つけないでっ……冬生くん」
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