このなかにひとり、「元彼女」がいる。
白石 幸知
episode 0-1 一周目で大切にしていた彼女さんが誰なのか、当ててください
目の前で、アスファルトとタイヤが激しく擦れる甲高い音が鳴り響いた。音につられて、そちらの方向に視線を飛ばすと、見知った男の子の身体が宙に飛んでいる様がスローモーションで再生された。
「……っ、う、嘘っ……」
視界に映った光景を理解した瞬間、そんな悲鳴が自然と私の口を衝いた。
数秒のタイムラグを経て、ガシャンという激しい衝突音とともにたった今人を轢いた乗用車は、青々と葉々が生い茂る街路樹に突っ込んで停止した。
周りにいた歩行者の人たちも、何事かと足を止め、悲鳴を上げたり、様子をスマホで動画に収めたり、多種多様な反応を見せる。
知り合い……いや、そんな代名詞じゃ正しく関係を表現できない。彼の、恋人である私はと言うと。
「……だ、だって、そんな、こと……」
一歩も動けなかった。
「救急車、救急車呼べ! おい、兄ちゃん大丈夫か? しっかりしろ!」「はい、救急です。高校生くらいの男の子が、車に撥ねられて。問いかけにも反応ないです」
じわり、じわりと彼から流れた血だまりはその面積を広げていく。
直感だった。あ、もしかして、死んじゃうんじゃないかって。
「……あ、あ、あ……」
私から数メートル先で、一番大切に想っている彼が、大変なことになっているのに。
今すぐ動いて、彼のもとに行かないといけないのに。
恐怖で、足が石みたいになって動けない。
やがて、遠くのほうから救急車のサイレンが近づいてくる。
お願い……お願い……早く、早く彼を……!
「ううん。ちょっと時間がかかり過ぎたんじゃないかな。あ、そこにいる人たちは最善を尽くしたよ? ただ、問題はそこじゃない」
祈ることしかできなかった私に、突然横から誰かが話しかけてきた。
「……え? だ、誰……ですか?」
いきなりのことに、私は動揺する。ましてや、私や彼と同じ高校の制服を着ていれば、尚更。
「私はね。魔女だよ。そうだなあ、あなたの願いを何でもひとつだけ、叶えてあげるよ」
「へ……? ま、魔女……?」
そして、紡がれる突拍子もない言葉。あまりのことの連続に理解が追いつかない。
「……いいの? このままだと、あなたが大好きな彼、取り返しがつかないことになっちゃうよ?」
「な、何でもって、ほ、ほんとに何でも……?」
「うん。何でも。あなたが望むことなら、どんなことでも叶えてあげる。今そこで倒れている、彼の命を救うことでも、もちろん──」
でも、ぶら下がった甘い飴に、ことを理解する前に私は飛びついた。
「──お願いっ、助けてっ! そのためだったら、な、何でもするからっ、だからっ」
「うん。わかった。じゃあ、私の力で彼を助けてあげる。でも、ただで助けるってわけにはいかないから。代償を貰うね」
その人の真剣な面持ちともに呟かれる言葉に、私はゴクリと生唾を飲み込む。そんな私の様子を見て、
「……ううん。今そこで、息絶えかけている、彼に対してもだよ──」
彼女はそう、私に告げた。
瞬間、周辺の景色が真っ白な光に包まれていき、まるで、世界そのものの時計の針がぐるぐると巻き戻されるような、そんな感覚が走った。
その後のことは、もう覚えていない。いや、正確に言うなら、誰も観測し得ない、が正しいのだろうか。
とにもかくにも、私は見知らぬ誰かの力によって、世界で一番大切な人の残酷な運命を捻じ曲げることに成功した。
それが、どんな代償を伴うのかも、わからないまま。
でも、報いのひとつやふたつは覚悟していた。だって。
事故に巻き込まれたのは、私の──
〇
気がつくと、僕は保健室のベッドに横になっていた。軽い頭痛とともに視界がクリアになっていくと、真っ先に思うのは、
「……なんで僕、保健室で寝ているんだ?」
飛んでしまっている今日一日の記憶と、今が部活中であろうということ。
だって、僕の格好がハーフパンツに練習中に着用するトレーニングウェアだったから。
「わけがわからないって顔をしてるね。どうして自分が保健室のベッドに寝ているのか」
現状に対する理解が追いつかないでいると、癖のない黒髪ショートのクラスメイトの女子が起き上がった僕にいきなり話しかけてきた。
「おわっ、びっくりした……く、葛岡さん、だっけ……? なんで、保健室に?」
「あ、別に保健体育の実技の実習をしようとしてたわけじゃないよ」
「……いつ教育指導要領に保健体育の実習なんて項目が生まれたんだか。っていうか、そんな冗談言うキャラだったんだ」
可愛いというよりかは目鼻立ちが整った綺麗な美人タイプ、という感想が先行する落ち着いた雰囲気の彼女の名前は
「サッカー部の練習中に、頭打っちゃってね、それで保健室に運ばれたんだ」
「……へ、へー。そ、それで、どうして葛岡さんが僕についてくれていたの?」
「伝えたいことがあったから」
すると、僕ら以外誰もいない保健室に静寂が走る。え? 何? 急にそういう話になるんですか、これ。っていうか僕、葛岡さんとちゃんと話すの初めてだったと思うんだけど。
「……別に、告白するわけではないよ? ああ、ある意味では告白かもしれないけど、高瀬君が思う告白ではない」
すると、僕の思考を読んだのか、葛岡さんはそう言って僕のペースを乱す。……いや、それならそれで。
かと思えば、次に葛岡さんが発した言葉はさらに僕を困惑させるものだった。
「結論から言うとね。高瀬君、あなたは一周目の高校三年の夏に交通事故に遭いました」
「……は? じ、事故? き、急にどうしたのさ、葛岡さん」
どういうこと? 高校三年の夏? 今は七月下旬の夏休み直前の時期で、僕は二年生だよね? それに、交通事故? もう何が何だか。冗談にしては趣味が悪すぎる。葛岡さんってそういう人だったのだろうか。
「その現場を目の当たりにしていた、あなたの彼女さん」
「待って、いつ僕に彼女が」
そして、さらに重ねられる新情報。……おかしい。生まれてこのかた僕に彼女なんてできたことないのに。言っていて悲しくなるけど、事実は事実だから仕方ない。
とにかく、僕がいもしないイマジナリー彼女を作り出す痛い奴でない限り、そんなことはあり得ないと思うんだけど。……え? 僕ってもしかして触れたらいけないヤバい奴だったの?
「いたみたいですよ。一周目には。その彼女さんは、あなたの事故に責任を感じ、『魔女』である私に助けを請いました」
「……情報量多すぎ、魔女ってどういう」
なんだなんだ、新情報のバーゲンセールか。今度は魔女って。僕より葛岡さんのほうがヤバい奴なんじゃ。そういえば、クラスでもあまり誰かと話しているところ見たことなかったけど、それも納得かもしれない。
「大切なものと引き換えに、願いを叶えてあげる存在ですよ。今回で言えば、『高瀬君を助けたい』という願いを、私は叶えました。なので、今は二周目の世界で、高校二年の七月まで時間を遡っています」
「……何を言っているのか、僕にはさっぱりなんだけど」
何ひとつ追いつかない理解に、積みあがっていく消化できない情報の山。
葛岡さんの話を一旦信じるなら、僕は高校三年の夏に(だとするとなぜか時間が巻き戻っているのは一旦置いておくとして)事故に遭い、知らないうちにできていた彼女とやらが僕を助けたいと魔女である葛岡さんに願った、と。
……突拍子もなさ過ぎて信じろというほうが無理あるのでは。痛いのは僕じゃなくて、僕の頭痛と葛岡さんだったんだね。良かった良かった。
「うーん。信じてくれないみたいですね。まあ、簡単に信じてくれるとも思ってませんでしたが。さて、どうしたものでしょうか」
「どうしたものって言われても……」
「私に常識を超えた力があることを証明すればいいのか。例えば、私が本来知らないはずの高瀬君のことを、知っているとか」
「……ま、まあ、ものによるけど」
小首を捻って考え込んだ葛岡さんは、少しすると「よし」と漏らしてから、至って真面目な顔で、
「おっぱいは大きいよりも小ぶりのほうが好みで、よく視聴するアダルトビデオの傾向としては女子校生もので詳しくは言いませんが水っ気が含まれるものが多い。そのなかでもお気に入りのオカズは──」
「──ちょっと待ってそれ以上は言わなくていいからっていうかどうやって仕入れたその情報」
「性に目覚めたのは小学四年生のときにたまたま偶然プールで女の子の水着がはだけていて、その子のおっぱいを見てしまった日で──」
「ほんとにいいから、いや、まじでどうやって知ったんだそれ」
僕の性癖を詳らかに話すものだから、慌ててストップをかけた。
「……あ、私は大きいわけでも小ぶりなわけでもないし、そっちの経験もないので、高瀬君が満足できるかどうかはちょっと自信ないかな……」
「わかった! 信じる、葛岡さんが魔女って信じるからもうその話は止めにしよう!」
この辺の話はほんとに誰にもしていないものも多分に含まれる。それを葛岡さんが知っているのは何か超人的な何かが働いているとしか思えない。
「信じてもらえて何よりです」
悔しい、一瞬目を奪われそうになるくらい綺麗な笑顔を浮かべてやられそうになったのが悔しい。
「私が貰った代償は、ふたつです。まず高瀬君の一周目の記憶。これを全て奪わせてもらいました」
なるほど。葛岡さんの話が本当なら、僕にそこらへんの記憶が一切ないのも合点がいく。
「それと、もうひとつ。……どっちかと言うと、こちらのほうが重要かもしれません。……『魔女と悪魔の契約を交わしてまで助けたいと願うほど』高瀬君を大切に想ってくれていた彼女さんに関する全ての恋心を、奪わせてもらいました」
……ふーん。だから、僕には一度たりとも彼女ができたことがない、という認識になるわけなのか。
「高瀬君にやってもらうことは、単純です。一周目で大切にしていた彼女さんが誰なのか、当ててください。今年の学校祭が終わるまでに」
あ、やっぱりそういう話になります?
「……僕、そんなモテていた記憶がないんだけど、そんな子がいたら一瞬でわかるんじゃ」
だとしても、そこまで特別な関係の女の子が一周目でいたとするなら、さすがにすぐわかってしまうんじゃないだろうか、ってなんとなく思ったんだけど、
「あ、そこらへんは安心してください。一周目で高瀬君と彼女さんが付き合い始めるよりも、時間軸を若干遡った位置で二周目を始めています。……なので、わかりやすく言えば『これから未来は変わって』いきます。そして、これは私の主観ですが、実は結構高瀬君って女の子に人気があったんですよ?」
「……安心できない情報をそりゃどうも。それで、僕が当てられなかったら?」
そうは問屋が卸さないみたいで、事は単純には進まないようだ。っていうか、何その事実、僕知らない。
僕の問いに対して葛岡さんは、窓の外のグラウンドの風景をぼんやりと眺めながら言い淀むことなく問いに答える。
「……魔女と契りを交わした人魚姫は、最後どうなったでしょうか? 王子様を救い、魔女と契りを交わしたにも関わらず、王子様に選ばれなかった人魚姫は、王子様の幸せを壊すことができずに泡になって消えてしまいました。……つまりは、そういうことです」
「……何恐ろしいことをサラッと言ってくれてるんだよ」
「比喩が過ぎましたね。すみません。わかりやすく言いましょう。高瀬君が間違った女の子を指名した場合、もしくは指名せずに学校祭の終了を迎えた場合、『大切な人』は存在そのものが消えてしまいます。高瀬君の記憶からも完全に消え去ります。高瀬君の幸せを願った人魚姫は、自分じゃない女の子と幸せになった高瀬君を空から見守ることになるでしょうね」
急に、ゾクりと背中に寒気が走る。……じゃあ、僕の選択によって、今は記憶からなくなった僕の好きだった女の子が、消えてしまうかもしれないってこと?
何、それ。今日イチで理解ができない。
「……ふざけるのも大概にしてもらっていいかな」
できないからこそ、若干怒気を含んだ声で僕は突っかかってしまった。けど、そんな僕に対しても葛岡さんは冷静さを崩すことなく、淡々と説明を重ねる。
「ふざけてませんよ。人の命、高瀬君の命をひとつ、運命に逆らってまでも救っているんです。……それくらい賭けてもらわないと、私も慈善事業で『魔女』をやっているんじゃないので」
彼女の話には一切の隙がなく、反論する余地は残されていなかった。
「そういうことなので、学校祭までに、つまり十月頭ですね。高瀬君にとっての『人魚姫』は誰なのかを当ててください。もちろん、『人魚姫』は自分が『人魚姫』であることを伝えることはできません。高瀬君自身が、見つけ出さないといけません。別に、高瀬君が『人魚姫』を当てなかったからと言って、高瀬君にペナルティは課されません。もう、あなたは自由です。……でも、辛いでしょうね。あなたのために、『代償』を背負った『人魚姫』は」
話したいことは全部話し終わったのか、そこまで言うと葛岡さんはベッド横の丸椅子から立ち上がっては、カバンを肩にかけてペコリと一礼したのち、
「……それでは。頑張ってください、高瀬君」
そう言って保健室を後にした。
「……頑張れ、って言われたって、これから僕にどうしろって……」
ひとり保健室に取り残された僕は、自分が置かれた状況に頭が痛くなる。
葛岡さんの話は恐らく事実だろう。きっと彼女は特別な力を持っている。もし、彼女の言うように運命を捻じ曲げてまで僕の命を救ったのだとしたら、その代償に誰かの存在を消してしまえることくらい容易いことは想像がつく。
……そんなこと、あっていいかと言われたら答えはノーだ。だから、僕は葛岡さんの言うところの「人魚姫」を見つけ出さないといけないのだけど。
「……ひとまず、仲が良い女の子から様子を見て探していくしかない、よね」
終わりの見えない命の恩人を探すミッションに、早くも僕は難航しそうな予感を抱いていた。
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