第6話 恋の神がいた

 妙に頭から離れない記憶がある。


 小学校三年生くらいの頃、幼馴染のしまちゃんと遊んでいたときの話だ。小さい頃はよく体調を崩していた私だったが、その頃にはだいぶ健康な体になっていた。外で遊ぶことも出来るようになり、その日はしまちゃんと一緒に学校の裏山へと出かけていた。


「もういいかーい?」

「まあだだよー!」


 しまちゃんの声に返事をしながら、きょろきょろとけもの道の周囲を見回す。茂みがたくさんあって、隠れる場所を選ぶのには苦労しない。でも、見つけにくいところを選ばないと、しまちゃんにはすぐに見つかってしまう。


「もういいかーい?」

「ま、まだだってばー!」


 私を焦らせるような声。どうしよう、早く隠れないと。仕方なく茂みにがさがさと入っていくと、腕に棘のようなものが突き刺さってしまった。驚いて思わず飛び跳ねてしまい、バランスを崩す。悪いことに、私はそのまま谷側に向かって転がり落ちてしまった。


「きゃあっ!」

「あ、朱里っ!?」


 まるで童話のおむすびのように、斜面をゴロゴロと進んでいく。木の枝が折れてパキッという音が鳴ったかと思えば、体に石がぶつかってゴンという衝撃音が響く。途中から怖いという感覚もなくなり、重力に身を任せるばかりだった。いつの間にか気を失ってしまい、目が覚めたときには古い小屋のようなものに寄り掛かっていた。


「いたい……」


 幸いにして骨は折れていないようだったが、体中が痛くて仕方なかった。そのうえ雨が降り出しており、服は泥だらけ。きっと家に帰ればお母さんに怒られるんだろうな。家に帰れば――って、そもそもここはどこなんだろう?


 急に不安が大きくなり、しまちゃんを探して周囲を見回した。しかし影さえなく、存在するのはボロ小屋だけ。……ん? よく目を凝らしてみると、近くに何かある。しとしとと雨が降る中、痛い身体を引きずって近寄ってみると――そこにあったのは、小さな小さな鳥居だった。


「ここ、神社……?」


 子どもの私でもくぐれないくらいの大きさだけど、鳥居は鳥居だ。さっきまでボロ小屋のように見えていた建物も、遠くから見てみると祠のように思えてくる。曇り空も相まって、かなり不気味な雰囲気を醸し出していた。ただの祠のはずなのに、今にもこちらに襲い掛かってきそうだ。


「しまちゃん……」


 私はその場に立ち尽くし、今にも泣きだしそうになっていた。しまちゃんは昔から私のことを助けてくれた。他の人には恥ずかしくて話しかけられないけど、しまちゃんには何でも話すことが出来た。そして――私のことを守ってくれると言ってくれた。


 不安を加速させるようにして、雨脚がどんどん強くなっていく。ゴロゴロと雷の音が響きわたり、すでに足元には大きな水たまりが出来ていた。ここにいたら危ないかもしれないけど、動くにしてもどの方向に行くべきか見当がつかない。どうしようもなく、思わず後ずさりした瞬間――ぬかるんだ地面に足を取られ、再び転げ落ちそうになった。


「きゃあっ――」

「朱里!!」


 しかしその時、私の左腕を掴む救世主が現れた。そちらを振り向くと、そこにいたのは顔まで泥にまみれたしまちゃんだった。何があったのか、Tシャツは破れ、膝には擦りむいた痕が出来ている。


「し、しまちゃん……!?」

「遅くなってごめん! け、怪我はない?」


 自分こそ怪我をしているくせに、私のことを心配してくれるしまちゃん。強がっているだけかもしれないけど、私は素直に嬉しいと感じた。


「うん、ちょっと痛いだけ。しまちゃんこそ、擦りむいてる……」

「気にしないで! ほら、帰ろう!」

「うん……!」


 腕を引っ張られるまま、ゆっくりと体勢を立て直す。私が呼吸を整えている間に、しまちゃんは「神社」を物珍しそうに見物していた。


「ねえー、ここって何なの?」

「私も分かんない。たぶん、神社だと思うんだけど……」

「へえ、神社か」


 しまちゃんは祠の前に立ち、両手を合わせて目をつぶった。どうやら拝んでいるみたいだ。しまちゃんはそっと目を開け、こちらを見る。


「しまちゃん……?」

「いや、大したことないんだけど。二人とも無事でよかったなって」

「そ、そうなんだ」


 さっきまでの怖い印象が頭に残っていたから、私は手を合わせる気にはならなかった。しまちゃんは帰り道が分かっているようで、私の腕を引いて歩きだす。


「帰ったらお母さんに怒られちゃうなー」

「しまちゃんと一緒なら、別にいいよ」

「えー、なにそれー?」


 ぬかるんだ地面を踏みしめながら、一緒に手を繋いで歩を進めていく。境内を出る間際、ふと鳥居の方を見やると、古そうな字で何か書いてあることに気づいた。遠くてよく分からなかったけど、一文字だけ読める文字があった。


 その時に目にした「恋」という字が、今でも強く脳裏に刻まれている。

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