第11話「虹色の小道とマーマレードの思い出」
秋の朝霧が街並みを優しく包み込む中、アリアは早めにカフェに到着した。まだ薄暗い店内に入ると、いつもと違う静けさに少し緊張を覚える。磨き上げられたカウンターに、前日から準備していた水筒とタオルを置きながら、窓の外を見つめた。
朝もやの向こうで、街灯がまだ淡い光を放っている。パン屋の窓だけが温かく灯り、焼きたてパンの香りが湿った空気に混ざって漂ってくる。定休日のカフェは、普段とは違う特別な雰囲気に包まれていた。
「おはようございます!」
リリーの声が静かな空間に響く。彼女は小さな刺繍の施されたリュックを背負い、両手には地図と魔法の杖を持っていた。杖の先端が、彼女の高揚した気持ちを表すように、かすかに虹色の光を放っている。
「リリーちゃん、早いのね」
「はい!昨日は緊張して、あんまり眠れなかったんです。それに、魔法の準備もしていたので...」
リリーが言いながら取り出したのは、小さな布袋。中には、魔法の粉が入っているという。「道に迷った時のための、方角を示す粉です。図書館で見つけたレシピで作ってみたんです」
二人が準備を確認していると、エリオも到着した。彼の手には大きな籠が下がっている。
「お弁当、作ってきました。朝早くから準備したので、まだほんのり温かいんですよ」
籠を開けると、優しい茶色の手ぬぐいで包まれた三段重ねのお弁当箱が現れた。上段を開けただけでも、色とりどりのおかずの彩りが目を楽しませる。黄金色の卵焼き、鮮やかな緑の野菜の炒め物、そして白く艶やかなおにぎり。
「まあ、エリオさん。こんなにたくさん...」
アリアが感心して見つめていると、エリオは少し照れくさそうに微笑んだ。
「せっかくの冒険ですから。それに、これを見てください」
エリオが取り出したのは、一通の手紙。差出人の名前を見た瞬間、アリアの目が輝いた。
「ノアさんからの手紙?」
封筒を開けると、中から一枚の写真が滑り落ちる。それは淡い虹色に輝く果樹園の風景。まるでステンドグラスを通した光のように、七色の輝きが写真全体を包んでいた。
手紙には、その不思議な果実についての情報が記されている。リルマーレから近い「虹の丘」の向こうにある谷間に、同じような果樹園があるという。そして、その果実で作るマーマレードには、人々の大切な思い出を呼び覚ます不思議な力があるのだと。
「ノアさんのお祖母さんも、このマーマレードを作っていたんですって」
アリアが手紙を読み上げると、リリーが目を輝かせた。
「私たちも探しに行けるかもしれないんですね!」
三人は身支度を整え、カフェを後にした。朝もやの中、東へと続く道を歩き始める。石畳の道は、街を離れるにつれて土の小道へと変わっていく。両側には背の高い草が生え、露の滴が朝日に輝いている。
歩くにつれ、空気がどこかほのかに甘くなっていくのを感じた。風に乗って、どこからか果実の香りが漂ってくる。
「この香り...何かのフルーツの香りですね」
エリオが言うと、リリーが深く息を吸い込んだ。
「本当です。まるでマーマレードを作っているような...」
丘を登り始めると、景色が一変する。色とりどりの野花が咲き乱れ、蝶が舞い、小鳥のさえずりが心地よく響く。時折吹く風は、まだ朝の冷たさを残しているが、日差しは確実に暖かくなってきていた。
丘の中腹で一休みすることにした三人は、木陰に腰を下ろす。エリオが用意した弁当を広げると、思わず歓声が上がった。
おにぎりは海苔ともみじの葉で彩られ、卵焼きは優しい黄金色。季節の野菜を使ったおかずは、どれも見た目も美しく、香りも食欲をそそる。
「エリオさん、これ全部手作りなの?」
アリアが感嘆の声を上げると、エリオは嬉しそうに頷いた。
「はい。野菜はマリアさんの農園のものを使わせていただいたんです」
三人で食事を楽しみながら、目の前に広がる景色を眺める。遠くには街の屋並みが小さく見え、空には白い雲が悠然と流れていく。カフェでの日常から少し離れた場所で過ごす時間は、どこか特別な感じがした。
休憩を終えて再び歩き始めると、道はさらに細くなっていった。所々で立ち止まり、リリーが持参した地図を確認する必要があった。
「あれ?この先で道が分かれてるみたいです」
リリーが困惑した表情を見せる。地図には一本道しか描かれていないのに、目の前には確かに二つの小道が続いている。
その時、どこからともなく小さな風が吹き抜けた。右の小道から、甘い香りが漂ってくる。リリーは即座に魔法の杖を取り出し、先ほどの方角を示す粉を撒いた。すると粉は風に乗って、ふわりと右の道へと流れていく。
「こっちみたいですね!」
道を進むと、思いがけない発見があった。小道の脇に、見慣れない花が咲いているのだ。花びらは半透明で、太陽の光を受けると七色に輝いている。
「これ...ノアさんの写真に写っていた花と同じ!」
アリアが近づいて観察すると、花から柔らかな光の粒子が舞い上がった。まるで、彼女たちを歓迎しているかのように。
さらに進むと、道は緩やかな下り坂となり、谷間への眺めが開けてきた。三人は思わず足を止め、目の前の光景に息を呑んだ。
谷間には小さな果樹園が広がり、木々は七色の光に包まれていた。まるで虹がそのまま地上に降り立ったかのような、幻想的な風景。
果樹園の入り口には、「虹色のおばあちゃんの果樹園」という古びた看板が掛けられている。そして、その下には一人の老婆が佇んでいた。銀色の髪を優しくまとめ、温かな微笑みを浮かべている。
「あら、よく来てくれたねぇ。私は、ずっとあなたたちを待っていたのよ」
老婆の声は、まるで懐かしい思い出のように、心に染み入るような温かさがあった。
(次回に続く)
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