第1話:松平先輩

「いつもありがとうございます。パスタセットがおひとつ、カレーセットがおひとつ、合わせて1930円です。

お支払いは現金でしょうか?カード払いまたはキャッシュレス決済でしょうか?」

迦陵頻伽とでも例えれば良いのだろうか?鈴を転がすような澄んだ美しい声をしている。


「これで」


とスマホの画面を見せるお客さん。


「かしこまりました。それではこちらのQRコードを読み込んでいただいて、画面確認をお願いいたします」


ピッ


「ありがとうございます。またのご来店をおまちしております」


綺麗なブラウンカラーに染められたミディアムヘアの毛先を揺らしながら、丁寧に45度の角度で頭を素早く下げてゆっくり戻す松平先輩。

ファストイン・スローアウトの所作もとても滑らかで美しい。


お客様が店から出るのを待って、僕はレジ前の松平先輩に声をかけた。


「松平先輩、先輩が上がる時間はもうとっくに過ぎているらしいです。吉川店長にホール代わってこいって言われました。今日もお疲れ様でした」


「あ、浅見くんでしたか。あら?もうそんな時間になってしまったのですね。ご丁寧にありがとうございます。今日は浅見くんがホールも担当されるんですね」


一瞬声をかけられたことに驚いたのか、全身を小刻みにビクッと上下させてからこちらを向き、口角を上げて微笑む。その笑顔も自然でとても素敵だ。

松平先輩は笑ったときに目尻が下がるのだが、その表情がさらに可愛さを倍増させているように思う。


松平先輩はこのアルバイトが初めての箱入り娘だとスタッフの間で噂になっていた。

常に物腰が柔らかく、普段から丁寧な口調、上品な立ち振る舞い、地の可愛さを損なわないシンプルメイク。

ナチュラルな透明感が備わっていて、この店に通うお客さんの中には先輩を見たいがために通っているらしい、なんて話もよく耳にする。


「お教えいただいてありがとうございました。ではお先に失礼いたします。またシフトが重なった際はよろしくお願いいたします」


あくまでも丁寧。

後輩の新人、しかも冴えない底辺モブキャラな僕にまでそんな気を遣わなくてもいいのにと思うのだけれど。


「お疲れ様でした。帰途お気をつけください」


松平先輩と会話すると引っ張られてこっちまで話し方が丁寧になってしまう。

 

松平先輩がスタッフ控え室へと消えるのを見てから、店内に目を移しバッシングを始める。基本的にはキッチンが僕の主戦場なのだが、幾分手のかからない週明けはシフトの人数も少なめでこうしてホールにも出る。逆にお客様もスタッフも多い週末は、ほぼキッチンでフル回転することになる。


このバイトを始めて間もなくバッシングという耳慣れない用語が使われていることに驚いた。非難する方のバッシングという言葉は知っていたけれど、空いた皿やグラスやカトラリーをさげてテーブルを綺麗に拭くことをバッシングと言うのだそうだ。ご利用中のお客様に居心地の良い空間を提供してら新たに来られるお客様をスムーズに迎えるバッシングは飲食業では基本中の基本だと、バイト初日に吉川店長から重ね重ね指導を受けた。


(週明けだからなのか今日の客数は割と少ないかな?)

 

このバイトを始めてはや3ヶ月も経てば、なんとなくではあるがピークタイムやアイドルタイム、忙しさの傾向も把握出来てきた。

こういう日も気を抜いちゃいけないんだろうけど、今日は松平先輩の可愛らしい笑顔も堪能できたし、ツイてたなあと思い返して自然と気が緩んでしまう優雅だった。

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