第四話 君と星空を I Wish U Heaven 3 ②
振り向いたおれは、なぜかぎょっとした。
そこに立っているのは、宮下に間違いなかったが、どうしてかその時、おれはそいつが別人に──少年に見えたのだ。まるで変身でもしたかのように。
「……な、なんだよ」
「紙木城直子は、彼女の使命を立派に果たした。だから君も、君の仕事を彼女に恥じぬように果たすべきだ。それが彼女への唯一のはなむけだ」
まるで、芝居みたいな大仰な口調だった。
そして急にきびすを返すと、その姿は人混みの中にまぎれて消え去った。
「…………」
おれは呆然として、街の人の流れを眺めるしかなかった。
おれがバスに乗って、深陽学園前の停留所に着いたときには、もう日が暮れていて生徒の姿もほとんどなかった。部活で練習している奴らも、真っ暗になって引き上げたらしく見あたらない。こういう根性のなさが、ウチの高校の運動部が全国大会に出られない理由だった。ちっとも変わっていない。
校門はもう閉じていた。部外者はインターフォンで誰何されないと入れてくれないので、おれはその前を素通りした。
紙木城が教えてくれた、柵と柵の隙間の抜け道を通って、おれは校内に入った。
暗い学校の敷地は、まるで廃墟のように静まり返っていた。そびえる校舎は巨大な墓石のように見えた。
去年までは、おれもここに毎日通っていたのである。しかしもう、おれはここではすでに
ろくでもない高校時代だったが、もう自分はあの過去とは関係なくなっているのだな、と思うと、妙にじーんときた。紙木城とのことも、そのあとで学校中から馬鹿にされたことも、生生しく覚えてはいるが、すべてはもはや昔のことなのだ。
「…………」
おれは、どうして学校なんぞに来たのだろう。手紙のことを探るのに、こんなところに来たって仕方がないではないか。
でも、おれと紙木城の接点といったら、もうこの高校しか残っていなかったのだ。紙木城の住んでいたマンションはもう別の人間が住み、彼女のいた痕跡なんかない。
他に行くべきところはない。
どこにもない──
そうだ。手紙の差出人も、おれは心のどこかで〝紙木城本人ではないか〟と思っていたのだ。
だが、たぶん違うだろう。学校にこうやって来ても、彼女の姿はない。やはりあれはただの悪戯だったのだろう。
すべては終わったのだ。みんな、しょせんは過去のことなのだ──。
「…………」
おれは空を見上げた。曇っていて星空は見えなかった。しかしあの河原で彼女と一緒に見た星空が、おれには見えるような気がした。
あのとき、確かに彼女はおれだけに他の誰にも、おそらくは田中志郎にも言わなかった彼女の秘密をたとえ話にして教えてくれたのだ。それがおれに理解できなかったとしても。
それだけでいいじゃないか。あれだけで充分、おれは彼女のことをこれからも一生好きでいられる。他の女のことをどれほど愛したとしても、彼女はずっとあのときの、訳の分からない変人のまま、おれの中に生き続けるだろう。
「〝生命みじかし、恋せよ乙女〟……」
おれは彼女がよく口ずさんでいたゴンドラの唄をつぶやきながら、校庭をぶらついた。
そして、なにげなく体育館の前に来ると、ふと思い立って、例の侵入者の痕跡があったという倉庫を見たくなった。彼女との相関関係は不明のままだが、とにかく彼女の最後の足跡である。
非常用の備え付けの懐中電灯をかっぱらって、おれは体育館を照らし出した。あきれたことに、おれはもうその間取りを半ば忘れてしまっていた。よっぽど高校時代を忘れたかったらしい。
なにやら正面入り口以外のところにあるドアだか蓋だかわからないものを壁と地面の接点に見つけると、たぶんこれだろうとおれは身を屈めてその中に入り込んだ。
だが、そこはなんにもない空間だった。ただ鉄の柱がコンクリの床から生えて天井に伸びているだけだ。体育館の基礎部分らしい。空間は地震の際の衝撃を吸収するゆとりの箇所だろう。
こんなものがあるとは三年も通っていてちっとも気がつかなかった。
(なんだ、間違えた……)
おれは引き返そうとした。
だが、その動かした足になにかが引っかかった。
かさり、という乾いた音がした。
「……ん?」
おれは足下に光を当てた。
黒っぽい、乾涸びたものがそこにあった。最初は手袋かと思った。工事の人が忘れていった軍手でもあろう、と──だが細すぎた。
外側を覆うものではなかった。それはその中身そのものなのだった。
「…………」
おれは一秒ほど絶句して、それから悲鳴を上げた。絶叫した。
それは、人の手首のミイラなのだった。
(な、なななんだ、なんなんだよこれは!)
おれは腰を抜かし、その場にへたりこんだ。
そう言えば──紙木城が失踪した当時、消えたのは彼女だけではなかった。前後して、何人もの生徒が姿を消していたのである。
これまでそのことをつなげて考えたことはなかったが……学校に手首なんぞが転がっている異常さと関係しそうな事件は他に思い当たらない。
手首は、おれが蹴飛ばしたせいか、外気に触れたからか──土埃と化して崩れ散った。跡形もない。
(なんだっていうんだ? いったい、二年前にこの学校で何が起きたっていうんだ……!?)
だがその問いに答えるものは何もなく、おれはただ夜の闇のなか恐怖におののくしかなかった……。
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