第一話 浪漫の騎士 Romantic Warrior 5 ①
ある日突然、紙木城がいなくなった。
学校に来なくなったのだ。
よくわからないが、家出したらしい。
「噓だろう?」
話を聞いて、僕は思わず声をあげていた。
「ほんとうよ。先生が話してたもの。家にも帰っていないんだって」
クラスの女子が冷静に言った。
「なんでだよ。なんでアイツが家出するんだ」
「知らないわ。あの子、あんまりみんなと口利かなかったし。きれいな顔してるから、東京とかに出ても何とかなるとか考えたんじゃないの」
ふん、と彼女は鼻を鳴らした。
クラスの女子達は、いつでも笑ってふざけていた紙木城よりもだいぶ表情に乏しい。
「でも──あいつ、成績もよかったじゃないか。志望大学のラインは越えてんだろう?」
「ずいぶん詳しいじゃない」
「なによ、竹田君あの子が好きだったの」
「そういうんじゃねえよ。でもよ──」
僕が言いつのろうとすると、クラスの女子のリーダー格である佐々木が静かに言った。
「でも、あの子の気持ちも何となくわかるわよ。逃げたかったんでしょ、結局」
「逃げるって、何からだよ」
僕はぎくりとした。紙木城は一年と二年の男子に二股かけていた。もしや、そのことではと思ったのだ。
でも佐々木が言ったのは別のことだった。
「竹田君にはわかんないわよね」
「どうして」
「受験しないんだもの。このプレッシャーがわかるはずもないわ」
これを言われると、僕はいつも言葉に詰まってしまう。
「そうよ。わかるわけないわ」
「そうそう」
女子たちは僕を、ほとんど責め立てるようにして口々に言った。
他の男子生徒は、黙って僕らを見るでもなし、見ないでもなし、遠巻きにして自分の単語帳をめくったりしている。
「ほんと、逃げられるものなら逃げてしまいたいわ。でもそんなことはできないわ。私たちは紙木城さんみたいに無責任じゃないもの」
佐々木の声はとても冷たく聞こえた。
みんなうなずいている。
誰も、紙木城のことを心配している様子がなかった。
〝泣いている人がいても──〟
ブギーポップの声が耳元で聞こえたような気がした。
そのとき先生が来て、僕らは話を中断して席に戻っていった。
授業を受けながら、僕はずっといたたまれない気持ちでいっぱいだった。
前の席のヤツは内職している。授業はもう、形だけみたいなものでみんな受験の方が学校よりもずっと大切みたいだった。先生の方もなんかそんな感じで、どこか投げやりで自分が話すばかりで誰にも当てたり、質問を求めたりしない。
いったい僕らは、なんのためにここにいるのだろう。
紙木城はどうしてしまったのか。あの明るい態度は虚勢だったのか。確かにそんな感じはあったが、でも逃げ出すとかそんなヤツだとは思えない。
〝明日の月日はないものを……〟
……でも、それを言ったら僕はあいつのことも、クラスのみんなのことも何も知らないに等しい。
藤花にブギーポップなんてヤツが取り憑いていることも知らなかったのだから。
「…………」
僕は授業の話を聞くでもなく、ノートにも取らず、文句を言う割には受験するみんなよりはるかに不真面目な態度で、意味もなくかりかりと腹を立て続けた。
その日、屋上に行ったが、ブギーポップの姿はなかった。
「…………」
僕は、しばらく待っていたが、そのうちに日が暮れてしまい、あきらめてとぼとぼと帰るしかなかった。
そして、その次の日、やっぱり屋上に上がってきた僕を待っていたのは、制服を着たままで女の子の格好をしているブギーポップだった。
「やあ」
と言って手をあげる仕草で〝彼〟だとわかったが、そうでなければ藤花だと思っただろう。
「……コスチュームはどうしたんだよ」
「うん。もういらなくなった。だから持ってきていない」
藤花の時に、無意識に持ってきてしまうのだ、と説明されていたのだが。
「どういうことだ」
「危機は去った」
あっさりと言った。
「……え?」
「これでおわかれだ。竹田君」
「ち、ちょっと待てよ! そんないきなり……」
「仕方ないんだ。ぼくはそれだけのものなんだから。危機が去れば消える。泡のようにね」
「危機って──世界を救うんじゃなかったのかよ!? まだ全然救われてなんかいないぜ!」
「いや、ぼくの方の仕事は終わったよ。君の言うような意味での救いは、それはぼくの仕事じゃない」
彼は静かにかぶりを振った。
「学校に巣喰った魔物を倒すんじゃなかったのかよ!」
「だから、倒したんだ。ぼくがやったんじゃないけどね」
僕は口をぱくぱくさせた。それ以上何を言っていいのかわからなくなったのだ。
「でも、そんな──そんな……」
「ありがとう。竹田君」
突然ブギーポップは、僕に頭を下げた。
「君といた時間は楽しかったよ。これまでのぼくはずっと戦ってばかりで、友達といえるのは君ぐらいのものだったからね。宮下藤花のおまけでつきあってくれていたんだろうけど、でも楽しかった。本当に」
「…………」
僕はふいに、こいつのことが好きだったのだということに気がついた。
そう、はじめて街で会って以来、ずっと好きだったのだ。
それは藤花の顔をしているから、ということは全然関係がなかった。
僕が言いたくても言えないことをはっきりと言ってくれるこの男がとても好きだったのだ。
「行くなよ」
「え?」
「行かないでくれ。おまえは、俺にとっても今じゃたった一人の友達なんだよ。お願いだから、もうすこし出ててくれよ──」
僕はうつむいて、ぼそぼそと言った。泣いていたのかも知れない。
ブギーポップは、また例の表情をした。
「竹田君、そんなことはないよ」
「いや、そうなんだよ!」
「君は、ただ今は周りと嚙み合っていないというだけだ」
ぐ、と僕は息を詰まらせた。
「宮下藤花だって、君のことはいろいろ気にしている。自分だけ悩んでいるなんて思ってはいけないよ」
「でも──でもおまえはどうなんだよ! おまえのことを誰も気にしないで、このまま消えるなんて、そんなの寂しいだろう?」
「君がいるじゃないか、竹田君」
「俺なんかじゃ……」
「残念だけどね、ぼくに義務があるように、君や宮下藤花にもやるべき仕事があるんだ。君らは自分で自分たちの世界をつくっていかなくちゃならないんだよ。つまらない卑下をしていてはいけないんだ」
ブギーポップはきっぱりと言った。
もう、僕は彼に言うべき言葉は何もなかった。
「──だけどさ…!」
うつむいていた顔を上げると、もうそこには誰もいなかった。
僕ははっとなって、屋上中を駆け回った。
しかしもう、あの奇人の姿はどこにもなかった。
最初に見たときと同じように、風みたいに消え去っていた。
非常階段から下におりると、そこに宮下が待っていた。
彼でないのは一目でわかった。僕を見て、にっこりと笑ったからだ。
「遅いゾ、竹田先輩!」
彼女はころころと転がるような声で言った。
「え……」
「呼び出したのは先輩でしょお? なのに遅れるのはひどいわよ」
「…………」
そうか。
〝彼女は何も知らない〟
〝知らないということに気がつくこともない。自動的に記憶を修正する〟
そういうこと、か。
自分がここにいる理由を、自動的につくったのだ。
「──あ、ああ……ワリい。ちょっと友達と会ってたもんで」
「屋上で? 番長グループの呼び出し?」
「今時そんなのがいるかよ」
「そうよね!」
彼女はまた笑った。
僕は、なんだか急にすごく彼女をいとおしく感じた。
「今日は予備校は?」
「うん、五時から」
「だったら、駅まで送るよ」
僕がそう言うと、彼女はきょとんとした。
「一緒に登下校してもいいの?」
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