第34話「繰り返す言い訳」
「ただいまー」
誰もいなくてもそう言うのは、家に一人じゃないことをアピールするための防犯策である。
玄関先でローファーを脱ぎ散らかした結果、そっぽを向きあってしまったことなど気に留めず、美羽は気怠そうな足取りで自室へと向かった。
ドアを開けるとほぼ同時に鞄を適当に放り投げると、勢いをつけてベッドへダイブした。ふかふかベッドに体が沈み、そしてゆっくり押し返される。
「むー」
掛け布団に顔を押し付けながら、意味もなくうなった。
なんだかむしゃくしゃするというか、モヤモヤするというか。
これがムラムラするだけならオナニーすればいい話しなのに、などと考えてから美羽は駄々っ子のように手足をバタバタさせた。
「うがぁーっ」
そして、ため息と共に静かに動きを止める。
あくまでも百合の付き添いだ。あそこで断るのは気が引けた。だって、魁利があんなに来てほしそうだったから。走るわけじゃないし……。
「……誰に言い訳してんだろ」
なんとなくの空気に流されて行くことになったものの、一人になって冷静に考えてみると、だんだん行かないほうがいい気がしてきた。
「……走らないって啖呵切った人が、どの面さげて見学に行くのよ」
明日は、あの顧問も当然いるだろう。
のこのこ出向いたりした日には、無理やり車に乗せられてしまうかもしれない。
「……」
無理やり乗せられたのならば、嫌々走ることになってしまっても仕方がないのでは……。
「むぅ~」
自分の思考が嫌になり、美羽は布団に顔をこすりつけながら首を振る。
そうまでしても走りたいのか。違うはずだ。
走らないと決めたのは自分自身であったはずなのに、その気持ちの揺らぎはもう隠しきれないところまで来ていた。
こんな不安定な気持ちの人がレースなんて、危ないこと出来るわけがない。
「はぁ……」
駄目だ。またも負のループに突入しそうだ。
「あーっもう!」
ガバッと体を起こした美羽は、ベッドから飛び降りる。
モヤモヤした気持ちが脱力感として体にまとわりついているかのような、そんな嫌な感覚だった。
洗い流してしまえば、少しはスッキリするかもしれない。
「……」
部屋を出ようとして、ふと足を止める。
美羽は自分の着ている制服を見つめると、おもむろにボタンに手をかけた。馴れた手つきでスナップボタンを外し脱ぎ捨てる。
そのまま流れるようにスカートをはらりと床に落とし、ブラジャーのホックに手をかけ外すと無造作に放り投げ、パンツを脱いだ。
「……」
なんだか、少しスッキリするような気がしたのだ。普段裸にならないところで、こうして一人何も着ていないと、何にも縛られず自由であるように美羽には感じられた。
美羽は聞き耳をたて、誰も帰宅していないのを確かめると自室のドアを開け部屋を出る。
何事もなげに廊下を歩き、階段を下りてお風呂へ向かう。それだけのことに非日常を感じた。服を脱ぐはずの脱衣所をスルーして風呂場に入るとノータイムでシャワーを出した。
「つめたっ」
春先のこの季節。さすがにまだまだ、肌寒さが残る夕方だ。
それでも美羽は冷水を浴び続けた。刺激と共に肌にぶつかる細かい水たちが体の中へと染みこんでくるような、そんな錯覚を覚え、何も考えなくていいような気持ちにしてくれる。
「もう、わかんないや」
走ることにどうしてここまで突き動かされるのか。興奮する理由もわからない。ただただ、自分の執拗なまでのこだわりと意地のせいでがんじがらめになってしまった。
こんな事になるつもりじゃなかったのに気づけばこうなっていて、戻る道が見えない。前にある道すらも、どれを選べばいいのかわからない。いや、わからなくなってしまった。
車と関わらないようにしていたはずなのに、なんでこうなってしまったのだろう。
「はぁ……何考えてんだかな」
迷いがあるから、考えてしまうのだ。走らないって決めきれていないのが、すべての元凶だってことくらいわかってる。
じゃあ走るのか。いや……走れない。
「決めたじゃん。ずっと昔に決めたじゃん。なんで今更揺れ動くのかな、私は……」
自嘲しつつシャワーを止める。自分に愚痴を言い続けてもフラストレーションがたまるだけだ。
それでも、少しは諦めがついた気もする。
明日はただ、見学するだけだ。何があっても走らなければいい。自分に都合の良い言い訳をしなければいいだけなのだ。
「よしっ……」
心を決めて風呂場を出る。脱衣所のタンスから取り出したバスタオルで体をふくと、新しい下着だけを着け、タンスの中から無地で白い大きめのTシャツを適当に選んで着た。
ぶかぶかなくらいが丁度いい。なんだか、服にさえも囚われたくない気持ちなのだ。
脱衣所を出て、階段を上がる。
今日は新作のエロアニメ情報でもネットの海で漁ろうかと考えながら二階にたどり着いたと同時、ふと目に入ったのは乙女の部屋のドアだった。
自室の一つ手前の部屋。その扉がわずかに開いていた。
理由なんてない。たまたまだ。
掃除でもした後、ちゃんと閉めなかったのだろう。偶然それに今気づいただけ。
だが、気づいてしまったのが運の尽きだったのかもしれない。
部屋の中にあるものが、美羽の視界に一瞬映った。
「ごめんね。ちょっとだけだから」
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