第9話 俺様の美技に(以下略)

「魔王軍がそこまで迫ってきているのです。金で脅威を取り払ってくれるのであればそれに越したことはないでしょう」


 室内が息苦しい静けさに包まれる状況下で声を発したのは、これまでの推移を静かに見守っていた老宰相だった。


「そうは言うがなツヴェリ、100億だぞ100億!」

「確かに大金ですが払えない額でもありません。金を惜しんで国が滅ぶ。笑い話にもなりますまい。それともリーンウィル王国最後の王として後世に名を残すことをお望みですかな?」

「ぐぬぅ……」


 王は怒りに震え、全身を硬直させていた。しかし、すぐに力が抜けたように玉座に座り込む。


「もう余は知らん。あとはツヴェリの好きにしろ……」


 老宰相は静かに頷き、ブラックシャドウに向き直った。


「ブラックシャドウ殿、金は必ず用意する。が、その前に手並みを見せてはもらえないだろうか。魔将バルガを討ち取った腕はもちろん聞き及んでいる。その実力を踏まえた上でこちらの事情も考慮していただけるとありがたい」


 老宰相とブラックシャドウは無言のうちに視線を重ねていたが、小さく息を吐いたブラックシャドウが懐から四角い板状のものを取りだした。


(武器ではない。あれは一体なんだ?)


 ブラックシャドウは慣れた様子で板に指を滑らせると、今度は無遠慮に王との距離を縮めていく。 

 王と近衛騎士に緊張が走った。


「ブラックシャドウ殿、それ以上は」


 汗ばむ老宰相が口を開くのとほぼ同時にブラックシャドウは足を止め、手にしている板を無遠慮に突きつけてきた。


「それが一体なんだと……ッ⁉」


 板を見た者たちは例外なく声を失った。手のひらに収まるその板には、見間違えるはずもないバードロック砦近郊の森が映し出されていた。そして、その森を魔族が進軍しているのがはっきりとわかる。


「まさかそれは……」


 ここまで冷静だった老宰相までもが、目を血走らせて板を凝視している。

 キースの耳が驚愕きょうがくの表情で〝聖具〟とつぶやく王の声を拾った。


(聖具……そうだ。ただの魔導具にこんな出鱈目なことができるはずもない!)


 現代の技術では到底作れないものを聖具と呼ぶ。

 太古の時代に存在していたという大聖女が生み出したものと一般的には伝わっているも、真偽のほどは誰にもわからない。

 この世に聖具と認定された品はいくつか確認されている。そして、そのどれもが世界を一変させる力を有していると言われ、ブラックシャドウがもつその板は聖具としての力を十分に感じさせるものだった。


「貴様、その聖具をどこで手に入れたのだ!」

「聖具? 何を言ってるのかわからんな」

「この期に及んでとぼけるつもりかっ!」


 王の言葉を遮ったのは老宰相だった。


「聖具の真偽など今はどうでもよいこと。ブラックシャドウ殿、失礼ながら魔王軍の先遣隊が迫っていることは誰でも承知している。まさか今のをもって手並みを見せたとは言いますまいな?」

「今のは現状を確認してもらったにすぎない。これから魔王軍の先遣隊を殲滅してみせる」


 ブラックシャドウはさっきと同じように板に指を滑らせると再び板を向けてきた。固唾を呑んで見守っていると、地面から巨大な火柱がいくつも噴き出し、大混乱におちいった魔族たちを紅蓮ぐれんの炎で包んでいく。


「なんなんだよこれ……」


 騎士のひとりが青い顔をしながらつぶやく。

 魔族などひとりもいない室内で魔族の絶叫が響き渡るのは酷く現実感を欠き、それがかえって得も言われぬ恐怖を増幅させていた。


「──終わったようだな。これで魔王軍の先遣隊は全滅した」


 板越しに映る凄惨な光景は、相手がにっくき魔族とはわかっていても目を覆いたくなるほどの強烈さがあった。するはずもない焼けた臭いがただよってくるような錯覚を覚えるほどに。

 声を上げるものは誰もいない。淡々と何事もなかったかのごとく聖具を懐にしまうブラックシャドウに対し、マインようやくといった感じで口を開く。


「先遣隊とはいえ500はくだらなかったはずだ。たった数分で仕留められるような相手なら我々はここまで追いつめられてなどいない」

「随分と疑り深いな」

「当然だろう」

「なら確認すればいい。俺は一向に構わないぞ」

「言われずともやらせてもらう。──おいキース」


 (俺かよ。まぁ別にいいけど)


 キースは兵士に確認の指示を与える。それから待つこと一時間。息を切らせながら戻ってきた兵士たちから、おびただしい数の焼け焦げた死体を発見したとの報告がもたらされた。


 報告を受けて険しい表情する王とマイン。

 老宰相はブラックシャドウに深々と頭を下げた。


「ブラックシャドウ殿の力、この老骨の身に染みました。この度の御助力に心から感謝いたします」


 王国のNO2である老宰相自らがこうべを垂れたことで、マインたち近衛兵も渋々ながら老宰相にならう。そのやり取りを王が憎々しげに見つめていた。


「礼など不要。期限は二日。それまでに金を用意しておけ」

「本隊は進軍をやめてないはず。それはどうするのだ?」


 キースの問いに、


「今日中に片付けておく。無用な心配だ」

「ブラックシャドウ殿、恥を忍んででお願いいたします。望むままの金額を追加でお支払いしますのでどうかこれからも──」


 勢いよく突き出されたブラックシャドウの左手が、続く老宰相の言葉を強制的に遮った。


「必要以上に手助けするつもりはない。それと一応釘を刺しておくが俺たちのことを探るのもやめたほうがいい。俺たちのあるじの機嫌を損ねたら最後、盤上は簡単にひっくり返る」


 王はブラックシャドウを激しく睨みつけ、


「それも脅しか?」

「どうとらえてもらっても結構。我が主は争いごとを望まず。穏やかで平凡な暮らしを望んでいる。以上だ」


 ブラックシャドウが立ち去った扉に向かって、マインが怒声を浴びせた。


「あのやろう何様のつもりだッ!」

「何様って魔王軍の先遣隊をあっさりほふってみせた英雄様だろ?」

「あんなふざけたやろうの肩をもつのか! お前にプライドはないのか!」


 胸倉をグイと掴んでくるマインの手を、キースは邪険に取り払って言った。


「俺たちはそんなふざけたやろうに命を救われたんだ。ご大層なプライドも結構なことだが、だからといって現実から目をそらしていい理由にはならない。そう俺は思うぞ」

「キースてめえッ!」

「二人ともやめよ。王の御前であるぞ」


 老宰相の叱責に、キースとマインは同時にかしずいた。


「マインの怒りはもっともだ。仮にも王たる余を一度ならず二度も脅すなど……誰かブラックシャドウをひざまずかせるよい知恵はないか?」


 近衛兵の面々に王は問いかけるも、近衛兵は困ったように下を向くばかり。最終的に王の視線は老宰相に向けられるも、老宰相は問答無用ではねのけた。


「王もその目でしかとご覧になられたでしょう。あの者が我らに見せたのはおそらく聖具。そして聖具を持つ者がただ人であろうはずがございません」

「そんなことはわかっておる。しかしな……」


 王はなおも追いすがるように老宰相を見るも、やがてカクンと首を落とした。


「口惜しいことこの上ないがブラックシャドウに対するいかなる手出しも禁止とする。よいなマイン」

「かしこまり、ました……」


 屈辱に顔を歪めるマイン。

 たとえ望まぬ決断であろうと王の判断は正しい。厳戒態勢の砦に単身忍び込み、魔将バルガの首をなんでもないように持ってくる奴を、魔王軍の先遣隊を簡単に消し炭に変えてしまうような奴らに、下手な干渉をして敵に回すなど愚の骨頂だ。


 君子危うきに近づかず。

 炎の勇者が残した格言だ。 



 ▲



 時は少しだけさかのぼる。


「猪助は上手くやってるかな?」


 バードロック砦を見渡すようにしてそびえ立つ岩壁の上。

 進軍する魔王軍の先遣隊を眼下に、俺は隣に立つ段蔵に尋ねた。

 蓮華と幻爺はこの場にいない。二人には本隊の動向を監視してもらっている。


「…………」


 おい、なんだよその無言は?

 不安になるじゃないか。


「黙ってないでなんとか言えよ」

「いやね、基本的に猪助は温厚な性格ですし、色々な経験を積ませようと交渉役に抜擢した若の気持ちもわからなくはないですぜ」


 その基本的って言い方がすごく引っかかるんだけど。


「何が言いたいんだよ」

「若は知らないのかもしれませんが、いのは自分の感情を完全にコントロールできないところがあって、まぁそのへんがまだまだ未熟なところなんですがね」

「つまり交渉が決裂する可能性もあるってことか?」

「王の評判は若も耳にしたことがあるでしょう。とても頭を張るようなやつじゃありません。覚悟はしておいたほうがいいですぜ」


 段蔵が不敵に笑いながら、俺の不安を煽ってくる。

 調べるまでもなく王の悪口を、俺はいろんなところで聞かされた。街や村が魔族に襲われて再三の救援要請が出ているにもかかわらず、王は頑なに兵士を差し向けようとはしなかったらしい。

 もっぱら王都と重要な拠点を守ることに固執し、見かねた炎の勇者が王の命令を無視して元凶である魔王討伐に単身乗り出すも、結果は勇者の敗北という形で終わった。

 期せずして王城に届いた四肢と両目をくり貫かれた炎の勇者を目にした王は、益々その思いを強めていったという。

 王には王なりの考えや矜持きょうじがあるのだろう。そのことを差し引いたとしても民草に犠牲を強いていい理由にはならない。


「それでも猪助は上手くやってみせるさ」


 きっと。

 多分。

 そうだといいなぁ……。


「勘違いしてもらっちゃ困りますが俺もそれを望んでいますよ」

 

 猪助から交渉結果のメッセージが届いたのはそれから二時間後のことだった。


「猪助から作戦決行の指示がきたぞ」


 つまり交渉は無事成功したということだ。

 段蔵のやつ散々脅かしやがって。

 俺は全然心配してなかったけどな!


「そりゃ喜ばしいことで。ではこちらも始めるとしますか。若は安全な場所でライブ配信の準備をしてください」

「え? 段蔵一人でやるの? どして?」


 屈伸運動する俺を尻目に、段蔵は崖っぷちに移動しながら軽口を叩く。


「異世界に来て少しボケたんですか。俺の術は広範囲戦闘向きですぜ」


 いや、そりゃ知ってるけど、どう見ても500はいるんですが?

 いくら段蔵が屈指の実力者でも、あんな数の魔族相手に一人で太刀打ちできるはずがない。どうせ「やっぱ無理」と途中で根を上げるに決まっている。

 そう思っていた時期が俺にもありました。


「俺の美技に酔いしれな」


 姿を見せた先遣隊を前に、いい歳したおっさんが某テニス少年のようなセリフを吐くから酔いしれていたら、いつの間にか消し炭の魔族が大量生産されましたとさ。

 ライブ配信を終了した俺は、すかさず段蔵に聞く。


「段蔵の美技ってこんなに凄かったっけ?」

「ふっ。何を今さら。今日はちょっと調子が悪いくらいですぜ」

「や、魔族たちに煉獄れんごくを浴びせながら「あれーっ? あれーっ?」って何度も不思議そうに首を傾げてたじゃん。段蔵もおかしいと思ってたんだろ?」


 段蔵が得意とする煉獄は確かに高火力広範囲の術だが、たかが数分で500の焼死体を作り出せるほどの威力はないはずだ。


「しかしいくら奇襲したとはいってもこいつら弱すぎませんか?」

「だから異常なまでの火力の件を」

「これならラプラスのほうがよっぽど歯応えがありますぜ」


 か、会話にならん。

 どうやらこれ以上言っても無駄ということらしい。

 とりあえず蓮華と幻爺を呼び戻しますか。

 

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