第一章 二節 目覚める魂

ある時、三振りの剣が世界を創った。

創世の刃は森羅万象を刻み、触れた者に神格を授け、生命を産み落とした。

生命は幾度も栄華の光を築き上げ、そのたび光に魅せられた者たちは、争いの炎を撒き散らした。

そして今、"呪いと祝福の地"アルフレイム大陸南西、グランゼール王国に――光と炎に彩られた歴史に新たな一頁が刻まれようとしていた。



※ ※ ※

 


「…!」

 覚醒と同時に、上体を跳ね起こす。


「…痛ッ…」

 無理に身体を動かした反動が、時間差で襲い掛かってきた。

 堪らず左手で胸を押さえ、乱れた呼吸を整える


 雨上がりの澄んだ空気に銀色の月光が窓から差し込む。

 先程まで寝ていたベッドと、衣服の置かれたデスクとテーブルと幾つかのスツール。

 彼女が見知らぬ景色――だが、ソコに敵意は無かった


 扉一つ隔てた向こうから、スパイシーな香りが漂ってくる

 その香りを辿るように、彼女は扉の先へ歩を進める。

 足音も呼吸も潜むように。


「…おはよう」

 調理台で鍋の中身をかき混ぜている、黒衣に身を包んだ金髪の女性が、背を向けたまま言葉を投げかけた。


「随分早い目覚めだな。傷に障るからもう少し寝てろ」

 金髪の女性は誰が後ろに立っているか、見通したかのように続けた


 彼女は一つ息を吐いて、適当なスツールに腰を落ち着ける。

 やがて緊張を緩めた彼女の腹の虫が、静かな夜気の中に鳴いた


「もう少しで出来上がるぞ、食いしん坊」

「そういう訳じゃ…!」

「じゃあ飯、要らないか?」

「う…」

 彼女が言葉に詰まった所で、女性は微笑んだ


 女性はショーケースから取り出した深皿に、白米と鍋の中身を盛り付ける。

様々な香辛料が溶け込んだ黄金と褐色が混じり合った香り高いルウ、ワインでじっくり煮込まれた牛肉に、旨味の凝縮された野菜類、艷やかに彩る白米。

立ち上る湯気が、卓上で夜気を温める。

 

「カレーライスだ。療養の身には刺激が強いか?」

「あっ…えっと…」

持ち合わせを確認しようとした彼女の手を、女性が止める


「代金は名前で十分だ。…私はレア・ローラン・ブリジット。お前は?」

「…セシル・オベール・ドラクロワ。…助けてくれてありがとうございます。」

「どういたしまして。」

 卓上に2つ、カレーライスが並ぶ。

席についたレアがスプーンでカレーをつつくのを見て、セシルもカレーをスプーンで掬い上げ、口に含んだ

続く二口目、三口目のペースが少し早くなった様子に、レアは少し口元を緩ませた


「…どうして、私を…?」

「気まぐれ。買い出しの道すがらに偶々」

 セシルが気になっていた答えは、カレーをつつく間に呆気なく出た


「流石に乳房を丸ごと曝け出して倒れてる女、見過ごせないだろ?」

「あぁ……あははっ」

 苦笑いを浮かべるセシルに、何かを見据えたような色がレアの碧眼に宿っていた。


「…ドラクロワ、ね…」

ふと、レアは記憶を探るような響きを持たせて呟いた

「…私の名前が何か?」

「…気になる事が2つ有ってね。」

一層低い声色で、紡がれた言葉は鋭さを纏っていた。


「ドラクロワという名前に、お前が持ってるダガーの特徴的な柄…」 

「…名前はともかく、ダガーは店で買ったモノ…ですよ」

甘く味付けされたミルクティーを一口、一抹の不安と共に喉に流し込むセシル


「ふーん…そう?…あと敬語が合わないなら止めても良いぞ」

レアの声色は再び日常へセシルを引き戻し、一息吐く余裕を与えた


 「…じゃあ、私も聞いて良い?」

「何だ?」

「…」


 セシルの言葉の続きは紡がれなかった。

 

 聞きたい事は山ほどあった。

 どうも"ただの気まぐれ"とは思えない。何故自分を助けたのか?

 右の眉上に生えた、サイズはコブ程度に小さく目立つ紫の角、そして白い肌に目立つ左胸の暗紫の痣

 種族柄、生まれ持つ瑕疵を目にしても動じないこの人は一体何者なのか?


しかし、何れも聞くには"今じゃない"気がした。


 セシルは空になった器を見て、腹を撫でた後に再び口を開いた

「…おかわり、ある?」

「…ああ、有るよ」

レアは微笑んで、空になった器を手に、再びカレーを盛り付ける


次に発する言葉を見失ったように、深紅の瞳が辺りを彷徨う。

カレーを盛り付けた深皿が机に置かれる、重量感のある音が現実へ引き戻す 


「…朝になったら、身体でも動かすか?」

「…え?」

 唐突な問いにセシルの手が止まった。

 構わずレアは続ける


「…私の朝のルーティン。目覚めも良くなるし…頭もスッキリする」

 その声色は強制するでもなく、しかし逆らえない実感を伴っていた。


「身体を動かすって…何を?」

「軽い鍛錬。お前の身体ならついて来れると思うんだが」

レアの碧眼は、引き締まったセシルの長身と、クセのない素直な挙動を捉えていた


「興味があるなら、この話の続きは朝に。」

 そう言うと席に戻り、再び深皿のカレーをつつく


「…食事、結構スローペースなんだな?」

「食事は味覚で楽しむ娯楽であって、食べる量を競う競技じゃないからな。」

 セシルが2人分の半ばを過ぎた頃、レアはまだ1人分半ば。

 

 食卓の明かりとカレーの湯気が、未だ深い夜を温かく照らしていた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る