いつか同じ空の下で笑えたら

カリーナ

第1話

ボク達は少年時代のほとんどを白い壁の中で過ごした。

昼間、非道い砂嵐が来る。来る日も来る日も、砂嵐が来る。

その間ボク達はドームと呼ばれる白いテントの中で過ごさなくちゃならない。夜になるとそれはもう、外界の温度は頗る下がるものだから、やはりボク達はテントの中で眠る。

年に数日の間、気候が良くて、外で星を見られる時がある。そんな時子供たちは挙って外に出たがるものだが、大人達はいつ砂嵐が戻ってくるか分からないから、早くドームの中に入れと子供たちを白い壁の中に追いやってしまう。


ボクがサナエに出会ったのは、そんな砂嵐がいつもの三倍は非道い明け方だった。


なんとか早朝にテントを張って、来る砂嵐に備えて、みんなテントの中で体を強ばらせていた。朝ごはんを茹で出す者もいたし、まだ眠っている者もいる。

そんな時、ボクは眠気まなこを擦りながら、視界の端でテントがひどく揺れるのを見た。


(すみませーん、すみません)


半分眠っている頭で、まだ夢を見ているのかと思った。


「すみません、誰かいませんか、すみませーん」


はっきりと聞こえる。

テントは、砂嵐に煽られ、はためいている訳では無い。

人間の影が見える。それもふたつ。後ろに駱駝だろうか、なにか生き物のようなものも見える。


「すみません、誰か、すみませーん」


起きて大人達に知らせなくちゃ、そう思い立ち上がろうとするとボクの父さんが小走りでそちらに向かっていた。


「どちら様で?」

「旅人です、道に、道に迷ってしまって。中に入れて貰えないでしょうか」


父さんは少し迷ったように首を傾げて、外の砂嵐の音を聞いていた。

轟々と、まるで何百頭もの馬が駆け抜けてくような音がする。

それほど非道い、砂嵐だった。

「さあ、さっさと入れ」

父さんは二人と一頭を中に入れる。

やはり駱駝だった。もう瘤がどこにあるのか分からなくなるくらいに砂が背中に溜まった駱駝を、なんとか外で砂払いしながら連れてきた。

ひとりは、かったるそうに、とても疲れた様子で荷物をテントの中に担ぎ込んでいる。

もうひとりは、大きな目をした少女だった。

「ありがとうございます。この辺を旅していたら、突然、凄い砂嵐が来て」

「あんた達、この辺は初めてかい?この時期ゃずっと砂嵐だよ。まあ、上がんな」

「ありがとうございます」

父さんは二人と一頭の砂を払いながら、荷物を運ぶのを手伝う。

「にしても非道い砂嵐だねぇ」

「はやくおさまるといいのだけれど」

「あなた、朝ごはんが出来ましたよ」

「サヤ、子供たちを起こしてきてちょうだい」

姉さん達が口々に言う。

ボクもそろそろ起きなくっちゃ。


朝ごはんをサナエたちと一緒に食べて、こういうことが分かった。

サナエたちは東にある婆ちゃんの家から、西にある、お兄さんの家まで帰ろうとしているということ。

こちらの方が近道だと聞いて、いつもと違う道で帰ろうと来てみると、非道い砂嵐に合ったということ。

「皆さんに助けてもらわなければ、どうなっていたことか。本当にありがとうございます」

高い、明るい声でサナエは話す。

もうひとりの、サナエの従姉妹はその間一言も喋らなかった。

「良いんよ、もう少し収まるまでこの辺で居なさい」

「まあ、非道い時期に来たもんだねぇ」

「ゆっくりしてってね」

「ありがとうございます」

ちょうどボク達のグループも西へ向かう途中だった。

「本当に、ずっと居ていいんですか?」

「ああ、嵐が病むまで、どのみち外になんか出られやしないよ」

「わあ、ありがとうございます」

サナエはにっこりと笑った。


その日から、ボク達のグループにサナエたちが加わった。

サナエの従姉妹は、子供の世話が好きだからと言って、ボク達のテントとは別にある第二ドームへとその日の夜に移って行った。


ボク達の生活は朝早くから始まる。

早朝、太陽の陽が昇る頃、見張りと呼ばれる者がその日の天候を告げる。

まあ、この時期は毎日が砂嵐で、外に出られる時間なんてほとんど無いからどうしても外の風に当たりたかったらこの時間に見張りと一緒に外に出るのがいちばんだ。

実際、見張りと呼ばれる大人はグループの中でも相当信頼のある人たちだから、見張りと一緒に外に出るのがいちばん安全だ。

家畜の数を数えて、まあ人間はそう減らないだろうけれど、一応チビ達の様子も見て、朝が本格的に始まる。

オンバ達はトガの実を茹で出す。麦よりも少し小さなそれは、よく茹でないと硬いけれど栄養満点でボク達の主食だ。

「へぇ、サナエ達はトガを食べないの?」

「私が東にいた時は米を食べていたわ」

「あんな細っこいもののどこがいいんだい」

「ふふ、けれどそれが普通だったのよ。トガの実は本当に美味しいわね」

「ボク達のグループが作るトガはいっとうに美味しくて、ここいらでも評判なんだ。早く西に着かないかな、母さん達みんな、待ってる」

「カイトはこの生活、楽しい?」

「不便なこともあるさ、砂嵐はずっと非道いし、外に自由にだって出られやしない。けど、母さん達が喜んでくれる顔を見るとね。ボクは俄然やる気になるよ」

「そう……」

「サナエは?サナエはどういう生活をしているの?」

サナエは外の生活のことをたくさん話してくれた。ドーム暮らし以外の生活を。

東には穏やかな草原が拡がっていて、そこで婆ちゃんが住んでいるということ。

西にいるお兄さんたちは、米を作ってムラを形成しているということ。

「ムラ?ムラってなんだい?」

「ムラは、その土地に永住することよ」

「エイジュウ?」

「そう、ここのグループみたいに、移動する必要は無いの」

「けど、どうやって?」

「ムラには井戸というものがあって、そこから水が得られるわ。その水と雨水を利用して私たちは米を作って生活しているの。」

「へぇ、不思議だなあ。米は毎年そこでできるの?羊達もそこにいるの?」

「ええ、ヒツジたちもそこにいるわ。」

サナエから聞く外の話はそれはもう、面白かった。婆ちゃんのこと、お兄さんのこと、土地のこと、水のこと

ムラでの生活がどんなに楽しいかサナエから聞く時間は、この鬱陶しい砂嵐を少しだけ忘れることが出来た。


それから毎日、サナエと話して過ごしていたけれど、ある日具合が悪いと言ってサナエが起きてこない日があった。

「サナエ、大丈夫?」

「ええ、平気よ。いつもの生活と少し、違うものだから……」

サナエの頬はいつもより少し赤い。熱っぽい様だった。

「水も、普通の水なんだけどなあ。やっぱり砂嵐の音が煩いの?」

「ふふ、そんなことないわ。ただ、ちょっと……」

どうやら移動の生活はサナエには慣れないらしい。

エイジュウってそんなにいいものかなぁ。

「なにか、けほっ、絵を描くものなんて無いかしら?」

「絵?」

「絵の具とか、そう言う……」

「絵なんか描いて、どうするの」

「私、昔から絵を描くのが好きだったのよ」

「絵、ねぇ……」

「少しでも、いつもの生活に近いふうにしてみようと思って」

ボクも小さい頃、第二ドームにいた様な時分は、大人達が仕事でいない間絵を描いたりして過ごしていた。

こちらのドームに移ってきてからは、朝から晩までテントの補修や家畜の世話、トガの実の管理に水の管理とやることだらけで絵なんて描かずに過ごしていた。

「第二ドームに行って、聞いてくるよ。サナエはここで待っていて」

絵を描きたいなんて随分と不思議なことを言うもんだなあと思ったけれど、まあそれでサナエが元気になるならいい。

本当はお婆ちゃんを懐かしく思ったのだけれど、それを言い出せずに絵を描きたいなんて誤魔化したのかもしれない。

まあいいや、ともかく絵の具と羊皮紙を貰ってこよう。

仕事の合間をぬって第二ドームに行くと、子供達の世話をしているオンバに会った。

事情を話すと、要らなくなった絵の具と羊皮紙を貰うことができた。

随分ボロいものだったけれど、無いよりマシだろう。水で溶かせばきっと、何とかなる。

顔を上げると、サナエの従姉妹が子供達に囲まれて、一緒に手遊びをしているのが見えた。

「サナエ、戻ったよ。はいこれ、絵の具と羊皮紙」

「まあ、嬉しい!」

「サナエはなにを描くの?ボク、もう何年も絵なんか描いちゃいないや」

「ふふ、絵を描くことはその時の気持ちが表れると言われているのよ。私、気持ちが落ち着かない時はいつも絵を描いていたわ」

「ふぅん……」

「カイト〜早く来なさい、夕食の準備手伝いなさい」

「はあ〜い」

食事代の方にボクは向かう。

ボロい絵の具だったけれど、サナエが喜んでくれて良かったや。

(ここに米は無いけれど、トガの実を食べて早く元気になってくれるといいな)


その夜、サナエは随分具合がマシになったと言ってボク達の寝床に遊びに来た。

「今日は随分静かなのね、全然砂嵐の音がしないわ」

ふたり、ゴロンと床に寝転がって話をする。

「やっぱり砂嵐の音が原因だったんじゃないか。サナエ達はなんで近道なんかしたの」

「ふふ、そうね。いつもは行かない道だものね。けど、こっちの方が近いと兄さんたちが言っていたわ。それで来てみたのだけれど……こんなに大変とは思わなかった」

「熱なんか出しちゃってさ」

「けれどカイトたちと出会えたわ。本当に、入れてくれてありがとう」

「そんなことはいいんだけどさ。サナエ、絵を描いたの?」

「ううん、まだ完成はしていない」

「そう。ボクは絵なんかてんで描かなくなったなあ」

「昔は、描いていたの?」

「そんなでも無いけど、嫌いじゃなかったよ」

「どうして描かなくなったの?」

「そりゃ、忙しいからだよ。絵なんて、子供がやることさ」

「そんなことない。芸術家だって、私達の村にはいるのよ。カイトだって絵を見るの、嫌いじゃないでしょう?」

「そりゃまあ、美しい芸術に触れてられるのは好きだけど……父さん達言ってた、自然が一番の芸術だって」

「この砂嵐がね……カイトはここを出ようと思ったことは無いの?」

「ここを出る?」

「そう、ここを」

「ここを出て、どうするのさ」

妙なことを言うもんだと、サナエを見つめ返すと、にっこり笑って、はっきりとこう言った。

「例えば、どこかに永住するとか」

「永住、ねぇ。ま、それも良いことだってあるんだろうけど、ボクは生まれてからずっとこの生活だから、分かんないや」

腕を枕にして、天井を見つめる。

空虚な白い布が一面に広がる。その上で、綺麗な星空が広がっているのだろうか。

サナエの言ったように、ここ数日は砂嵐が少しマシなもんで、夜になると俄然音がマシだった。

明日なんかはきっと綺麗な星空が見られるだろう。

大人達の目を盗んで、少しだけならサナエを連れ出せるかもしれない。

「村は素晴らしいのよ」

「例えば?」

「まず、こんな砂嵐来ないでしょう」

「それから?」

「それから、こんなに離れた距離を移動しなくて済む!」

「そりゃ永住してるからじゃないか」

「そうね」

サナエも一緒になって、白いドームの天井を見上げる。

「そこ……ではさ、綺麗な星空、見えるのかい?」

「星?」

「そう、星。ボク、星を見るのが好きだ」

「なら、なおさらこんな生活、あんまりでしょう。滅多に星空なんか見えやしない」

「そうだね。だけど、だからこそたまに見る星がいっとうに美しくも思えるもんだよ。こんなもの、そりゃボクだって毎日見られたらって思うよ。けれど、流星が毎日流れてちゃ、有難みも半減するんじゃないかな。こういう風に、たまにしか見られないからボクは星が好きになったんだと思うよ」

「あら、じゃあカイトは毎日私と顔を突合せてちゃ、嫌いになっちゃうのね」

「そんなことないさ。それとこれとはまた別だよ、家族だとか、友達だとかってのは」

「そう……カイトは本当に、ここでの暮らしに満足しているのね」

「まあ、そうかな、今のところは。人それぞれなんじゃないかな、ボクはしたことがないから分からないけれど、その永住とやらの方が好きな人だっているかもしれない。ボクには分からないけれどね」

「私、お婆ちゃんと一緒に住んでいるのが好きよ」

「なら東で暮らせばいいじゃないか」

「そうも……いかないの。私は兄さんたちと暮らさなきゃならない。お婆ちゃん、元気かしら」

「きっと、大丈夫さ。きっと、明日は……」

「明日は、なに?」

「ううん、なんでもない。ボクもう寝るよ、おやすみ」

「おやすみなさい」

星を見に行くことは明日伝えよう。その方が、きっと盛り上がる。

楽しいことは直前まで知らない方がいいに決まっているんだ。その方が何倍も面白くなる。

明日は晴れるといいな……。


翌朝、サナエはすっかり具合が良くなったようで、いつもに増してテキパキと働いた。

「昨日はすみませんでした、ご迷惑おかけして」

「いいのよ、まだゆっくりしてても」

「もう大丈夫ですから。美味しいお料理も頂きましたし。今日は随分砂嵐も、穏やかなんですね」

「ああ、滅多にないけれど、たまにこんな日もあるもんさ」

「そう……ここの人たちはみんな、ここでの生活が気に入っているんですか?」

「そうさね、まあ基本的には色んなものを受け入れなきゃならないからねえ。不便もあるけど、みんなで何とか、頑張ってやっているよ。あんたもテキパキ働いてくれるし、存分に助かってる。ありがとね」

「そんな……」

「サナエ、サナエ!」

「わ、びっくりした、なあに?カイト。お昼はまだよ」

「違うんだ、いいからこっち来いよ」

「ちょっと、なに」

ボクはサナエをドーム内の牧場に連れ出す。

この時間ならあんまり人がいないから大丈夫だろう。

「なあサナエ、今日の夜いいとこ連れてってやるよ」

「いいところ?連れていくも何も、テントの中でしょう?もう全部見たわ、全部案内してもらったもの。それともなに?秘密の抜け道でもあるのかしら?」

「秘密の抜け道?なんだいそれ。そんなものは無いよ。けど、ほんと、いいとこなんだ。今、見張りの人から天気を聞いてきたから間違いない、今夜は見れるぞ」

「見れるってなに、」

「それは今夜のお楽しみ!夜ご飯食ってから、ここ待ち合わせな」

「はあ〜い」

そんなこんなであっという間にその時間になった。

ボクはドキドキしている、今までだってここを抜けて星空を見に行ったこともあったけれど、そうだな、最長で30分。

それ以上は、無い。

まあどんなに天気が良くたって、無風になることは無いし、見回りの大人に見つかっちまう。

正直ボクだって、いつ砂嵐が非道くなるか分からない中、ずっとひとりで外にいるのは怖い。しかも夜に、星の光はあるとは言えど……。

サナエは喜んでくれるかな、こんな砂嵐の移動中に見る星空を。

ボクがこの生活の中で一番楽しみにしている瞬間を。

誰かと共有出来るなんて、とても嬉しいや。

西に着いたらサナエはもうそこで、お別れするのかな。

サナエはボクの友達に、なってくれるかな。

「サナエ、こっちだよサナエ」

「あら、私洗い物があるのよ。昨日寝込んでおやすみした分きちんと働きたいのに」

「いいから、ひとり抜けたってわかりゃしない」

いや、分かるだろう。

すぐ気づかれて、サナエさんはやっぱりしんどくなって寝込んだのかしらとかなんとか話し出すに違いない。

まあいい、ボク達が外にいることさえ知られなければ、長くて30分星空を眺めていられる。

「出るぞ、外に」

「外に!?危ないんじゃないの?」

「ほら、音を聞いて」

ふたり、ドームの出入口の傍から外の音を聞く。

「今日は随分とマシだろう?」

「そうね、昨日もマシだったけれど今夜は一段とマシな気がする。すると、まさか!」

「そう、今夜は星を見られそうなんだ。見回りの大人達に見つかったら直ぐにドームの中に戻されるから、それまでの間、な」

「今までもこうやって抜け出しては星の空を眺めていたの?」

「ああ、ずっとドーム内にいる子供なんてひとりもいないよ」

「そんな」

サナエは目を細めてくすくすと笑った。

「私、ここへ来てから今が一番楽しみわ」

「ボクもさ。星を一緒に見られるんだから。さあ、今だ!」

サッと出入口を抜けて、外に出る。

ブーンブーンと、風の音はするけれど砂埃は膝頭位を待っているだけで、視界の妨げにはならない。

念の為布切れで鼻と口を覆って、ドームの回りを歩き出す。

「もう、見てもいいの、お空?」

そう言ってサナエは上を指さす。

「まだだ、まだだぜ。せっかくだからいいところで見よう」

「ふふ、任せるわ」

ふたりで第二ドームとの接合部分の近くまで歩く。

そんなに風も非道くなってない。いい感じだ。

「ここなら見回りに見つかるまで時間がかかる、ここで見よう」

「ここで、上を見たらいいのね?」

「いいや、まだだよ。ボクもそうしていたんだけれど、すっごく首が痛くなる。どうやっても長時間上を見続けることなんて不可能なのさ。かと言ってこの砂埃が舞う中、寝転ぶわけにもいかない」

「すると、どうするの?」

「こうするのさ」

ボクは持ってきていた皮袋を開けて地面に水をぶちまけた。

「まあ、お水、貴重なんじゃないの?」

「大丈夫、昨日水の管理をしていたんだけれど、きちんと余裕を持って西には着けそうなんだ。サナエ達ふたりを迎えても尚、余裕があるのは今年がそんなに暑くなかったせいだと思う。ほんと助かったよ」

「こんなことして、悪い子供だったのね」

「少ない楽しみの中で、たまには娯楽も必要さ。さ、乾かないうちに寝転がろう」

背中がびちょ濡れになっちゃうや、毛布でも持ってくりゃ良かった。

まあ仕方がないから水を撒いた地面にボク達ふたり、横になる。

「せーの」

毎晩、もう考えることもないくらい見飽きた真っ白なドームの天井とは違う、視界一面に広がる星。

ああ、やっぱり、すごいな。

「ほら、見て、あれ。あれなんかは動かないんだぜ。昔そう教えてもらったことがある。船乗りさん?とかいう人達はあれを頼りに生きていたらしい。この季節だと……あれ、あれも見えるだろう?あれは昔、サナエ?どうしたの……?」

興奮して喋りすぎちゃったかな。口を覆っている布で息苦しくなるくらいに捲し立てていた。だって人と星を見るのなんて初めてなんだもの。

隣を見ると、サナエは泣いていた。

そんなに外が恋しかったのかな。星空なんて、その、ムラとか言うところじゃ毎晩だって見られるだろうに。

「外、恋しかった?」

「私、こんな綺麗な星空初めて見た。生まれて、初めて」

「そう、良かった。ボクはこれを楽しみに生きてるんだよ。ここに米は無いけれど、悪くないだろ?これをたまに見られるんだからさ、ここの暮らしも」

「こんなに、こんな空一面の星、まるで、まるで降ってきそう……」

サナエは静かに泣いていた。

体調も良くなってよかったな。

「ボクは絵を描かないけれど、もしまた描くとしたらこれを描くだろうな。ああいやけれど、ボクの力じゃこんな綺麗なものを、このままに描けやしないか、残念。サナエは?サナエが描いてよ、この満天の星空を」

「私ね、あんまり家族の仲が良くなかったの」

「そうなの、お婆ちゃんは?」

「お婆ちゃんとは唯一、仲が良かったの。お婆ちゃんだけが私の支えだった。お母さんはね、なんでも人のせいにする人だった。そんな風に生きていて、なによりもお母さん自身が苦しそうだった。私は米しか食べて育たなかったの。米と限られた野菜だけ。お肉なんて食べたこともなかったわ。あと、お家では様々なルールがあって、私はそれにたくさん縛られていた。決められたもので作られた布しか着ちゃダメだったし、食べ物だって生活様式だって……」

「そう……」

随分と変わったお母さんだったんだと、ボクは思った。

「そんな生活にうんざりして、お父さんが出ていってしまったの。私には兄がいて、姉もいたんだけれど、ふたりともすぐに家を出てしまった。私はお母さんと長い間ふたりで暮らしていたの」

いつの間にか、サナエは泣き止んでいた。

「ねぇ、カイト。私たちの村に来ない?」

「村に?」

「ええ、カイトは、色んなこと知ってるじゃない。星のことも、私、こんなに星の話聞いたの初めてよ。村にはたくさん人がいるけれど、そんなに星のこと知ってる人、いなかったわ」

「そうかなあ」

「ええ、うちへ来てみんなにその事教えてあげて欲しいの。カイトはこんなところの生活より、そっちの方がよっぽど向いていると思うの。それにね、村では」

「おい!ガキ達!そこで何やってる!」

「うわ」

もう見つかっちまった、これで15分くらいかな。もっと星、眺めてたかったなあ。

「行こっか、サナエ」

「……ええ」

「すぐ戻るよ」

「またお前か、カイト。お嬢さんまで連れ出して。知らねぇぞいつまた来るかわかんねぇんだから」

「ちゃんと扉まで走っていける距離だもん」

「いいから早く行け、な、おやすみサナエさん」

「おやすみなさい」

そこからサナエはだんまりしてしまって、何も話さなかった。

「じゃあね、おやすみ。星、サナエと見られてよかった」

「ええ、本当に」

「サナエも、そう思ってくれてる?」

「思っているわ。おやすみなさい」

「おやすみ……」

なんだかあんまり嬉しそうな顔じゃなかったな。

それにしてもサナエにそんな過去があっただなんて。

随分大変だったんだろうな。お父さんも非道いや、家族を残して出ていくなんて。サナエにはお婆ちゃんがいて、良かった。

「サナエが泣いてたの、嬉し涙だったらいいのにな」

ドームの白い天井に、今日見た星々を思い浮かべる。

「ボク、星のこと詳しいのかな。毎晩見てたらもっと、詳しくなるのかな」

永住ってやつがどんなものなのか、まだピンと来ない。

サナエと暮らすのも悪くないのかもな。

「いいや、ボクはここに残ってみんなとトガを作らなきゃならないしな……サナエ、いつか星の絵描いてくれるといいな……」

いつの間にか眠りに落ちていた。

背中の湿りを感じながら、眠りに落ちていた。


朝、目覚めると寝床には人っ子ひとりいなかった。

(おかしいな、もうそんな時間?)

そんなに寝過ごしたかと思って慌てて食事台へ行くと、なにやら輪になって皆で話し込んでいた。

「本当、本当よ!信じてください!」

「じゃが、なあ……」

「本当に……あ、カイト!カイトだわ!」

いきなり名前を呼ばれて前に出てみると、サナエがなにやら訴えていた。

こういう事らしい。

昨日の夜中、サナエは目が覚めるとなにやら人影が見えた。怪しんで様子を伺っていると、自分たちと同じ部族の親戚だった。

話によると東のムラでサナエの婆ちゃんが倒れたらしい。一刻も早く戻った方がいいとのこと。

「それで、私……」

「じゃがなあ、昨晩そういった旅人を見たものはひとりもおらんのじゃ」

「本当よ!本当に私、見たんです。さをりの話を聞いたの!私たち、戻らなくっちゃ、お婆ちゃんが……」

婆ちゃんの身を案じてサナエは一晩中泣いていたと言う。旅人はそれを伝えるため西へ走っていったらしい。

「で、帰りたいというのかい?」

「はい、なるだけ早く。東へ移動することは出来ますか?」

「それはのぅ……」

祖父は頭を抱えている。

「どうした、何があった」

見張りを終えた父さんが戻ってきた。

「サナエが東に帰りたいんだって」

「東に?無理だ。あと三週間で西に到着する。東に引き返すことは出来ない。それに今日は間日で嵐が来ない、今日中に二区間は西へ歩みを進めたい。」

「そんな……」

わぁっとサナエが泣き出した。なんとかすることはできないだろうか……。

「私、戻ります」

いつの間にやってきていたのか、第二ドームでいたはずのサナエの従姉妹が立っていた。

ボクの記憶にある限り、彼女ははじめて声を発した。

「今戻ると命取りになるぞ!」

「大丈夫です、今日の間に可能なだけ、東へ戻りますから。その後は、なんとかします」

妙に確信のある声で、もう揺るがないと言った意志を感じた。

「ルーグ……」

「サナエ姉さん、姉さんは西へ行って兄さんたちに知らせて。私はお婆ちゃんを見てくる」

かくして、サナエの従姉妹のルーグが駱駝に乗って東へ戻ることになった。

「ルーグ、くれぐれも気をつけてね。お婆ちゃんによろしく」

「ええ、サナエ姉さんも検討を祈っているわ」

サナエはルーグとしっかり抱擁を交わす。

ルーグは東に翔けていった。

「さ、仕事だよ、嵐が来ない間にやっておかないといけない事が山のようにある。さ、働いた働いた!」

「サナエ、大丈夫?」

こくんと頷いて、サナエはとぼとぼと仕事場に歩いていった。

全然大丈夫じゃ無さそうだな、絵の具はもうあげたし、星ももう……。

(サナエ、大丈夫かな)

サナエは随分落ち込んでいるようだった。

また絵の話をしよう、絵を描くと気が晴れると言っていたから。

故郷を思い出して余計哀しくなるだろうか。

けれどいつだって、人に話をすることは悩みを手放すひとつの解決方法なんだ。

(今夜もきっと、星が見られる。大丈夫さ)

朝から晩までそれぞれがそれぞれの仕事をした。

サナエは辛さを忘れるようにか、いつも以上にテキパキと働いていた。

すっかりとボク達のグループにも馴染んでいた。

夜ご飯を食べ終えて、寝る支度をしているとカイト、と後ろからサナエの声がした。

「お疲れ。間日はやることが多くて大変だったろう」

「ええ、平気よ。忙しいの、慣れてるもの。それよりカイトに見せたいものがあるの」

「見せたいもの?」

「そうよ、こっちに来て」

また星空を見に行くのかと思っていたら、連れていかれたのはサナエの寝床だった。

サナエは枕の下からなにやら取り出す。

「これ、昨日描いたの。ほら、昨日見た」

「星空!」

ボクがあげた羊皮紙に、満天の星空が描かれていた。

あげた絵の具を全部使って描かれたそれが星空だって、ボクはすぐに分かった。

「すごい、すごいよ!サナエ、絵が上手なんだね」

「言ったでしょう、村にいる時、気分を明るくしたい時は絵を描くことに没頭していたの」

「すごいや、本物の星空よりも綺麗だよ」

「ありがとう。誰かに私の絵を見せたのなんて、初めてだわ」

「どうして?こんなにも上手なのに」

あのボロっちい絵の具でこんなにも描けるだなんて、サナエは本当にすごいや。

「この絵、売れるよ。旅商人なんかに売ったりしてさ」

「そう、思う?」

「もちろん思うよ!」

「実はね、いつか私の絵を人に買ってもらうのが夢なの」

「絶対叶うって、それ!こんな数本の絵の具でも星空描けちゃうんだから!ねぇ、今夜も星空、見に行かない?」

「怒られるわよ」

「大丈夫だって、今日は間日だろ?大人達は飲んでるんだよ、お酒を。すぐ行って戻ってきたらバレやしないよ」

ということでボク達はまた、外を出歩くことになった。

本当に、夜風が気持ちい。

素晴らしい天候だった。

「あれ、見て。コブが3つあるみたいに見えない?」

「あら、本当ね」

「じゃ、駱駝座だ」

「なにそれ」

サナエは横でケラケラと笑う。

「コブが2つのもあるじゃない」

「じゃあそれも駱駝座だな」

「全部そうなんじゃない!」

「いいんだよ、コブっぽく見えたらさ。けどあれは本当にコブに見えるぞ、やっぱり駱駝座だって、東のやつが」

「そういえばルーグ、元気にしてるかしら……」

「ルーグも星、見てるといいね」

「そうね……」

「そろそろ戻ろっか、ちょっと寒くなってきたし」

「今日地面に水を撒いていたら、ふたりして風邪をひいていたわね」

「次やる時は敷く用の布を持っていかなくちゃいけないね」

「ふふ、次も見えるかしら、駱駝座」

「きっと見えるさ」

中に戻ると案の定、大人達は食事場でお酒を飲んで語っていたのでボク達はこっそりと寝床に向かった。

「星、綺麗だったわ」

「そうだろう?ボクは星が大好きだよ。サナエの村でも、星綺麗に見えるの?」

「そうだ、カイト、一緒に来ない?私の村に。天文学者がいるのよ!」

「天文学者?」

「そう、星を研究する人たちなの。そこではずぅっと、年がら年中、毎晩星が綺麗に見えて、その人たちは毎夜星を見上げるの。そして、星の研究をするのよ。カイトはこういう生活が長いから、星のこともその他のことも、たくさん知ってるじゃない!それ、教えてあげてよ私たちの村の天文学者に!きっと喜ぶわ。私たちが見つけたあの星座、あの話もしましょうよ!」

「それは……」

随分と素晴らしい話だと思った。こんな砂嵐に苛まれず、毎晩星が見られるなんて。

「私、カイトと友達になれて嬉しい。カイトがずっと、私たちの村に居てくれると、とっても嬉しいわ」

「それは……」

ボクだってサナエと毎日星空を眺められたらどんなに幸せだろう。

けれどここでの生活はどうなるの?

父さんやボクの祖父の跡は誰が継ぐのだろう。

トガを植えて、母さん達に運ぶのは?ボクひとり抜けていいのだろうか。

「なにか、困ることでもあるの?」

「そりゃあるさ、ここでの生活だって……」

「みんな連れてくるといいじゃない!」

「みんな!?」

「そうよ、みんなで私の村で生活すればいいんだわ。ほら、村にだってこのテントは張れるのよ」

「それは……」

そりゃそうかもしれないけれど、母さんや父さんを説得できるのかなあ。

「カイト、自分のことは自分で決めなきゃ。私もお母さんと暮らしている時、色んなものを奪われたわ。それは物や食べ物じゃない、決める力や自分を幸せにする力よ。それを人はみんな持っていて、人から奪われていいものでは無いの。私、カイトに天文学者になって欲しい。私は絵を描いて絵を売るの。カイトは星を見るの。そうやって、夢を叶えたい」

「それは……」

素敵だな、星を毎日見られるなんて。

トガも毎日食べたいな、出来れば米じゃなくて。

「ま、西に着いたらまた母さん達にも話してみるよ。」

「カイト、私は本気で」

「ありがとう、サナエ。ボク今日は疲れたから……おやすみ……」

毎晩星を見られるなんて、思ってもみなかった。

どんな生活だろう、サナエはまた星空を描いてくれるのだろうか。

サナエのお婆ちゃんやルーグのことなんてさっぱり忘れて、ボクは幸せな眠りについた。

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