第48話 温い闇夜のマリアージュ
「パリス、栗栖よ。
フォーメーションJだ」
幸いなことに俺の周りにはまだパリスと栗栖、榎本がいる。
「シロタン…、あれをやるんだね」
とパリスは俺に視線を送ってくる。
「え?シロタン、それは何?」
この期に及んで栗栖の野郎がすっほとぼけたような顔を浮かべる。
「忘れたのか、対ヅラリーノ用のアレだ」
俺は牛浜に聞かれぬよう声をひそめる。
「ヅラリーノ?それはランドセル?スタバのやつか何か?」
「馬鹿野郎、ヅラリーノを忘れたのか?」
栗栖は惚けたような表情を浮かべるのみで、何もわかっていないようだ。
そうだった…、この世界にはヅラリーノがいないのだ。
よってヅラリーノの記憶が無い奴は、カツラ狩りの為のフォーメーションや作戦も無かったことになっているのであろう…
「風間、私がやろう」
榎本だ。榎本は例の厚底靴を脱ぎながら言った。
「榎本さん…、しんがりを任せる」
榎本は俺の言葉に親指を立てて答えた。
「よし、身長の都合だ。俺が先頭に立つ。行くぞ。
話はそれからだ…」
俺は横にいる榎本とパリスへ流し目加減の眼差しを送ると、二人は俺の背後へと回り、俺たちは縦一直線となる。
このフォーメーションは一人と見せかけて、三人がかりで連続攻撃を行うというもの。三位一体の連携攻撃…、早い話がガンダムに出てくるアレだ。
しかしだな、アニメの話だと馬鹿にするなかれ。俺たちはこの連携で連戦連勝、ヅラリーノのカツラを狩り続けてきたのだ。
流石の牛浜もこれには背後を取られるはずだ。
牛浜に向かって突撃すると、背後の二人も俺に続く。
牛浜との距離を詰めた時、不意に牛浜は跳躍した。
「え?」
牛浜の跳躍は高い。俺の頭上を超えていく様が、まるでスローモーションのように見える。
「浅はかな奴らだ」
俺の頭上からその一言が聞こえた。その直後、俺の脳天へ軽く衝撃が走った。
牛浜はどうやら俺の頭を踏み台にしたようだ。
「何ぃぃ」
その声は榎本だ。榎本も俺と同様、踏み台にされたのか?
咄嗟に振り返ると、そこには既に方向転換し、不敵に微笑む牛浜がいた。
ヤシの木の葉が風に揺れる。
その風は温く、この場の空気を不快なものにした。
さらに悲鳴ともつかぬ奇声が、この温く重苦しい空気をより不快なものにする。
「い〜、い〜」
その奇声の主はヤシの木の下にいる。
植村だ。
夜は更け、ホテル館内から漏れ出る灯りもまばらな闇の中、俺たち総勢20名強は正座をさせられ、じっと運命の時を待っていた。
「富田。バリカンを頼む」
牛浜のその一言に応じ、富田は手に持った鞄を探り、バリカンを取り出して牛浜へ差し出した。
牛浜は手慣れた仕草でバリカンの刃を確認すると、スイッチを入れて動作確認をする。
バリカンの回転するモーター音が温い夜に鳴り響く。
普段なら何も感じないのに、この時だけはその音に背筋が凍る思いがしてくる。それはここにいる20名強の者たちも同様のようであった。
鼻をすする音や言葉にならない声を漏らす者、様々だ。
「まずは教師である植村からだ。
指導者として責任の取り方を身をもって示せ」
「い?」
牛浜の冷徹な一言に植村は一言、奇声で反応した。
牛浜はバリカンを片手に悠然とヤシの木の下で縛られている植村の元へ向かう。
「やめてください!やめてください!」
ここにきて植村は身の上に降り掛かる危機を理解したようだ。奇声ではなく言葉を発した。
「やめて!人権侵害だ!暴力反対!」
しかし、牛浜は聞く耳を持たない。悠然と植村との距離を詰めていく。
「やめて下さい!助けて下さい!石川くん!牛浜さんを止めてっ!」
驚きだ。植村の奴が普通に喋っている…
植村はたまに言葉を発するが、常に意味不明か一方通行的なものなのだ。そんな奴がヤシの木の下で必死に助けを求めている。
そんなにあのゴキブリのような髪が大切なのか…
「石川くんっ!石川くん!」
植村が必死に石川の名を呼べど、石川は来ない。
石川はこの場にいないのだ。
石川はクラスの学級委員であり優等生なのである。優等生は修学旅行の最後の夜に、ポルノ上映会なぞ参加しないのだ。
牛浜はヤシの木の下に着くと、植村の前髪を鷲掴みにする。
「いー、いーっ!やめて!暴力反対!」
植村は身をよじらせて抵抗を試みるが、牛浜の腕力は揺るぎない。
植村の抵抗なぞ、どこ吹く風といった雰囲気だ。
「榎本さんっ!至急、弁護士を呼んでください!」
植村は榎本を指名した。
これは驚きだ。植村は榎本も認識していたのか。
ふと隣の榎本を見ると、今にも笑い出しそうに軽く頬を膨らませていた。
そんな最中、俺と植村の視線が交錯する。
「風間くん!こんな暴挙は許されないことだよ!風間くん!弁護士を呼んでください!」
植村は俺まで指名したのである。
驚きだ…、植村に名を呼ばれたのは初めてなのである。
こいつ、俺までも認識していたのか…
「往生際の悪い奴め」
牛浜はそう言いつつ、作動音を響かせるバリカンを植村の額のど真ん中に当てがい、そのまま頭頂部へ移動させる。
「いや〜!やめて〜!」
植村の絶叫と髪を刈る音だけが鳴り響く。
牛浜の遊び心か、植村は頭頂部だけを刈られた落武者ヘアとなっていた。
「仲間じゃねえか!」
と大笑いをする声、それは森本であった。森本は頭頂部だけハゲ散らかした落武者ヘアなのである。
「ここで止めてほしいか?」
「はい!お願いします!」
牛浜からの問い掛けに植村は即答した。
しかし、次の瞬間には牛浜のバリカンが植村の側頭部を走った。
バリカンの放つモーター音と髪が刈られていく音、そして植村の放つ悲鳴、奇声が渾然一体となる。
これは悪夢でありながらも、幻想的なマリアージュだ。
この温い闇夜は地獄だ。
牛浜のバリカン使いは巧みであった。普段から頭髪検査でバリカンを使っているからであろう、20名強は10分も経たずに全員丸坊主となる。
その頭髪への処刑は例外なく、俺の髪にも執行された。
人生初の坊主頭…、屈辱的だ。
やけに頭が軽いのだが、俺はかつての俺ではない。絶世の美青年であることからして、坊主頭も似合っているはずだ。
似合っているはずだ…
似合っているはずだ…
誰か似合っているよ、と言ってくれ!
俺の頬に熱い何かが流れ落ちた。
牛浜は一仕事終えたとばかりに煙草を咥え火を付けると、踵を返してホテルへと歩き始めた。
その刹那、この場にいる全員が戦慄する。
「無地じゃねぇか…」
と誰かが呟いた。
そうだ、牛浜のシャツの背中は無地だったのだ。
「畜生、騙したな」
誰かが俺たちの心のうちを代弁した。
「しかし、お前らのうち誰一人として私の背後を取れなかった。
いずれにしてもお前らの負けだ」
牛浜はそう言いながら振り返りもせず立ち去る。
羽田空港の到着ロビーに学生の集団が長い列をなして歩く。
一糸乱れず歩く様はまるで行進だ。
その長い列の後方に一際目を引く集団がいる。前後の間隔、歩調も乱れ、好き勝手に歩く奴らだ。
ある者は琥珀色の液体の入った小瓶を煽り、ある者は野生味に溢れ、ある者は薔薇を咥え、ある者は常に薄笑いを浮かべ、ある者は袖の無い制服にサングラスを光らせている。
そして、またある者は絶世の美男子でありながら、周囲へ流し目加減の眼差しを送っている。
とても学生には見えぬ一団、しかもどいつもこいつも十人十色の方向性だ。
しかし、そいつらには共通していることがある。
如何にも刈りたての、青々とした坊主頭だ。
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