父は属性過多
@kuzuhana
これは派生で主軸の物語
「ボケたらお母さんは私の事なんて1番に忘れるよ」
「忘れないよ」
「いや絶対忘れる、絶対に」
ほら、忘れた。
人に忘れられるのは2度目だ。
正確には3度目だが、そのうちの1度は1週間程の短期で、父が最後に意識不明になる直前の事。
父はぎりぎりまで自力で歩き、自分の意思で最後の入院をした。
入院せん妄というのがある。
体内に管や針が入っていると発症しやすいというが、何度も入退院を繰り返すうちに、父にもあらわれた。夜中に大声をだしたり、点滴のチューブを引き抜いてパジャマを血だらけにしたり。
家族が一緒だと症状が出ない事もあると病院から指示され、病室に泊まり込んだこともある。
入院患者の家族を呼び出しては3時間待たせる病院でも、父が病気を自覚しているという看護師の憶測が外れ、家族の意向無視の告知をする病院でも、父の為なら従うしかない。
そんな時でも父は私達を忘れなかった。というか、現実的でない面白い話が聞けて逆に楽しかった。いわゆる、病院の怪談だ。
夜中に大声出すって何だったの? と思う程、平和な時間だった。家族が一緒ならせん妄がおさまるという病院の言った通りになったという事だろうか。
遠くからなら手を振り、カラオケもしない。腹を抱えて笑うこともない。そんな父が大声を出す所を見てみたかった気もする。
ただ、退院してきた日の夜中、物音に起き出してみると、真っ暗な居間で、スーツに着替えた父が一人、無言でじっと座っているのにかち合った時はギョッとした。
「なにしてんの?」
「お客さん来るから」
「いや来ないでしょ」
とっさに突っ込んでしまって焦ったのは忘れられない。刺激したらいけないような、あの雰囲気。
大丈夫だから寝て、あーー服はいいわそのままで、とつくろったけれど、家が静まり返ると段々不安になった。
本当に誰かが来たらどうしよう、何かが来たらどうしよう、そのせいで、父に何かが起こったら、どうしよう、と。
結局、空が白むまで眠れなかった。
家での父の変な行動はその1度きり。
私が死ぬときは、父のように死にたいと思わせる最後だった。
ギリギリまで自分の事を自分でしてくれた父のおかげで、私達は、たぶん、とても楽だったはず。
人生で初めて忘れられたのは、父方のおばあちゃんからだ。
「おばあちゃん、元気?」
母とおばあちゃんの洗濯物を取りに行った介護施設の玄関、介護士さんが押す車椅子に乗ったおばあちゃんと目があって声をかけた、その返し。
「ご丁寧にありがとうございます。どちら様ですか?」
家に帰り、ひとりになった途端、ドーンと涙がでて自分でもびっくりした。
むかしむかし、私が就職活動中のこと。ムカついた面接官の話をしていてつい、おばあちゃんの前で
「あんな人死ねばいいのに」
と言ってしまった事がある。軽いノリで、私こんなことも言っちゃうんだから! とカッコつけたつもりだった。
そんな私に、おばあちゃんは
「やめなさい。悪い言葉は自分に返ってくるよ」
と、言った。
良く来たねと笑顔で迎えてくれて、悪いことは悪いと真っ直ぐに私を見て言ってくれるおばあちゃんは、私にとって特別な人だった。
私は彼女と血が繋がっていない。
父が先妻の子だからだ。
父の実母は身体が弱く、父を産んで直ぐ、亡くなったと聞いている。
お婆ちゃんのところに婿に入ったお爺ちゃんは、まだ小さい私の父とともに地元へ返され、おばあちゃんの家の方に婿養子に入り再婚。
父だけお婆ちゃんの苗字で、お爺ちゃん、おばあちゃん、父方の叔母様伯父さん達とうちは苗字が違う。親戚に同じ苗字の人がいない。
なんでだ、と思っていたが、おばあちゃんの家の血筋じゃないからかなと今は思う。おばあちゃんの実家方と会ったことなかったし。
おばあちゃんの葬式の時すら誰が誰だか分からないので挨拶のしようがなかった。
そういえば、お爺ちゃんの親族も付き合いが無い。今更気付いてもやりようはないけれど。
父方の従兄弟とも交流は無い。正月やお盆は日付をずらしておばあちゃんちに行っていたから。
他の親族と会わないように。
結果、長男だが墓を建てる必要があって、だが家紋が分からず、石屋さんが調べてくれて分かったのは、どうやら九州の方にある苗字らしいと言う事。
そこで使われてる家紋がコレだ! と見せて貰ったときは、へえええー、と家族一同感慨深く思ったものです。
しかし、お婆ちゃんは貰われっ子で、果たして育ての親の苗字の家紋って使っていいものか。
その家には同じように貰われてきた子供が他にもいたらしいけど、当然付き合いが無いどころか会ったこともなく、どこの誰かすら分からない。そもそも、育ての親の家って、もうないんじゃなかったっけ?
つまり、私、父、父の母と、どこの誰だか分からない血筋で知る人もいないという事だ。
浪漫を感じるといえば響きは良い。
こんな事情、石屋さんに言っても始まらない。
悩むうちら。
うちら=私と父。
ええ、墓は父の生前に建てたので。
母が勝手に買ってきた墓地に。
お友達が墓を生前に建てたから自分も建てたくなったんだろう。あの人はそういう人だ。
私と父はその頃、話題になりだした樹木葬とか、合併葬を考えていた。そしてそこにカタルシス的なものも感じていた。
だから母には心底がっかりした。
人が持ってるのを見ると欲しくなる母は、流行りの欲しがり妹に似ている。
物によっては手に入れたらそこで満足らしく、全く使わない。
私の真似もしてくるので、服の傾向や髪型をその都度変える羽目になる。母はタイプが違うから合わないのに言っても聞いてくれない。
おばあちゃんは、父と母が結婚の報告へ行った際、父が強健でない事で反対した。
至極真っ当だと思う。私でも反対する。
父は片肺だった。肺を片方取る手術が終わってから、本当は取らなくても良かったと言われたと聞いている。そんなことがあるのかは分からない、けれど、私そう聞いている。
父の手術をした国立病院はもうなく、私が聞いた時点で既に担当した医師すら居なくなっていたし、医療事故じゃんか!! と、叫んでも、それがいまでも勘弁ならないとしても、できることはない。
父よ、おばあちゃんの言う事を聞いとけば良かったのに。
それに趣味疑う。反対されたからって駆け落ちとか、そこまでする必要あった? この母相手に。
とは言っても、引っ越し先のアパートの扉を開けたら、部屋の中で大きい鞄置いた母が座ってたんじゃなー。
父は友人に売られたんだと思う。だってアパートの場所知ってたの、引っ越し手伝ってくれたその友達だけだというし。
10も年下の若い女に手を出した責任を取らねばならぬって言っても相手が悪い。怖すぎる。それどんなメンヘラストーカー?
そんな母と父が出会ったのは、父が手術した件の病院の入院中だ。もうない病院だが呪われろ。懲りろと言うなかれ、もう無い病院だから無効だ。
父は夕焼け空一杯のトンボを指さして
「あのひとつひとつが命なんだよ」
と我が子に言う人だった。
父が、退院後予定通り、当時好きだった人を追いかけて県外に出ていたら違う人生だった。
せめて人のものを欲しがる母に捕まりさえしなければ。
そうなっていた場合に私がいなくなる位問題ない。だってもう、忘れられていないも同然だし。
私が居なくなっても誰も困らない。母は介護で世話になればいいだけだ。
これは、父が先にいなくなったから言える事だろうけど。
ただ、いまだにもし父が生きてたら、と思う事はなくならない。
楽しいことがあったとき。
美味しいごはんができたとき。
空が美しかったとき。
きっと不自由な身体から自由になったお父さんにしたら迷惑でしょうがね。
※家紋は使わせていただきました。突然の石屋さんからの電話で家紋を答え教えてくださった見知らぬ方、ありがとうございました。
石屋さんも不審がられながら、何件も電話してくださった。ありがとう。
本当申し訳ない、墓を継ぐ人間居ないのに。
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