第2話 わるもの

「朝か…………」




 暗闇に包まれた部屋の隅でうずくまっていた俺を、カーテンの隙間から入った日差しが照らしていた。



 あれから俺は、警察の人から事情聴取を受ける事となった。アリバイがあったのと、俺を犯人とする証拠がなかったため解放されたまではよかったが、それで全て終わりという訳ではない。



 白井さんが痴漢にあった事実は変わらないのだ。



 それに、捕まらなかったからといって、絶対に犯人ではないと証明されたという訳ではない。疑惑は残り続けている。



 現に、父さんや母さん、佳那は少しよそよそしい態度だった。



 家族ですらそうなのだから、学校の皆は尚更だろう。

 そう考えると、皆と合うのが怖くて怖くて堪らない。嫌でも信じてもらえなかった時の事を想像してしまい、こうして眠ることができず、朝を迎えたのだ。



 誰一人として口を開こうとしない。そんな重苦しい空気のなかで朝食を取り、登校する準備を済ませた。




「…………いって、らっしゃい」




 不安げな母さんの言葉に見送られ、俺は家を後にした。







 学校が近づくにつれ、暗いもやもやとした気持ちに襲われ、足取りが遅くなる。



 きっと大丈夫、みんな話せば分かってくれる。そうすれば、この陰鬱ともおさらば。

 それから皆で協力して白井さんの件を解決しよう。



 そう自分に言い聞かせて校門をくぐる。



 この時はまだ知らなかった。いや、考えたくなかったのかもしれない、現実が非情だということを。




「おい、見ろよ。あれ、大関だろ?」



「あれでしょ、白井さんを襲ったって人。ほんとなの?」



「マジらしいよ。バスケ部の知り合いが言ってたわ」



「だとしたら、ほんと可哀想。いくらなんでも手を出すとか最低すぎるでしょ」




 チクチクと向けられる視線に、思わずうっとなる。



 噂はたった一晩の内に広まっているようで、これからもっと増えるのだろう。



 一応、覚悟はしていたが心にくるものはくる。



 居心地の悪いこの場から離れるよう、俺は足早に教室へと足を進めた。







 教室の前に立つと、深呼吸して緊張で乱れる心を落ち着かせる。

 引戸は心なしか、いつもより重く感じた。



 ガラガラっと音を立てて開くと、教室が静まり返るとともに、注目が一斉に俺へ集まった。



 中には厳しものや、冷たい眼差しもある。




「お、大関…………」




 陽斗は俺と目が合うと、気まずそうに下へ反らした。




「は、陽斗! 聞いてくれ、皆誤解してるんだ。俺はやってな──」



「そうやって俺達も白井さんみたく騙すのか?」




 そう遮る樹の顔は怒りと失望を含ませているようだった。




「だ、騙すって俺がいつそんな事を! そもそも、俺は昨日も一昨日も白井さんとは会ってない。皆、噂に流されすぎだ!」




 俺は必死に弁明を図るが、皆はそれを聞き入れる様子はない。



 そうだ。白井さん! 白井さんなら分かってくれるはず。




「白井さ──」



「来ないで!」




 しかし、返ってきた言葉は拒絶そのものだった。白井さんはビクッと体を震わせ、俺に向ける目は完全に怯えていた。



 なんだよこれ…………。これじゃあ、ほんとに俺が悪いみたいじゃないか。



 そして次の瞬間、俺は津賀に胸ぐらを掴まれ、勢いよく引き寄せられた。



 目前に迫る津賀の顔は怒りで歪み、目を鋭くさせて睨み付けていた。




「とぼけないで!! こんなものを落としておいて、無関係だなんて白々しいにも程がある!」




 津賀の凄まじい剣幕に圧倒されていると、乱雑に放り出され、俺は腰を机にぶつける。




「痛っ!」




 堪らず痛みで悶えていると、津賀が机の上にあるものを投げ捨てた。



 ストラップ…………? 何でここに、そもそも津賀がどうしてこれを。




「犯人が逃げる時に落としたんだと。…………俺だって、最初はお前がこんな事するとは思えなかった。だけどよ、こんなもん見ちまったら信じるしかねぇじゃんか!!」




 そう叫ぶ樹に続き、陽斗がくしゃくしゃと頭を掻く。




「さすがにヤバいってお前これ、擁護できねーつうか…………ああもう! 何でこんな事になっちまったんだよ!」




 たかがストラップ。しかし、それは白井さんと遊びに行った時、記念で各々の頭文字を彫刻したものだった。



 それに加え、俺がストラップを無くしていたという事実は、第三者から見れば犯行時に落としたからとしか思えないだろう。



 だが、そんな事は断じてあり得ない。何でそれが現場に落ちていたかは分からないが、俺は白井さんを襲ってなんかいない!




「────そんなに俺が信用できないのか?」



「そう」




 津賀が即答する。



 そう断言され、俺はショックで胸がギュッと締め付めつき、顔がぐしゃりと歪んだ。



 今までの思い出は、共に笑い合った日々は。積み重ねた信頼は。



 その程度だったのか?



 虚しくて堪らない。今までの全てを否定された気分だ。



 なんだよ、これ。




「信じてたのになんで……こんなの酷いよ」




 静かな教室に、白井さんの震えた悲しげな声が響き渡る。




「大関くんとなら一緒なら克服できかもしれないって思ってた。それなのにこんな…………」




 やめろ。やめてくれ。




「私、大関くんのこと──」



「聞きたくない!」




 気付けば、俺は白井さんの声を遮っていた。




「俺が何したっていうんだ。なんで誰も信じてくれない!! 俺はお前らの事、大切で、大好きだったんだよ!」




 それでも皆には届かない。




「さよをこんな目に合わせておいてよくもそんな事を……どんなにさよが傷付いたと。ふざけるのもいい加減にして! あんただけは絶対に、絶対に許さない!!」




 津賀は先程までよりも更に怒りで身を震わせ、目に溢れんばかりの殺意を込めていた。



 明らかに異常な様子に、周りもそれを感じ取る。




「さ、さすがにまずいって」




 一歩、また一歩と近付く津賀をクラスメイトが止めようと試みるが




「触るな!」




 と、力付くで振り払われてしまう。




「お、落ち着けって。津賀、頼むからさ!」




 見かねた陽斗と樹が二人がかりで押さえるが、それでも津賀を止めることはできない。




「許さない許さない許さない!!」




 その憎悪に満ちた声に、俺は怖じ気付いて一歩後ずさってしまう。




「逃げるな!」




 ──気付けば逃げ出していた。教室から聞こえてくる声に耳を塞ぐ。



 俺は、逃げた。逃げ出してしまったんだ。



 もう後戻りはできない。津賀に、皆に弁明しても、もう聞き入れてくれることはないだろう。

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