パンをくわえて走りなさい。さすれば救われるであろう
六花きい@夜会で『適当に』ハンカチ発売中
第1話 げに恐ろしきは若気の至り(1/3)
※三話完結、毎日更新です
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学園の中庭ベンチで、ルーシェは流行りの大衆小説を夢中で読んでいた。
発売日に三時間も並び、やっと手に入れた限定発売の最新刊。
楽しみにしていた小説が、ついに佳境を迎えるのだ。
『地に這いつくばり許しを請うとは、貴族の矜持を失くしたか?』
『言い訳は、それだけか? ……憐れだな、シャルロッテ』
権力を笠に着て悪行三昧だった令嬢が、今まさに断罪……という一番面白い場面で、ルーシェが読んでいた本を背後から忍び寄った何者かが取り上げた。
「何をするの返して!」
振り向くと、伯爵家の嫡男ハンフリーが、先程ルーシェが開いていたページを眺めて薄笑いを浮かべている。
「これは驚いた。ルーシェ嬢は大変な夢想家のようだ」
ハンフリーがおどけて言うと、取巻きの男子生徒たちがどっと声を上げて笑った。
「ちがっ、ただ面白いから読んでいるだけで、別に憧れているわけでは」
「愚か者ほど言い訳をする。素直に認めたらどうだ?」
愚か者呼ばわりされたことが悔しくて真っ赤な顔で俯くと、取巻き達はハンフリーに同意しまた笑う。
貴族の子女が通うこの学園は男女別クラスとなっており、授業を通して男子生徒と接触する機会はほとんどない。
さらにはのんびりと一人で過ごすのが大好きなルーシェ。
貴族令嬢の友人は片手で余る程度である。
このため、令嬢仲間を通じて男子生徒との交流の輪が広がるようなこともなく、特にそれを不満に感じたこともない。
にも拘わらず、だ。
廊下ですれ違うたび、中庭のベンチで読書をするたび、この腹立たしい一団は何かとルーシェにちょっかいを出してくるのだ。
特に、ハンフリーはその筆頭であった。
「返して! 私の本よ!」
「……おっと」
奪い返そうとしたルーシェを揶揄うように、背の高いハンフリーは本を持った腕をひょいと上げる。
小柄なルーシェでは到底届かず、それでも諦めずに飛び上がっていると、「まるで兎だな」とまたしても嘲笑の的にされた。
「こんな台詞、使う機会もないだろう? 刺繍のひとつでもして、学生の間に婚約者を探さないと行き遅れるぞ」
「なんて失礼な方なの!? 私に婚約者がいようがいまいが関係ないでしょう!」
「……ああ、違った。兎じゃなくて子犬だったな。キャンキャンと元気によく吠える」
「だったらもう二度と話しかけないでください!」
カッとなって反論するルーシェの頭上に、ぽん、と本を置き、ハンフリーと取巻き達が笑いながら去っていく。
(なによ! 何しに来たのよ!? どうして友人でもない人から、いつも酷いことを言われなければならないの!?)
頭上に乗せられた本を両手で掴み、怒りに震えながら、ルーシェは去っていくハンフリーの背中を睨みつけたのである。
***
「……許さない。許さないわ。泣いて詫びるまで、絶対に許さないんだからぁッ!」
入学して以来、何十回と揶揄われ、婚約者がいないことを馬鹿にされ……あげく嘲笑されてきたが、もう我慢の限界である。
百歩譲って婚約者がいないのは事実だから仕方ないが、それにしても言い方というものがある。
確かにちょっと妄想癖があるのは認めるが、こう見えて
しかも成績は常に上位を保っており、小馬鹿にされる謂れはない。
「足元にも及ばない素敵な婚約者を見せびらかして、後悔させてやるわ……!」
待たせておいた馬車へ護衛とともに乗り込み、走ること一時間弱。
王都の端、決して治安が良いとは言い難い路地裏は、瓦礫で道幅が狭くなっており、徒歩での迂回を余儀なくされる。
連日の悪天候で足場も悪く、四苦八苦しながら雑草の生い茂った道を進むと、粗末な小屋が一軒ポツンと建っているのが見えた。
最近仲良くなった令嬢によれば、占い館『マレルの森』には霊験あらたかな占い師がおり、
かく言う令嬢自身もつい半年前、その占い師のおかげで素敵な婚約者を得たのだという。
小屋に着くと、木製の扉口に丸まっていた黒猫がルーシェを見上げ、『にゃあん』と一鳴きした。
ルーシェは赤錆びて年季の入ったドアノッカーを扉に打ち付け、中の様子をそっと伺う。
「あのぅ……どなたか、いらっしゃいますかぁ?」
異様な雰囲気に尻込みしながらも、勇気を出して声をかけると、トタタタッと軽快な足音が扉越しに近付いてきた。
「はいはーい、どちら様! ん、ご新規様? 誰の紹介かな?」
扉を開けてちょこんと顔を覗かせたのは、子供……背の低いルーシェが見下ろす程度の身長なので、10歳前後の子供だろうか。
フードを目深に被っているせいで顔全体を見ることは叶わないが、声を聞くに少女だろうと推測される。
紹介してくれた令嬢の名前をルーシェが出すと、心当たりがあるのだろう、「あぁ、はいはい!」と頷き、すぐに招き入れてくれた。
「はじめまして。私の名前はマレル。今日は日差しも強いので、とりあえず中へどうぞ~~!」
軽い調子で促され、護衛を連れて中に入ろうとすると、「気が乱れるのでお客様以外はご遠慮ください」と護衛の入室を拒否される。
怪しげな小屋の中へ護衛を連れずに入るのは躊躇われたが、友人の紹介ということもあり、護衛を扉口に待機させてルーシェは奥へと進んだ。
部屋の奥には至る所に液体の入った小瓶が置かれており、所在なく見回していると、古い木製スツールに腰掛けるよう指示される。
ルーシェがおずおずと腰掛けると、テーブルを挟んで真正面にまわったマレルが、嬉しそうに身を乗り出した。
「それで、今日はどうしたの? 占い? それとも呪い?」
とんでもない二択を気安く提示しながら、メニュー表をテーブルの上に広げる。
「まずはコレ。失せモノ探し、銀貨一枚。人でも物でもなんでもござれよ」
嬉しそうに小さな指で差し示し、「次はコレ」「その次のお勧めはコレ」と、ルーシェの反応を見ながら順番に説明をしていく。
「最近多いのはこれかな。恋占い。銀貨三枚」
指差したその先には、『素敵な出会いへと導きます!』と書かれている。
ピクリと反応したルーシェを目に留め、「分かった、これだね」とマレルは棚から大きな水晶玉を取り出した。
それを合図に、先程の黒猫がベルベットのような敷布を咥え、テーブルの中央へと広げていく。
「ありがとう」
マレルは黒猫を一撫ですると、小さなクッションを敷布の上に置き、更にその上に水晶玉を乗せて両手をかかげた。
軽く息を吹きかけ、水晶玉越しにルーシェを覗き込むようにして顔を近づけると、白い
「おおぉ……見える、見えるぞおぉぉ」
見えるのは結構なことだが、ルーシェの表情をチラチラと確認しながら、決め台詞のタイミングを計るのはいかがなものか。
先程の黒猫に、「どう、雰囲気出てる?」とこっそり質問をしているのも大概である。
そうこうしているうちに水晶玉の
突然強い光を発し始めたのを確認するや否や、マレルは水晶玉を手に取って立ち上がると、天に掲げ声高く叫んだ。
「整いましたァッ! 翌朝七時十五分、学園の裏門から噴水庭園に向かい、パンを咥えて走りなさい!」
「……はい?」
「だからパンを咥えて」
「……はいぃ?」
自信満々に語るマレルを、ルーシェは思わず二度見する。
恐るべき占い結果に、開いた口が塞がらない。
パンを
貴族令嬢が口にパンを咥えて人前で走るなど、およそ正気の沙汰ではない。
重かったのか、腕をプルプル震わせながら水晶玉を下ろしたマレルは、怪訝そうに目を向けるルーシェを安心させるように、力強く頷いた。
「案ずるな。信じる者は救われる」
すっかり透明に戻った水晶玉を一拭きし、またしても黒猫に「どうだった? いまの演出」と声をかけているが、そういうのは客が帰ってからにしていただきたい。
「聞いていると思うけど、紹介者のご令嬢は満月の夜、占いに従ってフリアフォルから飛び降りたんだよ」
「!?」
「パンを咥えて走る程度、どうってことないでしょ」
いやいや存じませんでした。
というより、存じていたら、絶対にここへは来ませんでした!
『フリアフォル』は、学園から一時間程馬車で走った山道の途中にある崖である。
婚約者を得た上にピンピンして学園に通っているところを見ると、占いの信憑性は高いと信じても良いのか――?
いや実のところ、どこまでが本当か怪しさ満点なのだが、『フリアフォルからの即死ジャンプ>パンくわダッシュ』という公式がルーシェの脳内にインプットされ、まぁそれくらいなら許容範囲かな? という、ドアインザフェイスの法則に陥りつつあった。
ルーシェはゴクリと息を呑み、女は度胸! と、握りしめていた銀貨三枚をテーブルの上に置く。
「……やります!」
げに恐ろしきは若気の至り。
まいどありぃ! と歓喜するマレルと熱い握手を交わす。
ルーシェは扉口の護衛を回収し、意気揚々と『マレルの森』を後にしたのであった。
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