31.投獄


 魔気の真実に絶望した私は、『綻び』を自在に操る力を得た。

 勇者の秘儀グリッチでさえも、魔気さえあればほぼ無尽蔵に使用することが出来る。その力で、私はアルヴァルルの遺書を読むべく単身魔域へと空間跳躍を繰り返し……


 牢屋に入れられていた。


「あのさぁマナイアレスト。どんな手を使ってここまで来たか知らないけどさ、正門から堂々と入って来たら兵が集まってくるのは分かるよね?」

 鉄格子の向こうで、ラクモエルスが含み笑いを抑えながら私に苦言を呈す。

 そのにやけ面を引っ叩いてやれないのは至極残念だが、私とてなにも考え無しに魔王城地下の牢へと放り込まれたわけではない。


「こそこそと忍び入ったのでは、後ろ暗いところがあると認めるようなものだろう」

「いやいやいや、あるでしょ充分。勇者くんと行動を共にしてたんだからさぁ」

「私もそう思っていたんだが、よくよく考えてみたら納得がいかない。私は誰にも勇者を捕らえろと命を受けた覚えがないのだよ」

「そりゃ腐っても六魔将だし、命令は出来ないでしょ誰も。……あーでも、そっか」


 私の屁理屈に、ラクモエルスは納得して頷く。

 私がラーヤーを捕まえなければいけない理由は、実のところ何処にもないのだ。

 もちろん、ラーヤーがアルヴァルルを討った人族の英傑であることに変わりはないから、大半の魔族にとっては、私の行動は敵対行為に等しいわけだが。

「アルヴァルルを謀殺した、というのは単純に濡れ衣だし、私は無実だよ」

「確かにねぇ。そう主張したいんなら、正門から入る方がまだ印象はいいか」

「分かってくれるかラクモエルス。それで? 鍵は持ってきてくれたんだろうな?」

「え……持ってるわけないじゃん……」

 僕にそんな権利ないし、とラクモエルスは続ける。

 分かってはいたが、責任者に話を通しておいてはくれなかったようだ。


「お前が遺書が出たと言うから帰ってきてやったのに……」

「恨みがましい顔しないでよ、マナイアレスト。こっちだって色々言いたいことあるんだからさぁ。勇者くんはまぁいいとして、なんでミリアミまで置いて来たのさ」

「私は便利な乗合馬車ではないんだ。大急ぎで帰るとなれば、独りの方が都合もいい」


 それにミリアミとウルァクがいれば、ラーヤーが孤独になることも無いだろう。

 いずれは彼女らとも別れる時が来るだろうが、少なくとも今は、傍にいてやって欲しい。

「ふぅん。まぁいいけど、きっとミリアミは怒るだろうね」

「覚悟の上さ。あぁもちろん、取り次ぎはしないでくれよ? 流石に気まずい」

「どうしようかな~? まぁでも、マナイアレストにはその前に別の試練もあるか」

 ラクモエルスが、なにやら不吉なことを言い出した。

 恐らくは、この後に起こるある魔将との対決を言っているのであろう。

「それが嫌だから、鍵を持ってこいというのに……今は体調が悪いと言っておいてくれ」

「だめだめ! 僕だってアルヴァルルの部屋を調べるのに、借り作っちゃったんだから。大人しくあの子と話しなよ、マナイアレスト」

「嫌だなぁ。やっぱり牢からは自力で抜け出すから、時間だけ稼いでくれないかね」

『綻び』の魔法を以てすれば、こんな牢から出るのは容易い。

 その代わり、城の地下牢は粉みじんに吹き飛ぶことになるのだが。


「――相変わらず馬鹿を言っているようね、マナイアレスト」


 私が駄々を捏ねていると、かつん。

 靴音と共に、背筋の凍るような冷たい声が牢へと響き渡った。


「それじゃあマナイアレスト、後でね~っ!」

 彼女の到来を確認したラクモエルスは、苦笑しながら足早にその場を去る。

 ここは独房だから、それで部屋には私と彼女の二人きりということになってしまった。

 かつん、かつん、かつん。足音が近づいてきて、やがて鉄格子の向こうに彼女の姿が現れる。私と同じくらいの大きさの、琥珀色をした一対の角。腰まで伸びた深い翠色の髪と、苔色の小さな尻尾。角と同じ琥珀色の瞳の彼女は、小柄な体で私を見つめている。


「牢に入れられる魔将なんて、きっと歴代でも貴方くらいのものでしょう」


 訂正しよう。見つめているのではなく、見下している。

 彼女の……リエイレスの瞳は、いつだって私には特別冷たかった。

「そうかな。きっと探せば他にもいるさ。私とは違う本物の反逆者とかがね」

「そういう魔将は戦場で死ぬの。中には貴方の言うような魔将もいたかもしれないけれど、どっちみち、濡れ衣で捕まって処刑されるよりは魔将らしいでしょうね」

「では、私は特別な魔将というわけだ。歴史的な存在だね」

「特別に愚かな魔将。今後全ての魔将の反面教師にする為なら、語り継ぐ価値もありそう」

「……君はいつもそうだなぁ。私にだって、已むに已まれぬ事情があるのだぞ?」


『制裁』のリエイレス。


 魔域の政務の一切を取り仕切る彼女は、魔王に次ぐ魔域の支配者だ。

 戦闘において彼女は特段の力を持ってはいないが、事務的な処理能力や魔域の有力一族への影響力は、他の追随を許さない。魔王アルヴァルルでさえ、彼女が否と言うことには一考せざるを得なかった程だ。


 彼女は、前魔王の孫娘でもある。

 魔域では血や家柄による階級の差は無いが、魔王だった者の親族となれば話は別だ。

 前魔王に恩を受けた者たちは彼女を無下に出来ず、彼女の言葉を通して現魔王の考えと力を知る。そうやって力を強めた彼女は、魔域においての伝統や規則に厳しい。

 彼女からしてみれば、わけも分からず魔将に推認され、今日も今日とて適当な『虚言』を吐いている私などは、唾棄すべき痴れ者ということになるのだろう。理解は出来るのだが、相対するといつもこんな調子になってしまうから、出来れば顔を合わせたくない。


「貴方に事情があると言うなら、こちらにもあるの。いい? 貴方がこうして捕まったせいで、私はエルレドールとガヴォレッドに処刑を決めろとせっつかれているの」

「無理もない。二人にしてみれば、とっとと私の口を塞いで魔王の席取りに集中したい所だろうからな。それで……頷いたのか?」

「いいえ、まだ。遺書の件もあるし。……でもこれを断ったら、二人の内どちらかが魔王になった時に私は追放されるのでしょうね」


 成る程、そのことは考えていなかった。

 リエイレスは強い影響力を持つ魔族だから、自らの意に沿わないとなれば邪魔なだけである。悪辣なエルレドールや猪頭のガヴォレッドには扱い辛いか。

「貴方がのこのこ捕まりに来なければ……というよりも、そもそも城から逃げなければ、こんな事にはなっていないのだけれど。本当、まともな判断力はないの?」

「判断力か。この頃は自信が無くなって来たところだよ。……いやうん、すまなかった」

 茶化すのは止めて、一度は素直に謝っておく。

 今後リエイレスの立場が悪くなるとすれば、それは間違いなく私の責任だ。ラクモエルスが私との繋がりを指摘されて失脚する分には自業自得なので気にならないが、リエイレスが相手となると、巻き込んでしまう申し訳なさが勝つ。

「私は私で出来る事をするつもりだが、君は二人の要求に応えてくれて構わないよ。まぁ最も、アルヴァルルの遺書だけは開封して貰わないと困るがね」

「……貴方が、ほんのひと欠片も判断力を持っていないことは分かった」

 じぃ、とリエイレスが琥珀色の瞳で私を睨む。

 彼女の瞳の色は綺麗だが、それが却って迫力を生むから、私は目を逸らす他ない。

「この『制裁』のリエイレスが、冤罪なんかで貴方を処刑させるわけないじゃない」

「矜持が許さないかね。……そういえば、君は私が冤罪だと信じてくれるのだな」

「貴方が勇者を操ってアルヴァルルを殺させた、なんて言われて信じると思う?」

「あぁ。あっちを疑ったのか」

 私を信じたというよりも、エルレドールやガヴォレッドを信じなかったのだろう。

 実際、狙って勇者と連絡を取り魔王城に引き入れるなど、どうやればいいか分からない。

「はぁ…………本当に、愚か」

 そこまで考えが至らなかった私を苦々しく思ったのだろうか。

 リエイレスは吐き捨てるように言ってから、一本の鍵を取り出す。


「いい、マナイアレスト。牢から出たとして、貴方には破滅しか待っていない」

「ふむ。遺書を読み終えて用済みとなれば、処刑なり暗殺なりすればいいものな」

「はっきり言って、このまま牢屋で暮らしていた方が安全なくらいね。だから……ねぇ、マナイアレスト。貴方に一つ提案があるのだけど」


 リエイレスは鍵を己の手の内に握り込んでしまう。

 私を出すも閉じ込めるも、彼女の意思次第だという警告だろう。

「貴方、魔将の座から降りなさい。そして私の部下として一生仕えるの。どう?」

「恐ろしいな。体のいい奴隷というわけか。まぁ……すまないが、お断りするよ」

「えっ、な、どうしてっ!?」

 取引に絶対の自信でもあったのだろう。リエイレスは珍しく狼狽する。

 確かに、魔将の座から降りてしまえば、エルレドールもガヴォレッドも私のような者は捨ておいてくれるかもしれない。かのリエイレスの庇護下に置かれるともなれば、手を出す方が面倒になる。


 だがしかし……私はもう、何者かの掌で転がされる状況にはうんざりしていた。


「私は魔将から降りないさ。むしろその逆に、この立場を利用させてもらうことにする。……リエイレス、私は君によ」

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