第14話 院長室
何日かが経って小百合は事前に院長室にある仕掛けをしてから、定時を過ぎるのを待って院長室へ行った。
「郵便物です」そう言って中へ入る。
院長はソファに掛け書類を見ながら、「机に置いてくれ」小百合には目もくれずに言った。
「これは、直接見てもらわないと困ります」
小百合は封筒の中身を応接テーブルに並べる。
「何だ君は、机に置けと言ったろう!」院長が目くじらを立てる。
「あなたと菜七先生が医療ミスをした証拠です。お陰で、私の父と母が亡くなりました」
小百合は怒りを込めて言った。
「なにっ医療ミスだとぅ!」
院長の表情が一変する。鬼の形相、否、やくざの形相だ。
三組のファイルのひとつを荒々しく手に取って、顔色を変える。
「それは十五年前の院長の手術ミスのカルテと改ざんの痕跡……」と、小百合が説明する。
院長が二つ目を手にして、「こっちは二年前の菜七の投薬ミスのか……」
最後のファイルを手にし「何だこれは……お前、俺を尾行したのか? 盗み撮りなんかしやがって」
「鹿内先生がどうして、院長がさくらに乱暴した証拠を消したのか理由が知りたかったんです。院長先生が結婚する前から深い関係があったんですね」小百合は蔑むように言った。
「だから、どうしたって言うんだ」恐ろしいヤクザの視線を向ける院長だが、小百合の恐怖心は怒りにひれ伏していた。
「先代院長から大病院の娘さんとの縁談が持ち込まれ、断れず結婚したがそれはあくまで政略結婚、鹿内先生とはその後も続いていた。しかも、鹿内先生は医療ミスのことも亡くなった早瀬明の横流しも、高木と五十嵐の不倫カップルの横領もみんな知っていて黙っている。それは院長先生へのプレッシャー、何があっても鹿内先生を首にできないですよね院長先生」
小百合は思いっきりいやらしい笑みを作って上目づかいに院長の隣に掛けた。
「それで何がしたいんだ!」
開き直ったのか、落ち着こうとしてなのか院長は腹に力の籠った喋り方だ。
「会見を開いてすべてを認め、謝罪してください。そして、さくらに乱暴したことも認めて自首してください」
きっぱりと言い切った。
「ふふふ、俺は看護師なんかレイプしてない。従業員にそんな事する訳ないじゃないか」
院長の目が明らかに陰湿で悪意に満ちたものになって行くのを感じながら、それでも勇気を奮って言った。
「いえ、あなたは乱暴されたさくらの写真を撮って、それをネタに菜七先生の投薬ミスを訴えないように脅したんでしょう。本人がそう言ってるのよ!」
指先が、足が、身体が震えてきた。
小百合は自分に気合を入れる。 ――落ち着け! 小百合、ここで頑張らないでどうする! ……
「仕方ないな……」
院長がそう言っていきなり小百合に覆いかぶさって来た。
「お前もあの看護師と同じ目に合わせて、物を言えなくしてやる」目を吊り上げ顔を真っ赤にして小百合の制服を引きちぎろうと手を掛けてくる。
「きゃーっ! 止めてぇーっ! 原杉博院長! 止めてください。私の服を破ろうとしないで! 身体に触らないでーっ!」小百合はできる限り必死に、大声で叫んだ。
「うるさい! 黙れっ!」
小百合の首に院長の手がかかる。
「いやーっ! 原杉院長! 私の首を絞めないでぇーっ! いやーっ! 殺さないでーっ! いくら医療ミスを暴くのを止めさせたいからって、白湯小百合を殺してもダメよみんなが知ってるんだから!」
「嘘つけ! それなら何故ここへ一人で来た!」
ブチブチッとブラウスのボタンが弾き飛ぶ。
「ふふふ、可愛らしいブラしてんじゃねーか」
「助けてーっ! 誰かぁーっ! 原杉院長が白湯のブラウスを引きちぎったぁ! いやーっ!」
スカートの中にまで院長の手が伸びてくる。
ここまでくると、本気で抵抗する、が力は及ばない。
小百合は必死に抵抗をしながら、覚悟する。 ――あー、本当にレイプされちゃう、……小川さん助けてぇ……
涙が溢れる……。
バァーン!
いきなりドアが激しく開けられて、誰かが何かを叫びながら入って来た。
小百合が視線をやると、霞んだ先に見えたのは小川と牧石総看護師長だった。
「な、何だお前ら!」院長は怒鳴ったが、すぐに小百合の身体から離れる。
「小川さん! 助けてっ!」小百合は飛び起きて小川に抱きついた。号泣した。
「院長! なんですかこのざま! 警察へ通報しますよ!」
牧石は激昂し院長を怒鳴りつける。
「うるさい、俺は何もしてない。その女が言い寄ってきたから、抱こうとしただけだ」
院長の白々しい言葉に小百合の腸が煮えたぎる。
「証拠ならあるわよ!」
小百合は、制服を整えながら部屋の片隅に置かれている観葉植物のところへ駆け寄って、根元近くに仕掛けてあったカメラを取り出して、院長に向けて差し出す。
「これで、ここで起きたことを全部録画してたんです。あんたが私をレイプしたことの動かない証拠よ!」
院長はショックだったのだろう、口をあんぐりと開けたまま棒立ちになっている。
やがて、ソファに力なく腰を落とし、真っ赤に紅潮していた顔が今は見る影もなく青ざめ弱々しい老人の顔になっている。
「警察へ通報したんで、院長覚悟しとくんだな」
小川が憎しみのこもった目で院長を睨みつけながら言った。
「白湯、録画したデータを用意しておいてくれ、一ノ瀬刑事がくるから」
「うん、わかった」
小百合はロッカールームへ行って、自分のパソコンに保存されている録画データを小川のパソコンに送る。
院長室に戻ると一ノ瀬刑事が来ていて話をしていた。
「小川さん、パソコンに送っておいたわよ」
「おぉ、お前もここに座れ」小川の強い口調に嫌とも言えず院長の向い側に掛けた。
座った途端に小川と一ノ瀬刑事がまるで示し合わせたように大声で、「なんで一人で院長室なんかで問い詰めようなんて危険なまねすんだ。危なくレイプされるとこだったんだぞ! バカじゃないか!」
小百合は驚いた。 ――まさか、こんなに怒られるなんて……
「ごめんなさい。さくらのことが許せなくって、自分が犠牲になってでも証拠を掴もうと思って……ごめんなさい」
「ったくもう、……頼むから、こんな真似もうすんなよ。わかったか?」
小百合は小川の声が涙声のような気がして顔をあげると、本当に涙を流しながら怒っていた。
――えっ、どうして? 小川さん、私の事……
「もうしない。ごめんなさい」小百合は慌てて頭を下げた。
「じゃ、ちょっと話を聞かせてください」
一ノ瀬刑事がそう言って、封筒の中身を並べた。
「はい、それは父が院長の手術ミスで亡くなったという証拠のカルテとカルテを改ざんした記録です」小百合が説明した。
院長はそっぽを向いているものの視線が落ち着かない上、頻りに眼鏡に触っている。
「ほー、じゃ白湯さんのお父さんの福島栄人さん? 苗字が違うのは?」一ノ瀬刑事がカルテを見ながら言った。
「えぇ、母と離婚して私が母に引き取られたので」
「ああ、そうですか、で、元々お父さんは大腸切除手術だったという事なんですね」
「そうです」
「で、手術中、謝って動脈を切ってしまって、そのことによってお父さんは失血死となってしまった、ということなんですね」一ノ瀬がひとつずつ確認してゆく。
「そうです。その通りです」
「そのミスを隠そうとしてカルテを<大動脈りゅう破裂>に書き換えた。そうなんだね、原杉院長」
院長はぴくりとも動かず只管俯いている。
その様子をしばしの間凝視していた一ノ瀬刑事はにたりとして、「まぁ、あとでまたじっくり訊きましょう」
一ノ瀬は母のミスについても確認し、院長に問い質す。が、院長が口を開くことは無かった。
「じゃ、暴行容疑で署までご同行をお願いします」
一ノ瀬が立ち上がると、院長ものそのそと立ち上がった。
次の日、院長逮捕の噂は院内中に広がっていた。
小百合が出勤すると、「昨日、大変だったわねぇ、大丈夫なの?」
などと気遣う言葉を沢山聞いた。
ところが、十時を過ぎたころ院長が正面玄関から入って来て、小百合にチラッとだけ視線を飛ばしにやりとして通り過ぎていった。
窓口もその場にいた全員が驚きをもって出迎えた。
小百合も言葉が出なかった。 ――どうして、院長がここに? ……
「どういうことなの? 院長が出勤してくるなんて」
小百合はすぐに小川に訊いた。
「あぁ、今、一ノ瀬から電話があったばかりだ。証拠不十分だと」と、小川は言う。
「え、だった現行犯でしょう?」小百合は納得できず小川を責める。
「その点は、一晩泊めてしっかりお灸をすえた。が、白湯が撮った映像は証拠にはならないんだと」
「え、どうしてよ。しっかり写ってたでしょ」
小百合は訳がわからず興奮して声を大きくしてしまい周りから注目され、慌てて部屋を出た。
「あれは、盗撮だから証拠として使えないらしいんだ。監視カメラとか襲われた時にスマホの機能で撮ったものなら証拠にはなるらしいんだけど」
「そんなぁ、せっかく撮ったのに……」小百合の脳裏にあの時のことが過る。
「で、事前に仕込んだということは、ああなることを予測して、或いは、そうなるように仕向けたと考えられるから、暴行自体が罠だったとも考えられると言うんだ」小川の言葉がめちゃくちゃ冷酷に聞こえ、小百合の存在までもが否定されたかのように感じ、悲しい思いと同時に怒りが湧き上がって来た。
「そんな! 私、本当に襲われて……」小百合は湧き上がった怒りの気持をそのまま言葉に乗せた。
「まあ、そう怒るな。俺が言ったんじゃないから、それで、暴行は事実だから一応一晩泊めて反省させたという一ノ瀬の話だ」
「じゃ、両親のミスもだめなの?」
「いや、そっちは、時間をかけて対応を決めることになったそうだ。それで原杉院長が証拠を隠ぺいすることは考えられないから、釈放したって訳さ。白湯は悔しいだろうが、それが警察の判断だそうだ」
小川の言い方にも悔しさが滲んでいるのを感じ小百合は「仕方ないか」と思い、
「そう、悔しいけど、両親の事捜査してくれるのなら我慢するわ」とだけ言って口を閉じた。
「ああ、だからと言って、また無理な事すんなよ。万一、そういうことをしたいと思ったら俺に相談してくれ、一緒にやるから。な、絶対一人じゃだめだぞ!」
「うん」小川の気持を考えるとそう答えるしかなかった。
――でも、自分のことで小川さんにあまり迷惑かけられない……
小百合は自分の決意を改めて強く心に刻んだ。
翌朝、SNSに<札幌市内のH総合病院のH院長が女性職員をレイプ!!>と銘打って、ぼかしの入った動画を添えて詳細が書き込まれた。
院長は静かだった。前みたいに各セクションへ行って喚き散らすことはなかった。
小百合も院長室に出入りすることはなくなった。
小百合が何かを言った訳じゃないのに、郵便物等の配布や院長室へ行く用事を若手の男性職員が代わってやってくれるようになった。
小百合は心の中で感謝した。 ――少しは気を使ってくれるんだ。ありがと……
内心、いつ辞めさせられるのかと不安が溢れていた。
――もう少しだけ、もう少しだけだから…… 小百合は祈る様な気持だった。
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