第8話 誰もいない職場

 一ノ瀬刑事に調査を依頼してから以降、高木に怪しい動きは無かった。

とは言っても、週に一度ほど<すすきの>へ出掛け、五十嵐伸江と会って、居酒屋、スナック、ラブホテルへと流れる不倫は止まらない。

 三次が昼食後トイレの個室に入っていると、突然、伊勢の怒鳴り声が聞こえた。

「……今夜だ! うっせーぞお前……」

電話で喧嘩でもしているのだろうか? ……そこだけ聞こえ、気になって尾行しようと思った。

 

 夕方、定時に病院を出た伊勢は客待ちをしていたタクシーを拾った。

三次は後続のタクシーに乗って「前のタクシーを尾けて」とお願いする。

十分ほど走って、自動車専用道路の高架に沿って広がる飲食店街の中ほどに位置する、市内では名の通った居酒屋の前で降りた。

時計と辺りを気にしながら暖簾を潜った。三次が時計を見ると七時前だ。

「ここに誰か来るのか?」

三次は伊勢の背中の見える席に座って、焼きおにぎりと海鮮サラダを注文した。

……

 八時を過ぎても誰も来ない。

伊勢は相変わらずビールを飲みながら時計を気にしている。

誰を待っているんだろう? ――女を待っているなら、もう少し機嫌良さそうにしてても良いようなもんだが……

八時四十分になって伊勢が立ち上がった。

相手が来なかったのか、店を出た伊勢はタクシーに向かって手を上げた。

尾行を続けていると、病院からそう遠くない住宅街の中にある公園でタクシーを降りた。

公園の中へ入って行く。辺りに街灯はぽつりぽつりとあるものの暗い。時計は九時になるところだ。

三次は茂みに隠れ様子を窺うことにする。

 目が慣れてきて辺りが多少見えてくると、公園内の周りは一メートルちょいくらいの垣根のように連なる灌木群と三メートルを超えるすらっとした喬木がエリア分けされていて、伊勢は喬木の間にあるベンチに掛けている。

三次からは二十メートルほど離れていて話し声は聞こえそうになかった。

灌木を隠れ蓑に近付く。


 伊勢の近くでテールランプが強く光り、バタンとドアの閉まる音が聞こえた。

誰かが公園に入ってくる。

……ベンチの近くまで来て外灯に照らされた顔は、高木だ。

並んで座って、何事か喋り始めた。

……やはり何も聞こえない。止むを得ず地を這うようにしてゆっくり喬木エリアに入る。

「……だから、もう十分だろう……」

「……ほんとうに良いんだな……たった二万くらい……」

高木が強請りに開き直って拒否したんだろうか? ――これはやばいことになるかも……

三次がそんな事を思っている時だった。

がさっと背後で音がした。

はっとして振り返ると、男が仁王立ちしていた。

「お前、こんなところで何してんだ!」

ドスの利いた声で怒鳴られた。

「……」

肝が冷え、声も出せずにだらりと冷や汗が流れる。

――やばい、見つかった……

「おい! 訊いてんだろうが」

とても太刀打ちできそうな相手じゃない……。

尻もちをついて後ずさりすると、指先が小枝に触れた。

その瞬間思った。 ――逃げるしかない……

三次は小枝を思い切り男目掛けて投げる、と同時に公園の外へ向って走った。

男は片手で軽くそれを払って、「待て、このやろうっ!」

追ってくる。

三次は足に自信が有る訳じゃない。捕まったら何されるかわからない恐怖に膝がガクガクする。

気持とは裏腹に足は動いてくれず、瞬く間に距離を詰められる。

「ひぇーっ!」自分でも驚くような悲鳴が喉の奥から迸る。

転びそうになるのを必死に堪える、もう、手の届くくらいの背後に男の影が迫る。

突然、角を曲がって来た車のライトが目に入る。反射的に「うわーっ」叫んで車道へ飛び出した。

キィーッとタイヤの悲鳴。

男は立ち止まって様子を見ている。

車から若い男が、「ばかやろーっ、死にてぇのか!」顔だけ出して怒鳴る。

「ごめん。強盗に襲われたんだ」

三次は叫んで襲って来た男を指差す。

「えっ」若い男が視線を向けると男は振向いて逃げた。

「あー助かった。ありがとう」逃げる男を見て三次が礼を言った。

若い男も尋常じゃない三次を見て<強盗>を信じたようだった。

「警察に電話しよう」若い男が言った。

「いや、もう大丈夫。自分で電話する。本当にありがとう」

三次は深く頭を下げてその場から男とは逆方向へ走り始めた。

そして、通りかかったタクシーに手を上げた。


 翌日、出勤するとすぐに伊勢に会議室へ呼び出された。

「お前、夕べ俺を尾けたんだな。探偵気取りもいい加減にしないと怪我するぞ」

予想通りの展開になって来た。怖かったが腹に力をいれて、

「たまたま公園を通りかかったらそこにあんたと高木がいたって話だよ」

三次は強気で言った。

「嘘つくな。お前が茂みに潜んで俺達の様子を窺っていたのはわかってるんだ」

でかい伊勢が相手を下から舐め上げるように睨むやり方は、なんか映画で見たチンピラのようだ。

「あの男、何者です? 病院の関係者じゃないですよね」

「お前に関係ない。そんな事より何聞いた?」

「何って?」

「とぼけんじゃねぇ! てめぇ俺達の話を盗み聞きしてたろう」伊勢が一歩、二歩と迫ってくる。

「いや、通りかかっただけだよ」三次は後ずさりする。

「そうか、どうしても言わないんだな。それならそれで、……まぁ良いが、帰り道精々気を付けるんだな」

伊勢が脅してきた。

あの男は一ノ瀬の言った<まる暴>なのかもしれない。

――しかし、ここで引くわけには…… 

また白湯と一ノ瀬に怒られるかもしれない、と思いつつも、強い思いが自分の口に喋らせてしまう。

「早瀬先輩の死に関係することだったんじゃないの?」

途端に伊勢の目付きが変わった。

三次を襲った男と同じ目だ。

「わからん奴には……」そう言いながら伊勢が迫ってくる。

――えっ、まさか、ここで俺を殺す気? まさか……

ポケットの中のスマホを……白湯に繋ぐ、……「はい、小川さんどうしたの?」

「伊勢さん、こんな会議室で俺に何しようって言うんだ?」

三次は、願いを込めて大声で言った。 ――白湯に届けっ! ……

「うるせー、もう、俺も黙っちゃいられないんだよ。お前は喋り過ぎだ、少し口数を減らしてやろうって親切心だ。ありがたく思え」

後ずさりして長テーブルにわざとぶつかりひっくり返す。

ガシャンと大きな音を立ててテーブルと椅子が倒れる。三次もバランスを崩し転んだ。

――この音、白湯でも誰でも良い、聞きつけて来てくれ! ……

祈るような気持ちでドアに向かおうと伊勢に背中を向けた。

その瞬間、背中に大きな衝撃があって激痛が走った。

「うわっ、いってー」

また転んだ。

伊勢が椅子を投げつけてきたのだ。

「小川さーん」白湯の声がしてドアが開いた。

「何やってんの! 二人ともこんなところで喧嘩なんかしないで!」

白湯の甲高い叫び声が会議室の中を埋め尽くす。

「どうした?」、「なにかあったのか?」、……

どやどやと管理課の連中が会議室に入って来た。

「いや、何でもない、つまずいて転んだだけだ」伊勢が言ってさっと部屋を出て行く。

その様子を見ていた管理課の連中もぶつぶつ言いながら戻って行く。

最後まで残っていた白湯に睨まれ、三次は夕べの一件から話をした。

「だから、一ノ瀬刑事に任せて、危ない真似はしないでって言ったわよねよ。もう、ホント怒るわよ」

そう言う白湯の目も眉もすでに吊り上がっている。

裏を返せば心配してくれてるってことか、と思うと嬉しくもある。

その気持が顔にでてにやけていたのだろう、「聞いてるの! 小川三次!」と、怒鳴られた。

そして怒った顔が一変、涙目になってゆく。

「わかってる。心配かけて悪かった」三次は慌てて頭を下げた。

――あの伊勢の反応を見る限り、早瀬先輩殺害に何か関係ありそうだな……



 三次が管理課に戻ると伊勢の姿は無かった。

――夕べの男にでも今日のやり取りを報告してんだろうか……

そんな事を考え、迷ったが一ノ瀬刑事に夕べからの出来事を知らせた。

当然怒られたが、あの男の写真を送ると「こっちで調べる」と言ってくれた。

「小川くん、ちょっと」

通話を切るとすぐ係長に呼ばれた。

「この日曜日にサーバーメンテでメーカーから三人くるから、立ち合いを、な。予定は九時から五時までだ」

立ち合いと言っても何もすることはない。形式的に職員がいないところで外部の人間に作業はさせられない、情報の漏洩を牽制するだけの意味合いなのだ。

三次はついでに、院長や菜七先生が伊勢に強請られている理由を調べようと思った。

「そうだ、二年前の母親の死に疑問があるって白湯が言ってたなぁ、……それも調べてみるか」

三次は白湯の明るく元気な中に、時折見せる暗く沈んだ顔が気になっていて、もしかして親の死に何かあるのかもしれないと思っていたのだった。


 日曜日、三次はメーカーの作業開始時刻の一時間前に出勤した。

始めに、管理サーバーにアクセスしてもデータべースの参照や更新時のログ(記録)を作成しないようログフラグをオフにする。

管理者だけに許されたオペレーションで簡単にできる。

次は、医療システム、業務システム、院内SNS・メールシステム、稟議承認システムなどの二十を超えるデータベースを三次のノートパソコンで使える形に変換しダウンロードする。この作業には四十分ほどかかる。

最後は、ログフラグを戻して終了だ。 ――これで、この作業を行った形跡は残らない……

「よし、あとはゆっくり時間をかけて見て行けば何か掴めるだろう」

コーヒーを啜っていると夜間玄関横の警備室から「メーカーの人が来ました」と連絡が入った。

 その責任者からメンテナンスの計画表をもらって概要を聞く。作業の中心はソフトのバージョンアップで、五時間ほど見込んでいた。

「わかりました。やって下さい。僕はここにいますから何かあったら連絡してください」


 三次は一人になるとすぐにSNS・メール情報から調べ始めた。

直近のものから遡って見ていったのだが会話の内容が良くわからない。

自分と白湯とのやり取りを見て気付いた。 ――あぁ、答えを見てから質問を見ることになるからか……

それで、受発信者を高木と伊勢だけに絞って抽出し、日付を昇順に見てゆく。

<過年度分>フォルダから抽出されたデータを見ると、五年程前から通常業務とは思えないやり取りが発生していることがわかった。

「はぁ、五年前から強請りが始まったみたいだな、……なんか切っ掛けあったのかな?」

白湯にSNSで質問を投げてみる。

 そして、今度は早瀬先輩と伊勢だけに絞ってみる。

十件ほど抽出されたが、どれも業務連絡だ。

――あれ? 先輩は脅されてなかったって事か? ……

首を傾げていると白湯から電話が入った。

「五年前に会計では何も事件らしいことは無かったわよ。ただ、陽子さんは、五年くらい前から先輩がおかしくなったと言ってたわ。関係ないかも知れないけどそのくらいしか思い当たらないわね。ところで、そんな事聞くけど、小川さん今日は病院で立会いしてるんじゃなかったの?」

「ああ、立ち合いはしてるけど、自分は居るだけで良いから、SNSとメールを遡って調べてたんだ」

「そ、何か手伝う?」

「いや、一人でしかできないことだから、気持だけで、ありがと」

「うん、わかった。じゃ、あとで結果教えてね」


 電話の後も色々な受発信者名で検索を続ける。

やっていて気付いた。三次と同年代から以降の生まれの若い連中は、SNSに普段から慣れ親しんでいるからなのか、他人に文を見られることを考えずに、見るのも恥ずかしいようなことを書いている。

愛の告白や別れ話まで出てくる。

ちょっとわくわくするが、決して口外はしない。

院長や娘の菜七先生はほとんど使っていないようだった。

事務長は毎月のように高木か五十嵐からメールを受信していて、そこには十五万から二十万円の範囲の額と「よろしく」とだけ記載されていた。

それに対する返答はない。

三次はちょっと首を傾げる。

「あれ? 高木は<まる暴>と直接会ったりしてないのにあの<高井物販(株)>の名前をどうやって知ったんだろう?」

素朴な疑問だった。

その疑問を白湯に投げてみた。

「ひょっとして、事務長がその会社名を指定したんじゃないかしら?」

というのが白湯の答えだった。

「ってことは、事務長の後ろには<まる暴>がいるってことかな?」

「そうなんじゃないの?」

「でもさ、<まる暴>がいたら、事務長が黙って脅されてるなんて、おかしくない?」

「どう言う事?」

「<まる暴>に高木を襲わせるとか、……」

「んー、あ、高木の不倫相手の五十嵐さんって元事務長の恋人でしょう。だから下手に手出ししたら奥さんにばらされて、家を追い出され、病院にも居られなくなると思ってるんじゃないかしら」

三次は以前白湯と同じ話をしていたと思い出した。

「なるほど、お前、頭いいな」

そう返したら白湯から再び電話が入った。

「ね、お昼ご飯は食べるんでしょ?」

「ああ、一時から二時まで業者の人休むって言ってたからその時間に合わせてと思ってたけど……」

「ふふっ、じゃ、お礼にお昼ご馳走してくれる? 病院の近くのカフェでランチしましょうよ」

「あ、ああ、良いよ」思わぬ誘いに三次は気持が浮ついてしまう。

「あら、何その返事、嫌なら別に良いけど」

意地悪っぽく笑う白湯の顔が見える様な言い方だった。

「いえ、お嬢様。是非、一緒にランチしましょ」三次も負けじと冗談ぽくいう。

時計を見るとまだ十一時だった。

その後も調べを続けたが、何となく時間が気になって集中できなくなってしまった。

――どうした俺? 何そわそわしてんだ。たかが白湯と飯食うくらいで……

結局、待ちきれず十二時四十五分、「ちょっと早いんだけど、用事できたんでお昼にしませんか? 午後の開始は二時で構わないので、……」と、業者に声を掛けてしまった。


 ランチを食べながら、「パソコンに保管している情報を見せたいんだけど、外だと誰かに見られる心配があるから俺の部屋で説明したい」

三次は思い切って口にした。

――無理かなぁ、男の部屋に女一人で……

思った通り、嫌そうな顔をされてしまった。

「あ、嫌なら良いんだ。院内の情報だから、ちょっと漏洩が心配だったから……」

三次は必死に言訳をしたのだが、白湯はじっと三次を見つめて「そうねぇ、……確かにそういう情報は外ではちょっとねぇ……、でも、あなたの部屋は無理」

はっきり言われてしまった。 ――恋人でもないし、告白もしてないし……。

「でも、私の部屋でなら良いわよ」

白湯が思わぬ事を言ったのだが、三次は聞いた瞬間、ピンと来なかった。

「そうだよな、ダメだ……」そう言いかけて、白湯の言葉の意味がじんわり脳みそに染み込んできた。

「えっ、お前の部屋なら良いの?」

「そう言ったわよ」

「え、あ、うん、そう、ははは、そっか、良かった。ははは……」

三次は空でも飛べそうなくらい舞い上がる。

「小川さん、何言ってんの。私の部屋じゃダメなの?」

白湯は意地悪っぽい顔をして言った。

「ま、まさか、そんな訳ないじゃん。じゃ、なんか夕ご飯買ってくな」

「良いわよそんな、私が用意しとくから、ご飯食べてから説明聞くわ」

白湯は料理に自信があります、みたいな感じで言った。

「え、良いの。白湯の作ったご飯食べれるの? おー、やったーっ!」

三次はカフェにいることをすっかり忘れて立ち上がって万歳をしてから周りの視線に気づいた。

「……すみません」慌てて謝って頭を掻いて座る。

「ちょっと、恥ずかしいまね止めてよね」白湯は苦い顔をして冷たい視線を三次に突き刺してきた。


 昼からは白湯の二年前に亡くなったという母親の治療経過について医療システムを調べてみた。

母親の名前は、白湯久美享年五十九歳。

電子カルテによれば、うっ血性心不全のほか慢性腎不全など幾つかの病を患っていて、低血圧症状が出ていたとある。

システム登録されている<カルテ>などの更新ログを時系列的に並べると、午後八時<血圧降下剤>を投与、……、翌日午前二時心不全により患者死亡、午前九時十一分<昇圧薬>へ修正という順になる。

ただ、その時の細かなやり取りは本人たちに訊かないとわからないし、最終的に印刷したものがどうなっているのかを確認する必要もある。

担当医師は原杉菜七、投薬した看護師は中島香と書かれていて、その中島香を人事システムで検索すると患者死亡から二週間後に依願退職していた。

退職事由欄には「結婚のため」となっていて、東京都内の住所が新住所欄に残されていた。

さらに退職してから三か月後に通常退職金のほかに一千万円が支払われていた。

「こりゃ出来過ぎだな。医師の投薬指示ミスを看護師の責任に押し付けて、金で決着させたって訳か……」

三次は白湯の気持を考えると怒りで腸の煮えたぎる思いがした。

――調べない方が良かったかな……

「しかしなぁ、調べた以上知らせないわけにはいかないよな……」

三次は自分を納得する。


 午後五時半、三次は札幌の西区にある白湯の住む一部二階建ての一軒家のインターホンを鳴らしていた。

落ち着いた感じのするきれいに片づけられた居間に案内された。

テーブルにはすでにお鍋を始め幾つかの白湯の手料理が並べられていて、美味しそうな匂いは居間に入った瞬間から漂って来た。

「おー、美味そうな匂いだ」

……

一時間ほど食事と会話を堪能した後、今日の調査結果を「あくまでシステム上の調査結果」と前置きして隠さず話した。

白湯は膝の上で拳をしっかり握って薄っすらと涙も浮かべて静かに三次の話を聞いていた。

「……以上だ」

三次が言い終わるとしばし緊張感あるしじまの中に埋もれて行く。

「……」

「……そ、ありがと。じゃ、お母さんの事は、その中島香さんに話を聞かないと先へは進めないという事ね」

白湯が静に立ち上がってお茶を淹れ直し言った。

「そうだな、それと現物のカルテがシステムと一致しているのか確認しないと本人たちは認めないだろうね」

「わかった。そっちはカルテのキャビネットを探してみるわ」

「うん、だけど院長に見つかると首にされかねないぞ、院長も菜七先生も必死に隠してきたんだろうから。それと、お母さんが亡くなった前後のやり取りをもう少し調べる。何処かにミスの事が書かれてるかもしれないからな」

「わかった。中島さんに電話してみようかしら」

「いや、登録番号は今は使っていないみたいなんだ」

「掛けてみたの?」

「ああ、一応な、確認しようと思ってさ」

「じゃ、その住所も違うかもだね」

「そこなんだ、どうやってコンタクトをとるかだな……」

……

「そうね、小川さん、一緒にデズニーランドでも行かない?」

天井を睨んでいた白湯が思いも寄らぬお誘いの言葉を口にした。

「もちろん、オッケーだよ。前から一度行ってみたかったんだけど行く人いなくてさ……」

三次の頭には二人で楽しむイメージが広がり、恐らくにやけた顔をしてたのだろう。

「小川さん、そんな浮かれた顔しないで、目的は中島さんに会う事よ。会えるまで遊びはお預けよ」

「あ、そういう事ね。じゃ、次の金曜日に飛んで日曜日の夜帰ってくる感じかな?」


 土曜日の午前中に東京の記載住所へ行くと大きなマンションが建ち並ぶ団地で、該当棟の部屋番号の郵便受に<中島>の名前があった。

「住所は正しかったみたいだ」

三次はホッとした。 ――これで、デズニーランドへ行けるぞ……

インターホンを鳴らす。

ドキドキしながら反応を待つ。

「……いないのか?」三次がそう思い始めたら、「はい、どちら様?」と、声がした。

「あ、札幌の<原杉総合病院>の小川と言います。ちょっとお話を、……」

三次が答える。

「……なんのお話でしょう?」声は明らかに訪問者を怪しんでいる。

「あのー、私、白湯久美の娘で白湯小百合と言います。母のことでお話を……」

白湯が三次に代わってインターホンに向って言った。

少しの間があって、……ガチャと開錠する音が聞こえドアが開く。


 そのマンションからほど近いカフェで話を聞くことになった。

「母はどうして亡くなったんでしょうか?」白湯が直球を投げた。

「もう、二、三年も前の事でしょう。よく覚えていないわ」と、中島はみえみえにとぼける。

「実は、僕の先輩の放射線技師の早瀬明さんが殺されましてね。……調べて行くうちに、院長の娘さんで外科医の菜七先生、知ってますよね」

三次がそう言って中島に目をやると、中島は目を逸らして「えぇ、私は菜七先生の下で働いてたから」

「その菜七先生が僕の同僚の伊勢に金を脅し取られてるんですよ。それで、その脅しのネタを調べてたら、ここにいる白湯の亡くなったお母さんのカルテが改ざんされてたことに気付いたんです」

三次の言葉に一瞬中島の眉がぴくりと反応した。

「中島さん知ってました? 電子カルテには加除修正の記録が全部残るんですよ。現物は最終的なものしか無くても、そうなった経過がわかるんです。それによれば、……」三次が続けようとするのを中島が「だからと言って、……」と遮る。

「だからと言って、改ざんだと言い切れないでしょう? 間違って入力したことに気付いて直したかもしれないじゃない」

語気を強めて中島が言う。

「はい、そうかもしれません。が、本当に隠そうとして改ざんしたのかもしれません」

反応をみようと三次は中島を凝視するが、中島は三次を見ようとしない。

「私は知らないわよ。あんた方の勝手な思い込みでしょ」中島がそっぽを向いたまま言った。

「ところで、中島さん、結婚はどうしたんですか?」白湯が話の角度を変えた。

ちょっと間があく。

「……止めたのよ。悪い」

中島は態度も言葉も刺々しい。特に、白湯に対しては同じ女だからだろうか顕著にその気持が現れている気がした。

「なんて言う方と結婚の約束をしたんですか?」白湯が突っ込む。

「そんなのあんたらに関係ないしょ、警察でもないのにひとのプライバシーに入り込まないでよ。話それだけなら忙しいから帰るわ」

中島が立ち上がる。

「私、許せないんです。母を殺した医師と看護師がのうのうと生きて、命を救ってるような顔をして……」

白湯が今まで三次には見せたことの無い形相で中島を睨みつけながら言った。

「な、なによ、そんな怖い顔したって知らないものは知らないのよ」

「父も十五年前に院長のミスで殺されたのよ。二年が過ぎた頃関わった看護師が母と私の前に現れてカルテのコピーを持って来てそう言って土下座したわ。弁護士に相談したら、現物のカルテじゃないと裁判には持ち込めないと言われて諦めたけど、両親を院長親娘に殺された私の気持ち中島さんわかりますか? 私、あなたを殺したい」

三次の目に白湯から青白い炎が吹き出してその身体を包み込んでいるように写った。

――え、なんだ? 憎しみのオーラか? ……

それを中島も感じたのか目を見開いて怯えた目で席に座り直した。

オーラが大きく燃え上ってその中に中島を睨みつける血走った野獣の目が浮かぶ。

「え、なんだ?」三次は見間違いか幻影か? ブルブルと頭を強く振ってもう一度見直すとオーラは消えていた。

青ざめる中島が、「あ、あの時にいたのは私だけじゃない、さくら、そう、愛島さくらだって同じ病室にいたんだからそっちに聞きなさいよ。今でもその病院にいるんじゃないの?」

「え、さくらが? 一緒に?」白湯の表情が怒りから困惑に変わる。

「口から出まかせじゃないんだろうな」三次が強く言う。

「嘘じゃないわよ。ま、知らないって否定するだろうけど、間違いなくいたのよ」

「じゃ、中島さん、電話番号教えて、嘘だったら覚悟してよ。私絶対許さないから」

「わ、わかったって言ってんじゃん。しつこいわねぇ。電話は……」



「さくら、二年前、私のお母さんが亡くなった時、その場にいたの?」

日曜日の明るいうちに東京から戻った三次と白湯は、良く行くファミレスに愛島さくらを呼び出して中島香の話を伝えた後、医療システムから取得した<薬事指示書>や<カルテ>を見せながら二年前の母親の死について訊いた。

「え、……」

言いずらそうにするさくらだったが、「えぇ、菜七先生と私と中島さんと一緒だった」と、認めた。

「どうして、その時本当のことを教えてくれなかったの?」

「ごめんなさい。正直言って、私は見て無かった。……言訳にしか聞こえないかもしれないけど、菜七先生がお母さんにあれこれ聞取りしていたので私はそれをメモしてたの。その間に<薬事指示書>に従って中島さんが点滴を投与してたの。そして、ナースセンターに戻って間もなくお母さんのナースコールが鳴って、行ってみたら、お母さんが苦しんでて、……すぐに先生を呼んだわ。それが午後九時頃だったと思う」

「で、菜七先生はすぐ来たの?」

「えぇ、そして<薬事指示書>を見て驚いて、『なんでこんな薬を投与したのよ!』って怒鳴って……。

院長先生も呼んでICUへ連れて行って、そこから私は外されて中島さんと、あとは手術スタッフが揃って手当を始めたみたいだった」

「その時にはミスに気付いてたって事よね」白湯が訊いた。

「先生はわかってたと思う。けど、私はお母さんが亡くなった後、院長室に呼ばれてこの件について誰にも何も喋るなと口止めされた時にミスしたんだと気付いたの、でも、小百合に言えなかった、ごめん」

「いや、良いのよ。よく話してくれたわ。でも、証拠がない。改ざん前後のカルテがあればいいんだけど」

「そんなカルテ、廃棄されてるんじゃないか」三次は、白湯がいくら探しても見つからなかった理由がわかった気がして言った。

「いえ、カルテは書き直しても貼り合わせて残してるはずよ。そういうルールなの、それを医療システムの履歴とチェックする事になってるから必ずあるはず」さくらが断言した。

「でも、カルテのキャビネットには入って無かった」と、白湯は腕を組む。

「え、探したの? ……だったら、院長か菜七先生かが自分の引き出しとかに隠してるんじゃないかな?」

「そうよね、わかった。ありがとう。後は自分でやる」

「小百合、ごめんね。ずっと、気になって、言おう言おうと思いつつ、怖かったし、小百合の気持ち考えたら言わない方が良いような気もして、ごめん」さくらが目を潤ませ深く頭を下げる。

 

 その時、隣のボックスに事務長の腰巾着で三次の上司である管理課長が食事をしていたことを三人は知る由もなかった。

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