勇者の娘は好きな人を追いかけて無双する

#zen

序.少女は斬る



「クロイ、私に稽古つけて」


 まだ十歳になったばかりの少女が、身の丈より大きな剣を引き摺りながら、水車小屋にやってくる。


 小屋の中では、五つ年上の少年が水車の動力で、穀物を粉にしている最中だった。


「キリア、何をやってるんだ。それはお父さんの剣だろう? 勝手に持ち出すのはよくない」 


 少年——クロイがたしなめると、半分の背丈しかないキリアは、口をへの字に曲げた。


 女子供の少ないアサイ村で、キリアは姫のように扱われていた。おかげでワガママに育った彼女は怒られるのが嫌いだった。


 それでも相手が大好きな兄のような存在、ということもあり。怒られたことを忘れるのも早かった。


「いいの! お父さんには許可をとってあるわ。剣くらい使ってもいいって」


「……マジかよ」


 呆れたように顔を片手で覆うクロイに、キリアは笑ってみせる。


 この世界を救った男が娘に骨抜きであることは周知の事実で、キリアもそれを自慢に思っているようだった。


 そう、キリアの父は勇者だった。

 

 そしてキリアの父を尊敬しているクロイは、娘への溺愛ぶりを見て、つくづく羨ましいと思うが——そうとは悟られないよう、静かに言葉を放った。


「そんなに傷だらけになりたいのか?」 


「傷なんかつかないよ。私、強いもん」


「まだ剣も持てないやつが、何を言ってるんだ」


「だから、稽古つけて」


 幼い少女の支離滅裂な言葉にうんざりしながらも、クロイは麦穂の束を足元に置いた。


 ワガママが通るまで泣いて暴れることを考えると、まだ素直に稽古をつけた方が楽だということはわかっていた。


 なので、仕方なく水車小屋を出たクロイは、木の棒をもってキリアと対峙する。


 まだ十五のクロイだが、並みの大人よりも強い彼が剣を使うのは、さすがに躊躇ためらわれた。


 そしてクロイが川沿いに立って構えると、キリアが掛け声とともに走りだす。



「やぁあああ!」


 ————が、ずるずると剣を引きずりながら走っていた最中、エプロンドレスを着た少女は派手に転んだ。クロイが相手をするまでもなかった。


「はは、ちゃんと剣が持てるようになったら、稽古をつけてやるよ」


 クロイが木の棒で、地面に突っ伏した少女の頭をつついていた——その時だった。


 風が吹いた。


 まるで火のように熱い風が、クロイの頬を撫でた。


 その異様な空気に、クロイは恐怖で固まる。


 熱い風が吹く時は、決まって恐ろしい獣が出るからだ。


 そして予感は的中し、背後から重い足音が聞こえた。ズシッ、ズシッと荷袋を落とすような音が響く中、クロイはゆっくりと振り返る。


 目に入ったのは、真っ黒な獣だった。真っ赤な口腔がのぞく口は大きく裂けており、人間など丸呑みしてしまえるだろう。


 さすがのクロイも恐怖で足が竦んだ。涎を滴らせながら近づいてくるその獣から、目を逸らすこともできず。ただ大きく開く口を、震えながら見ていた。


 ————食われる、そう思った瞬間だった。


 一陣のつむじ風がクロイを横切り、麦穂が舞った。


 目の前で真っ二つに分かれた獣。


 突風でとっさに目を閉じたクロイが、再び目を開いた時——見たのは、紫炎を纏った大剣と、それを掲げた小さな少女の姿だった。






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