第11話 バルト三国併合
私は眼鏡を震える手で取って机に置くと秘書官に静かに告げた。
「カイテル、ヨードル、シューペア、クレープスを呼ぶんだ。要件は言わなくてもわかる」
「総統閣下の仰せの通りに」
つい先ほどに超特急便で送られた報告書は簡潔を極めている。とにかく早く送ることを重視して面倒な詳細は省かれた。報告書は簡潔にすべしと言われるが、ノートの1枚にすら満たない文章力はいただけず、普通は激怒するところを冷静に東方方面の責任者を呼び寄せる。
秘書官に呼びに行かせてから僅かの10分以内に全員が集結した。特にカイテルは音速なのか2分後には制服をピシッと決めて来る。あまりの速さに苦笑しながら「お前は忠臣で良い」と褒めてやった。カイテルは名前だけの総長に収まると太鼓持ちの達人と活躍する。私の言う事を一切否定せずに肯定ばかりするため、副官からも「おべっかしか能がない」と言われ、実質的な最高司令官のヨードルも「センスが無い」と一刀両断した。しかし、実務遂行能力に関しては目を見張るものがある。オーストラリアやチェコスロヴァキアへの平和的進駐に貢献した。私に忠実な家臣と置くには丁度良い人財である。
「言わなくてもわかるな」
「はい。ソビエトがバルトの三国を呑み込みました。リトアニア、ラトビア、エストニアは独立国から構成国へ陥落しています」
「元々は古典的なロシア帝国の領土でした。歴史から見れば当然のことであり…」
「ポーランドが危うい。奴らの海軍が貧弱でも北欧と本国に侵入してくる」
「デーニッツの海軍は?」
「日本海軍との合同演習を延長させる。好き勝手なことは許さん」
「総統閣下の怒りに触れた。今こそソビエトを打倒せんという」
カイテルの担ぎ上げにヨードルはムスッとなるがシューペアとクレープスは無表情を貫いた。シューペアは軍事に直接的な関わりこそない。ヒトラーから全面的な信頼を得た。軍需産業の発展と拡張に多大な貢献を続けている。彼は優れた頭脳を活かして外部からの意見を述べる役割を与えられ、軍の作戦に素人が口を出すなと言われがちだが、アルベルト・シューペアに限っては反論を次々と封じた。東方生存圏の確立に欠かせない。クレープスは順調にキャリアを積み重ねる最中でソビエト駐在員を務めた。現在も対ソの諜報部門で情報収集と分析を担当している。仮想敵国であるソ連をどう抑えるかに貴重な私見を述べた。
本題に入る。
ソビエト連邦はリトアニア、ラトビア、エストニアを一挙に併合した。バルト三国はソビエト連邦から一方的な併合を受けるが、嘗てはロシア帝国の領土で前大戦後の独立戦争を経て三カ国は独立を果たす。スターリンらは平和的な加盟であると宣伝するが武力を以て侵攻した。
「次はどこを狙ってくる」
「フィンランドです。バルト三国と同様に加盟を求めています」
「ゲルマンがフィンランドなど北欧を経由して攻めて来ることを危惧しています。彼らには気の毒なことをしました」
「ソビエト連邦を打倒するには致し方ありません。総統閣下の手向けとなります」
「私は同胞を見捨てる予定を一つも組んでいない。バルト三国の併合に関する対抗措置を講ずる。マンネルハイム線を強化するが、出方次第では全面進駐を開始し、武器と弾薬の供与も拡大せよ」
「この際ですから日本軍も抱き込んではいかがでしょう。彼らの冬季装備は侮れません。十分に参考とする余地がありました」
「許可する」
バルト三国がソビエト連邦となった以上は警戒を数段も引き上げざるを得ない。陸地で接することはないと雖も緩衝地域のポーランドが危篤に陥った。バルト海を介してゲルマンと接する。ゲルマンとソビエトの激突は秒読み段階に突入した。ゲルマンの安心要素と海路に関しては日本海軍との合同演習を延長させる。
ゲルマンはソビエトによるバルト三国併合の対抗措置の用意を進めた。我々は予めヨードルとシューペアらと幾つかの対抗策を組んでいる。ソ連が何をしてくるかに則り選択した。今回はフィンランドと集団的な自衛権の行使を採用する。次はフィンランドを狙ってくることは明白なのだ。マンネルハイム線など要塞線を強化して武器と弾薬の供与も惜しまない。フィンランド政府の了承を得た上で平和的な進駐も辞さなかった。
これに日本を抱き込むことはゲルマン側は当然かもしれない。日本側に北欧に大軍を派遣して共に守ることに何の意味があると疑義が持たれた。ヒトラーは北欧に豊かな資源が眠ると主張する。欧米諸国に独占されるぐらいならゲルマンと日本で確保して欧米資本を締め出してやるのだ。
「軍需品は中国を経由して多くを輸出してライセンス生産の権利も譲渡しました。小銃と短機関銃、機関銃、野砲の多くをです」
「勿体無いか?」
「いいえ、全くです。日本軍の装備は良く考えられています。古臭いと嘲笑すること。それは私でもできます」
「彼らの冬季戦を見てみたいものだ。先の戦争の傷が疼くわ」
「総統閣下の武勇伝は全世界に轟いています」
カイテルのおべっかはさておこう。
ゲルマン軍と日本軍の共同戦線は日に日に強固を増した。ゲルマン軍の優れた兵器は大陸を超えている。中国を経由して日本に届くと驚嘆の声が聞かれた。日本軍の創意と工夫が返礼と大海を超えている。ゲルマンに送られると感服を得られた。ゲルマン民族と大和民族の絆はアルプス山脈よりも高くマリアナ海溝よりも深い。
「我々の工作機械が本格稼働したのか日本軍はMP-40を大量配備しました」
「陸軍は逆に日本製の軽機関銃を導入しています。MG34は優秀ですが高価で生産数はなかなか増えません。機関銃の不足が呈されたので代替品に仕入れました。ZB-26を原型に有するので操作感は変わらず好評を博しています」
「あれか銃剣を付けている物だ」
「はい。最初は軽機関銃で突撃するのかと思いましたが、簡易的な反動制御装置の役割を果たし、なんとも珍妙ですが考え抜かれています」
「日本人は常識に収まらない発想を得意とします。それは確固たる教養や文化など地盤を有するが故です。ソビエトの社会主義者の野蛮人とは格別の差がありました」
「ようやく理解したか。我が闘争は何度もでも読み返すが良かろう」
「私の愛読書です。もう表紙が擦り切れる程に読み通しました」
日本軍はソ連軍との大規模な国境紛争から装備の刷新を加速させた。航空機や戦車など派手な兵器ばかりに注目されるが、地上戦の主役である歩兵の装備も充実化を図り、我々の装備を大放出してライセンス生産も認める。その代わりに改良や改善の策は共有してもらった。銃火器はゲルマンの専売特許と言いたい。日本製を侮ることはヒトラーの命で許されなかった。設計者を含めた関係者各位は渋々ながら従う。最近はMP38/40のライセンス生産のバーターにMG34の抜本的な見直しを頂いた。航空機用の機関銃(機関砲)も日本製を参考に改良を進めている。
「フィンランドには精鋭部隊を送る。私はヴィ―キング装甲師団を推挙したい」
「なるほど、現地の志願兵部隊を充当することは良い事です。現地も歓迎する」
「本国出身のSS師団よりも戦ってくれるかと。彼らの士気は段違いです」
「総統閣下の人選に間違いはございません」
「日本軍も冬季戦闘に対応した精鋭部隊を派遣してくれるとありがたい。友邦の人事に口は出せん」
「私からそれとなく伝えましょう。あくまでも、私の個人的な希望という」
「カイテルに頼もう。君の仕事だ」
冬戦争が始まった。
続く
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