第10話 莉桜の父に会う前の、ゆるやかな時間
昼ご飯を作り終えた私は、リビングのソファにもたれかかる。
天井をぼんやりと見上げながら、ふぅ、と小さく息を吐く。
「起きてくるまでどうしよう……」
壁の時計にちらりと目をやり、ぽつりと呟く。
針はもうすぐ12時を指そうとしていた。
莉桜は今、自室で寝ている。
12時頃に起きると言っていたから、あと10分もない。
「……お父さん、かぁ」
これからの予定を考えると、落ち着かない。
――今日は莉桜の父に会う。
私はソファの上で膝を抱え、丸くなるように身を縮めながら昨夜のことを思い返す。
珍しく早く帰ってきた莉桜を玄関で出迎えた。
ドアが開くと、莉桜は息を切らしながら膝に手をついている。
不思議に思いながら見つめていると――。
「すまん! バタバタして忘れてたけど、明日墓参りだ」
突然の言葉に、思わず首を傾げる。
「え? どなたのですか?」
「あたしの母」
「あっ……」
その一言に、言葉が詰まった。
お母さん、お亡くなりになっていたんだ……。
「そんな顔すんなよ」
気まずさが顔に出ていたのか、莉桜は困ったように軽く眉を寄せて笑う。
ぶっきらぼうだけど、どこか気遣うような声だった。
「で、でも……」
「聞かれたから答えただけだし」
あ……そうだ。
聞いたのは私だ。
答えてくれただけなのに、勝手に悲しんでも迷惑なだけだよね。
「……たしかに」
自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
「んでな、小田原の霊園で墓参りした後、箱根とか熱海辺りで温泉に入るのが恒例なんだけどさ」
唐突な言葉に、私はぽかんと目を瞬かせる。
「おんせん」
思わずオウム返しすると、莉桜がニッと笑う。
「あの辺の温泉は最高だし、ご飯も美味いからな」
どこかいたずらっ子っぽい雰囲気で語る莉桜に、不意にドキッとさせられる。
さっきまでの素っ気なさが嘘みたいに無邪気で――。
そのギャップに弱いらしいのか、毎回ドキドキする。
「はぁ」
上手い返答が思いつかず、曖昧に返してしまう。
「あー、ここで話すのもな……リビング行こ」
リュックを階段のリビングに向かったので、ついて行く。
ちょうど作り終えていた夜ご飯がテーブルに並んでおり、それを見た莉桜はスーツ姿のまま椅子に腰を下ろす。
「食べながら話そか。いい?」
「あ、はい」
慌てて席に着く。
莉桜は主菜より先にポトフのスープから飲み始めた。
ふぅ、と一息ついて話し始める。
「墓参り、ついてきてもらっていい? その後の予定はキャンセルしてもらうよう、パパに話しておくから」
キャンセルという言葉に、目を見開く。
首を横に振って、訴える。
「そこまでしなくても……私は留守番してますから」
そう返すと、莉桜は少し困ったように笑う。
「毎回泊まりだからさ、今年もそうだと思う」
「でも、親子水入らずの時間を邪魔するのは……」
申し訳なさそうに言うと、莉桜は肩をすくめた。
「気にすんなよ。パパはいつでも会えるし」
「……私のせいで、決まった予定を潰されるのが嫌なんです」
いつでも会えるとはいえ、こないだの私みたいに嫌でも毎日親の顔を合わせるわけじゃない。
その計画だって、きっと前から決まっていたはずなのに。
「ひなさんのこと、ちゃんと説明するよ。その方が笑って許してくれそうだし」
「……いいお父さんですね」
ぽつりと呟くと、莉桜が視線を逸らす。
「どうだろな。なんだかんだ、あたしに甘いし」
少し遠くを見るような横顔が、どことなく寂しそうだった。
もしかして、父のことあまり好きじゃないのかな。
父と喧嘩して、合意のもとで出て行ったと聞いた。
それなら、断る口実が出来てラッキーって思っているとか?
そんなことをぼんやり考えていると――。
「そんでさ、帰りにひなさんの家に寄ってかない?」
「へぇっ?」
突然の提案に、思わず変な声が出た。
莉桜は気にする様子もなく続ける。
「学校で必要なものだけでいいから、回収しよう」
目を見開く。
学校のこと、すっかり忘れていた。
ここでの生活に慣れるのが大変で、考える余裕がなかっただけだけど。
「……行かなきゃ、ダメですか?」
「ここにいても暇だろ。制服と教科書、買い直すのに時間かかるし」
「それは、まぁ……そうですけど」
自宅のつもりで聞いたけど、莉桜は学校の方で解釈したらしい。
動揺すると上手く話せないや……。
けれど、莉桜の言っていることも理解は出来る。
買い直せる余裕はあるらしいけど、学校で使うものはあと1年ちょっとで役目を終える。
自宅で母と会う可能性。
莉桜にお金を出して買い直してもらう。
どっちか選ぶなら、前者の方がまだ耐えれる。
「分かりました」
腹を括って、自宅に行く方を選んだ。
「小田原からだと……着くのは遅くても7時とかか」
莉桜は指を折りながら時間を計算する。
「そんなら、ご飯食べてからひなさんの家でいいかな」
「駅前にファミレスあるので、寄れますよ」
「車で行くから、駅まで行くのはちょっとな」
「車持ってるんですか?」
思わず声が上ずる。
「あぁ、近くの駐車場に停めてある」
「へぇ……」
莉桜が運転する姿が想像出来なくて、ちょっと驚く。
……いや、今の時代、身長が低すぎるからって免許が取れないわけじゃない。
とんでもない偏見だ、と心の中で恥じる。
「今日は早めに寝ないと。12時に起きて、支度したらすぐ出よ」
「何時に待ち合わせてるんですか?」
「時間は特に。合流するまで近くをぶらぶらしてるから、連絡すれば30分かからずに来てくれるし」
そんな感じでいいんだ……。
ロングスリーパーなのを気遣っての対応なのかな。
「じゃあ、莉桜さんが起きるの、待ちますね」
莉桜は頷くとご飯を食べ始めた。
莉桜の父、か。
どんな人なんだろう。
パパって呼ぶくらいだし、莉桜も結構甘えてたりするのかな。
……莉桜さんって顔立ちが整ってるし、お父さんもきっとイケオジなんだろうなぁ。
「すまないな。せっかくここにいるのに、最近バタバタしてあんま休めてないね」
ぼんやり考えていたら話しかけられて、思わず背筋を正す。
莉桜は申し訳なさそうに目を伏せる。
けれど、その声はどこか優しかった。
「いえ。余計なこと考えずに済むので……」
自宅と勝手が違う家事。
家電の使い方は少し慣れてきたけど、ごみの分別とか複雑なのはまだ戸惑うことが多い。
近くのスーパーも、よく行くスーパーと価格に差があるし、まだ土地勘がないから八百屋などのはしごも出来ない。
夜は疲れ切ってるのか、布団に入るとすぐ寝落ちる。
やりがいはあるけど、慣れない生活は思った以上に頭や体力を使う。
そのせいで、母や学校のことも頭から抜け落ちていた。
本当に余計なことを考える暇がない。
それが今の私には、ありがたいのは確かで。
「そっか。1人で背負わんようにな。いつでも話していいから」
莉桜はそう言って、ご飯を食べ続ける。
「……はい」
色々な気持ちが溢れそうになるのを抑えて、小さく返す。
あの家にいた頃より、今は安心して眠れるようになった。
それでも、莉桜にとって私は迷惑じゃないのかな、なんて考えてしまう時もある。
そんなことを聞いても、『迷惑だったらここに住まわせるとか言わないから』って言われるだろうけど。
私は何も聞かずに、ただその背中を見つめていた。
自分の脚を抱えながら、ぽつりと独りごちる。
「莉桜さんって、やっぱり優しすぎるなぁ」
すると、ガチャリとドアの開く音がして、驚いて振り向く。
そこには、寝起きの莉桜がいた。
「お、おはようございます」
声をかけると、莉桜は眠そうに目を細めたまま、小さく口を開く。
「おあお……」
寝起きだからか、舌っ足らずが加速している。
「コーヒー淹れますか?」
「……んぅ」
頷くと、ぼさぼさの髪をかき上げながら、のろのろと洗面所へ向かっていった。
寝起きの莉桜は相変わらずそっけない。
むしろ出会った翌日の方がよく喋った方で、これが通常運転らしい。
莉桜からしたら、ちゃんと発音しているつもりなのだろうか。
指摘したほうがいいのかなぁ。
そう考えながらキッチンに向かって、棚から缶を取り出してコーヒー豆を計量する。
メイドリリィから帰った後、莉桜にコーヒーメーカーの使い方を教わり、1人で淹れられるようになった。
このコーヒーメーカーはミル付きの全自動タイプと言われるものらしい。
豆を入れて、お好みの味のボタンを押せば自動で挽いて抽出してくれる。
初めて淹れてもらった時の味を再現したくて頑張っているものの、未だに再現出来ていない。
莉桜に聞いてみたら、『適当に入れてるから同じ味になったことない』って返されたけど。
どうやら莉桜も私と同じで、朝にコーヒーを飲むという“行動そのもの”に意味を持たせたいタイプらしい。
それ以上のこだわりはないみたい。
……でも、同じ味になるように工夫しないのは、さすがに適当すぎない?
私でさえ、出来れば同じ味の方がいいと思って試行錯誤しているのに。
だから私に合わせて豆を変えようって発想が出てくるんだろうか。
そんなことをぼんやり考えているうちに、コーヒーの抽出が始まる。
香ばしい香りがキッチンにふわりと漂った。
ツナマヨおにぎりと、それの余りで作ったツナマヨ丼をテーブルに並べる。
コーヒーの抽出が終わり、マグカップに注いだところで、ちょうど莉桜が洗面所から出てきた。
示し合わせたわけでもないのに、私たちは自然とテーブルへ向かう。
お互い椅子に座ると、2人で自然に手を合わせる。
「いただきます」
莉桜はツナマヨおにぎりを一口食べると、ぼそりと呟く。
「美味いね」
莉桜はなんでも美味しいって言ってくれる。
むしろそれ以外の感想がないから、本当に美味しいと思ってくれているのか分からない。
なんも言われないよりは嬉しいけど、それ以外の感想が欲しくなる。
「量は大丈夫ですか?」
ふと思いついて尋ねてみた。
莉桜は少し考えるように顔を上げ、ゆっくりと答える。
「んー……少ない方がいいかなぁ」
その言葉に、私は目を見開いた。
思わず莉桜の顔をじっと見つめる。
「どしたの」
莉桜は眉をひそめながら私を見つめ返す。
「美味しいしか言わないから、不満ないのかと」
「不満……ではない」
首を小さく傾げながらぽそりと呟く。
それ以上は何も言わず、黙々と食べていた。
しばらく見つめて、どう返したものかなと悩む。
「今度、作る機会あったら少なめにしておきますね」
「ん……」
莉桜は頷くと、再び黙々と食べ始める。
子供がムスッとしながらご飯を食べているみたい。
ふとした時に子供っぽく見えるのはやはり、見た目のせいなんだろうか。
これ以上話しかけるのもしんどそうかなと思い、私も黙ってツナマヨ丼をかき込む。
「……天丼食いてーな」
ツナマヨ丼を食べ切って水を飲み干したところで、莉桜がいきなり独りごちた。
「天丼?」
思わずオウム返しする。
「夕飯、天丼にしない?」
「はぁ」
いきなりの提案に、空返事しか返せなかった。
そういえば、夕飯は自宅に行く前に食べるって言ってたっけ。
「いいですよ」
「どこで食おうかな。小田原の方が美味そうだけど」
「私は詳しくないし、お任せします」
「んー……小田原だと食うの夕方かもだけど、お腹、入る?」
「いけると思います」
「はー……すごいね」
莉桜は信じられないものを見るような顔で、じっと私を見てきた。
何がそんなに凄いんだろう。
莉桜さんって、食が細かったっけ。
あれ、でも割と食べて……たような?
「久しぶりだし、奮発するか」
「最近、お金使いすぎてません?」
「へーきへーき。あんま贅沢しないし」
私のせいでお金をかなり使っているような気がするけど。
……莉桜のお金だし、これ以上は突っ込まないでおこう。
「じゃあ、楽しみにしてます」
その時は、天丼より凄いものを食わされるとは思ってもいなかったけれど。
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