2-9 第二王子派閥

 アデルは緊張していた。今日は、社交シーズン最後の大舞踏会だ。

 あのユリウスが、契約の妻であることを盾にして、あそこまで強く警告してきたのだ。今回は相当な危険が伴うに違いない。

 だが――そういうことを乗り越えなければ、彼の妻ではいられないのだ。アデルは、そこから逃げ出すのだけは嫌だった。


「アデル、今日は一段と威厳があって美しいよ」


 ドレスを着たアデルを見て、義母ブランカが深く頷いた。

 今日のドレスは、エメラルドグリーンだ。首元から胸元、そして手首までの部分は、薄緑のシアーな生地で囲まれている。全体が金糸の豪奢な刺繍で包まれており、エメラルドグリーンの本生地から透けている生地へと、シームレスに繋がっている形だ。スカートは細めのAラインで、生地感が良く、ドレープが美しい。王宮の絢爛な光を浴びれば、全体の刺繍がキラキラと光って、幻想的に見えることだろう。


「いつもありがとうございます、お義母様」

「なに、私がやりたくてやっていることだからね。それに、君が美しいのは君自身の魅力だよ?」


 そう言ってぱちんとウインクして見せる姿はとてもイケメンで、未だにこれがお義母さまだなんて信じられないほどだ。彼女はいつも通り、正装の騎士服をばっちり着こなしている。癖の強い金髪は途中まで刈り上げられていて、これがまた大層似合っているのだ。攻略対象の一人です、と言われても、違和感のないビジュアルである。

 

 ちなみに今日のアデルのピアスとネックレスは、ルビーで統一されている。大きな宝石を使った豪奢なものだ。今日に合わせて、ユリウスが贈ってくれた。彼の色を身に付けていると、守られているようで心強い。


「アデル」


 緊張した面持ちのユリウスが、玄関でアデルを迎えてくれた。彼の長いまつ毛が、うつくしい頬に影を落としている。


「ユリウス、私は大丈夫よ」


 アデルが精一杯笑って見せると、ユリウスの目元も少し和らいだ。


「アデル。今日も綺麗だ」

「ありがとう」


 この人の飾り気のない言葉は、いつもアデルを奮い立たせてくれる。

 だからアデルは、この人の妻でいたいのだ。



 ♦︎♢♦︎



 アデルたちは、馬車で舞踏会会場へ到着した。今日の舞踏会が行われる場所は、滅多に開かれることのない王宮の特大ホールである。

 一歩足を踏み入れてみると、巨大なシャンデリアが空中に鎮座し、金色の会場に煌びやかな光を落としていた。そこにはもう、溢れんばかりに色とりどりの人々がいて、談笑をしている。まるで夢の中のようだ。

 こういう大きな夜会には、アデルの実家からは父と母しか参加していなかった。だから自分で経験するのは、初めてのことだ。しかも今は公爵家の一員として、ゆっくりとした入場を行なっているのである。一年前の自分に今の状況を伝えても、きっと理解できないことであろう。


 最後に王家の方々が入場する。王、王妃と、二人の王子。彼らが全員揃っている姿は、この国ではとても珍しい。


 順番を待ち、私たちは最後に王家の方々へ挨拶に行った。

 隣にいるユリウスと共に、臣下の礼をとる。王から声を掛けられるのを待つ。


 「楽にせよ。よく来た、ローゼンシュタイン公爵と、その奥方。今宵は存分に楽しむと良い」

 「はっ」

 

 続いて、ユリウスが格式ばった挨拶の口上を述べた。王は鷹揚に、それに応えた。

 王はもともと無口な方なので、それ以上の言葉はなかった。アデルは緊張しながらも、不躾にならないようそっと王家の皆様を観察していた。

 王妃は、第一王子派閥とはほとんど口を聞かないことで有名である。今日も他所を向いて、あからさまに避けるような態度を取っていた。彼女が纏っているのは、ベルベット生地でできたワインレッドのドレスである。その胸元のネックレスには、見たこともないような大ぶりのダイヤが嵌め込まれていた。口元を覆い隠す扇には、美しい赤薔薇の紋様が刺繍されている。

 第一王子クロードはいつも通り、完璧な王子の佇まいだ。そうして自信たっぷりに微笑みながら、落ち着いたやわらかな声を出す。


「ユリウス。護衛も頼んでしまって悪いけど、今日はよろしく頼むよ。アーデルハイト夫人も、楽しんで」


 言外に、自分の護衛にはあのユリウスが付いているのだぞ、と言い含めているようだ。王妃に対する牽制の意味合いもあるのだろう。

 その一方で第二王子ニコラ殿下は、人見知りの気質があり、斜め下に目を逸らして沈黙していた。アデルは今まで、彼の声を直接聞いたことがない。ただ……攻略対象としては、何度も聞いたことがあったが。

 

 ニコラ・サン・シュトラウス――彼はメイン攻略対象である二人の王子のうちの一人だ。

 金髪なのは兄と同じだが、かなり痩せ型なので、兄よりも一回り小さく見える。前世での彼は、儚げ美形と言われていた。顔立ちは中性的で、やはりとても整っている。伸ばした前髪で片目を隠しているのは、赤と翠の美しいオッドアイを隠すため。いわゆる『メカクレ』キャラだ。性格は、気弱で人見知り、王子でいるには少し優しすぎるという設定だった。

 ゲームで彼のルートを進めると、ヒロインに心を開き、自分の弱さを認めて奮い立っていくという話になる。本当は、彼の中にも王たる資質があるのだ。


 ――でも、この世界は『ゲーム』じゃない。王になるのは、どちらか一方の王子だけ。

 物語に深みを持たせるための要素だった派閥争いも、現実になってしまうと恐ろしいだけだ。アデルは改めてそのことを痛感して、背筋がぞくりとした気がした。


 王家への挨拶は、形式的なもので終わった。

 ユリウスとアデルは、そのまますぐにダンスをこなした。この後必要な挨拶を終えれば、ユリウスは王族の護衛につく。そのために帯剣を許されているのだから、今日は無駄なくこなさなくてはいけない。

 

 しかし、公爵としての務めを終えたユリウスとアデルがちょうど別れようとしていた時――とても珍しい人物が、突然声をかけてきた。


「やあやあ、最強騎士殿ではありませんか。これはお久しゅうございます」

「……これは、孤高の魔法使い殿。久しいですね」


 やって来たのは、ファビアン・コルネリウス。第二王子派閥筆頭の公爵家嫡男で、孤高の魔法使いと呼ばれる人物だ。


 彼もまた、ゲームのメイン攻略対象の一人である。

 腰まで伸ばした真っ白な髪に、深い緑の知性的な瞳。そこに細身のフレームの眼鏡をかけている、非常にインテリな見た目のキャラクターだ。本物を近くで見るのは初めてだが、彼にはまるで絵物語に出てくるエルフのような神秘的さがあった。

 しかしその中身は、どちらかと言えばマッドサイエンティスト気質だったと記憶している。魔法が好きすぎて……簡単に言ってしまえば、魔法オタクなのだ。常に研究に打ち込み、危険な実験を繰り返しているという設定。基本的にはいつでも温和な敬語キャラだが、好きなことになると途端に早口で喋る。いわゆるオタクキャラ枠である。


 目の前に立つファビアンは、ニコニコと底知れない笑顔をユリウスに向けながら、直球の言葉をぶつけてきた。

 

「ははあ。こんな所まで帯剣とは。魔法だけで戦えぬ騎士様とは、大変でいらっしゃいますねぇ」

「魔法士様こそ。その懐に、今も杖を潜ませているのではと……騎士共は皆、怯えておりますよ」

「ははは、さすが。脳が筋肉でできているだけのことはある」

「ご冗談を。机上の空論が大好物の方々には敵いませんので」


 二人が棘を隠しもしない悪口の応酬を始めたので、アデルは仰天した。貴族特有の婉曲表現すらぶん投げている。相当仲が悪いらしい。

 ゲームでは二人が直接喋ることはなかったので、アデルはこの関係性を知らなかった。


「ああ、ああ〜、怖いなあ。剣を見せびらかすような、物騒な人物からは離れるとしましょう」

「いえ、目に見えぬ武器の方が怖い。こちらとしても是非離れさせていただきます」


 ファビアンは終始にこやかな笑みを崩さないまま、すっと去って行った。対するユリウスは、いつにも増して仏頂面である。やっぱり、顔が整っている人の怒った顔って怖い。

 アデルはユリウスの耳に顔を近づけ、ヒソヒソと話しかけた。


「ね、ねえ……ファビアン様とは、いつもあんな感じなの?」

「いつもだ。何故か向こうから話しかけて来ては、直接的な言葉で攻撃してくる。これだから魔法士とは話したくないんだ」

「ええと、なんか、こう、とにかく……ソリが、合わない感じだったわね?」

「そうだ。しかもあいつ、アデルのことを、まるで見えないかのように扱って……!」

「そこに怒ってるの!?私のことはどうでも良いわよ!」


 アデルはぎょっとした。あの酷い嫌味の応酬に巻き込まれなくて、ホッとしていた所だったのに。


「どうでも良くない。アデルの存在をわざと無視したんだ。許せない」

「いや、あれは……単に、目に入ってなかったんじゃないかしら……?」


 前世でもファビアンは、興味のない人物の顔を全く覚えられないことで有名だったっけ。

 彼が重視するのは、とにかく魔法のすごさだけだ。ユリウスを敵視してちょっかいをかけてくるのも、ユリウスの魔法の強大さを認めているからこそなんだと思う。


 しばらく仏頂面を維持していたユリウスだが、ふっと憂いを帯びた表情になり、アデルに告げた。


「アデル……俺はそろそろ、警備の配置につく。大丈夫か?」

「ええ。話していた通りに」


 アデルは頷いた。先日教えられた座標の位置なら、きちんと頭に入っている。

 

「頼んだよ。父上、母上、俺は行ってきます」

「こちらは任せなさい」


 アデルの後ろにいる父と母に向けて、ユリウスは力強く頷いた。それから彼はアデルを、しばらく思案げに見つめた後、頬にお別れのキスをした。

 

 これから、危険な時間がやってくるかもしれない。

 これが最後の別れの挨拶かもしれないのだ。

 

 ユリウスの冷えた唇が軽く触れて、それからゆっくり離れていくのを――――アデルはまるで、スローモーションみたいに感じていた。

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