閑話7 夜のキラキラは花火のごとく

 七月も後半になると、日が落ちても気温はなかなか下がらない。俺は緊張と暑さが混じりあう汗をハンカチで拭った。ポケットに戻そうとして、体が揺れる。俺は枝にしがみついた。


 俺は今、グラウンドの近くにある木の上にいる。


 前世で都会っ子だった俺は、幼少期に木登りをした経験がなかった。反動でデフォートに生まれ変わってからは、幼なじみのカイルと存分に楽しんだ。フランク御用達の木は登りやすく、俺は誰にも気づかれることなく枝の上に座ることができた。


 もそもそと状態を起こし、腰に巻いた命綱の結び目を確かめながら周囲を見渡す。


「いた」


 アルテミスくんである。


 夜に見る攻略対象者は、誘蛾灯のように俺の目を引き寄せる。


 光り輝いているため、遠くからでもすぐに見つけることができた。彼は俺のジョギングコースを逆走する形で走っている。


 雪村さん曰く、アルテミスくんは王の嫡子で第一王子の弟にあたる。公表はされていない。第一王子は養体魔力の持ち主ながら体が弱く、彼は第一王子の替え玉としての役割をもくろまれているのだとか。ツッコミどころ満載の設定だが、製作者相手にそんなことを言えるわけもない。


 木登りの目的はアルテミスくんとのキャラクターイベントを起こすこと。これが終われば、無事に攻略対象者たちのイベントを一回ずつ達成したことになる。


 アルテミスくんはデフォートルートで攻略難易度が高い相手だ。自然発生を待つ余裕がなくなり、こうして俺からアクションを起こすことになった。


 なぜ木に登る必要があるのかはまったくもって不明だ。とにかく雪村さんがそう言うのだから従うまで、である。今夜でイベントが起きなければ、明日もまた木登りの予定だ。


 アルテミスくんが近づいてきた。


「どごわっ」


 突然、座っていた枝が折れた。命綱も同じ枝にくくりつけていため、俺は地面に落下する。ゲームの支配下では枝も従うしかないようだ。


「痛ってぇ~」


「大丈夫かい?」


 アルテミスくんは俺に駆け寄ると、さっと手を差し出した。

 変な悲鳴も、なぜ木から落ちてきたことも気にすることなく、ただ状態だけを心配する。さすが王子様。できる子である。


 残念なことに手を伸ばした様子がスチルだったらしく、アルテミスくんは止まってしまった。若いから中腰の姿勢を維持できるだろう。俺はその手を取らずに立ち上がった。


「お気遣いだけ受け取っておく……」


 花火みたいなキラキラを出すアルテミスくんの手は、まめだらけだった。


 命綱と折れた木を隠していると、アルテミスくんが動き出した。


「どうかしたかい?」


 俺は「おかえり」と言いそうになるのをこらえた。


「……その手。いっぱい練習しているんだな」


 魔力の性質上、騎士科の生徒は小さな傷の治りが早い。彼の手は回復力が追いつかないほど練習している証だ。


 アルテミスくんはこぶしを胸に当てて答えた。


「強く……ならなければいけないんだ」


 設定を知る俺は理由を知っているが、暴く必要はない。


「そっか。俺も一緒に走っていい?」


「君は朝練組だろう? 大丈夫かい?」


「平気、平気。軽くにしとくからさ」


 なんたって肉体年齢は十五歳だからな。朝には回復しているだろう。


 俺はアルテミスくんと並んで走り出した。


「いつも夜に走るのか?」


「ああ。静かだし、人が少ないから」


 アルテミスくんは素性を知られないよう、人づきあいを避けている節がある。


「あー、朝はブレク先生ファンが多いからなぁ」


 ブレク先生は朝練を自分の時間と決め、いつも難易度の高そうな技ばかりを練習している。ブレク先生の姿を見るために朝練をする生徒もいるぐらいだ。


 アルテミスくんは、何かを思い出したように笑い出した。


「ヒノタマト訓練の時は別だったな」


「ははっ。あれは朝練組も休んでたよ」


 おかげで俺はグラウンドの呪いを受ける羽目になった。エリス先生とブレク先生がグラウンドを整備する場面に出くわし、発動した魔法に巻き込まれた。寝起きのエリス先生が防御の幕を忘れたのだ。


「魔法科の生徒なのに、君は走ることに熱心だね。尊敬するよ」


 アルテミスくんから光の塵が零れ落ちる。好感度の上昇だ。


「……趣味みたいなものだから」


 最初は攻略対象者たちへの挨拶が目的だったが、いつの間にか日課になっていた。


 俺は夜の学園内を見渡した。


「夜に走ると、景色が違うように感じるな」


 光の魔石による街灯はまばらで、木立の奥にある闇は深い。昼間に騎士科タクシーが走行する道は、夜だと広く感じてしまう。そして何よりも静かだった。


「景色か……。考えもしなかったな」


 騎士科のアルテミスくんの体力についていけるわけもなく、俺は途中で離脱した。アルテミスくんを朝練に誘ったが「考えてみるよ」と遠回しに断られてしまった。時期尚早だったようだ。


「騎士科だからか……?」




 アルテミスくんの好感度上昇ポイントは脳筋な理由だった。

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