第7話 静子視点:臆病者

 先輩の家には、土曜日の昼に行った。休日の部活が終わってからすぐ、先輩の家に「お邪魔します」と伺った。私は先輩の指示に従って、家の駐輪場らしき場所に自転車を止め、玄関の中に入り、そして、先輩の部屋に向かった。「お邪魔します」

 

 先輩は、その返事に「微笑んだ」と思った。背中越しではあったけれど、先輩の笑い声が聞こえたからだ。先輩は掃除の行き届いた廊下を進み、その奥にある角を曲がって、ある部屋の前に止まった。「ここだよ」

 

 そう指差す先には、「桃原ももはら千恵ちえ」と書かれた板が掛けられていた。先輩は部屋の扉を開けて、その中に私を導いた。「入って」


 私は、それに従った。本当は気乗りしなかったが、今更帰られない。「ニコッ」と笑う先輩に「ごめんなさい」と謝るのは、「どんな悪行にも勝る」と思った。私は部屋の中を進み、先輩が差し出す座布団の上に座って、そこから部屋の中を見渡した。


 部屋の中には、色んな写真が掛かっていた。桜の花びらが風に舞う写真、日没のマジックアワーに輝く海、どこかの山頂から見下ろしている風景。それらが写真入れの中に入れられ、部屋の壁にきちんと掛けられていた。

 

 私は、その光景に息を飲んだ。使っているカメラが良いのかも知れないが、写真のセンスがとても良い。被写体の背後または前方に見えるボケ感覚、構図と被写体の位置、それらが伝える写真のテーマ性、そのどれもが本当に綺麗だったからである。


 先輩が私に見せた「最近撮った」と言う花の写真も、逆光寄りの描写が綺麗で、その作品に「すごい」と唸ってしまった。私は写真の花から視線を逸らし、部屋の写真をまた見渡した上で、先輩の顔にもう一度視線を戻した。「とても素敵です」

 

 先輩は、その返事に笑った。自分では「ぜんぜん」と笑っているけれど、部屋の奥に置かれている防湿庫(先輩曰く、カメラの湿気を抑える道具らしい)には、彼女なりのこだわりが感じられた。先輩はテーブルの上にカメラを置き、私に「お茶を入れてくるから、ちょっと待っていて」と言って、部屋の中から出て行った。「戻るまで、眺めていて良いよ」


 私は、その言葉に甘えた。帰るタイミングを完全に失った上、私自身もカメラに興味があったので、先輩が部屋の中に戻ってくる間、彼女のカメラを眺めたり、その家具類や机などを眺めたりしていた。


 私は自分の前に先輩が戻ると、先輩が煎れた紅茶を啜って、先輩に「美味しいです」と微笑んだ。「優しい味。身体の中に『スッ』と溶ける」


 先輩も、その感想に微笑んだ。先輩は自分のカップにも紅茶を煎れて、私の前にゆっくりと座った。「休みの日は大体、こうしている。たまに出かけたり、描いたりする時もあるけど」

 

 私は、その話にうなずいた。先輩の事はまだ詳しく知らないが、その立ち振る舞いを見ていると、「今の話も何ら不思議ではない」と思った。激しい運動よりも、大人しい世界を選ぶ。それこそ、部屋の壁に掛かった写真のように。


 彼氏(が居るならば)と行くデートもきっと、「町の美術館に行ったり、水族館に行ったりするんだろうな」と思った。私はそんな想像を微笑ましく思って、先輩の紅茶をゆっくりと飲み干した。


「とても美味しかったです」


「ありがとう。また遊びに来た時」


 煎れてあげる。その気持ちは嬉しいが、私としては「これで最後にしよう」と思った。みーちゃん意外の人と関わる、そのみーちゃんにすら苦手意識を抱きはじめていた私には、他人の家にお邪魔する事自体、(言葉は悪いが)御免被りたかった。


 い。私は自分の本心を隠す意図で、目の前の先輩に頭を下げ、そして、机の上に視線を移した。「先輩は、デジタル派なんですね?」


 先輩も、その言葉に意識を移した。先輩は自分のカップにも紅茶を煎れて、私の前にゆっくりと座った。「昔は、アナログも描いていたけど。置く場所がなくなちゃてね。今は、パソコンの中に仕舞っている」

 

 私は、その返事に言い淀んだ。「それならどうして、写真は飾っているのか?」と、そんな疑問をふと感じてしまったのである。私は先輩の笑顔、その雰囲気を壊さないようにして、彼女に今の疑問をぶつけた。「場所を取るのは、写真も同じなのに?」


 どうして? そう言い掛けた瞬間に黙った。私が座布団の上から立ち上がろうとした瞬間、先輩が机の引き出しを開けて、その中から写真立てを出したからである。私は彼女の手招きに従って、その隣に進み出た。写真立ての中に何が入っているのか、その中身を確かめるように。


「女の子?」


 そう呟いた先には、一人の少女が写っている。真夏の……たぶん、八月のひまわり畑を写した写真。その中で麦わら帽子を被った少女が、麦わら帽子の縁を摘まんで、写真の撮影者に微笑んでいた。


 私は、その光景に黙った。それが伝える意図に、少女の瞳が潤んでいる事に。心の根っこが何故か、揺さ振られた。私は遠くから聞こえるバイクの走行音に驚きながらも、気持ちの方は写真に、写真が伝える心証に心を揺らしつづけた。「この子は?」

 

 幼馴染み。それが、先輩の答えだった。先輩は机の上に写真立てを置いて、それを見下ろすように「ずっと昔に居た」と呟いた。「この子は、私の想い人」

 

 私は、先輩の顔を見た。それだけ強力な一言だった。「写真から伝わる無言の想いが、今の言葉に集まっている」と思った。私は自分の気持ちを抑えるようにして、先輩の横顔に「付き合っているんですか?」と訊いた。「今でも、彼女と?」

 

 先輩は、その質問に微笑んだ。肯定のように見える、否定の態度。午後の静寂に溶けるような沈黙。それらが無言の返事になって、私の精神を押し潰した。先輩は引き出しの中に写真を戻して、自分の正面に向きなおった。


「私は、天国に行けなかったから。この写真も、最初で最後の一枚。写真好きの彼女が、私にせがんだ最初の一枚。私は、ファインダーの向こうに彼女を写している。病気で死んじゃった、彼女の魂を」


 そこまで言うとまた、「ニコッ」と笑った。先輩は自分の座布団に戻って、その上にゆっくりと座った。


「写真は、時間を切り取る。そこに写っていた世界、それぞれの気持ちも。写真は、永遠の恋を作る。貴女の恋は?」


「え?」


「写真? それとも、ライブ?」


 ライブ。そう言えたら、どんなに良かっただろう。自分の本音を吐き出せたら? 今の、この想いも、「永遠の呪縛から逃れられる」と思った。


 私は自分の胸を押さえ、それが伝える鼓動にも耐えて、目の前の女性に「私の恋は、動画です」と答えた。「ずっと見ているだけで、何も変わらない。私は……ただ、引き延ばしの動画を流しているだけです」


 先輩はまた、私の声に微笑んだ。私の気持ちをそっと、抱きしめるように。


「辛いね?」


「……はい」


「死んだ人なら諦められるけど。貴女の想い人は」


「生きています。生きているから辛い、苦しい、悲しい。私は、自分の気持ちを吐き出せない」


「臆病者。そう言えば、簡単。自分の無力を慰められる。『自分にはただ、勇気が無いだけだ』と。貴女は、貴女の弱さに逃げている」


「かも、知れない。いいえ、そうです。私は、自分の気持ちから逃げているだけで! 本当は」


「知りたい?」


「はい」


 みーちゃんのすべてを。吐息の中に感じたい。でも……。


「怖いです。『恋が終わっちゃうんじゃないか?』って。彼女は、私と違う世界に生きている」


 先輩は、その続きを遮った。まるで、私の気持ちをなだめるように。私の身体を抱きしめて、その耳元に「大丈夫」と囁いた。先輩は優しげな顔で、私の目を見つめた。「貴女の好きな人は?」


 私は、その質問に答えた。嗚咽の中に涙を流して、その質問に「バスケ部の春山美佳里」と答えた。私は自分の耳に熱を感じる中で、彼女に自分の想いをぶつけつづけた。「彼女が好きで、好きで、たまらない」

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