地味パーティーのエルレアさん

甘栗八(アマクリエイト)

第1章 生きて帰る力

第1章 プロローグ

 黒い靄が立ちこめる中、突如として目の前の沼からザバリと姿を現した馬鹿デカいワニのような魔物。


 牛をまるごと一呑みにしてしまえそうなほどに大きいその顎に、声を上げる間すらもなく一瞬にして捕らえられてしまった前衛戦士の姿はもう、まったく見えない。仲間の名前を叫びながら魔道士が咄嗟に放った冷気の刃は、ゴツゴツとした鱗に阻まれ、硬質な音を立ててむなしく消え去った。続けて今度は、鎧ごと獲物をグシャリグシャリと噛み砕く音が二、三度響く。

 そして、獲物を呑み込んだ喉がゴクリと鳴った。


 あまりにあっけない仲間の最期に息を呑む冒険者たち。魔物との戦闘にも慣れてきたし実力もそれなりについてきたと思っていた矢先に……。




 『ナバテの森』奥地で危険種の魔物に出くわした彼等は、追われながら霧にまかれるうち、瘴気渦巻く死地『ガルナッソ』へと踏み入れてしまっていたのだ。気がついた時には既に黒く淀んだ毒沼の只中。その濁りきった水面に潜んでいた脅威は、森の猛獣がまったく可愛く見えるほどに恐ろしい存在であった。


「こ、こ、こいつは、『伍両鰐グァンダパ』なのか?!!」


「う……このデカさ……かないっこない……逃げるぞ!!」


 『伍両鰐グァンダパ』、生物でも屍霊アンデッドでもお構いなしに貪り尽くす、爬虫類型の捕食者である。馬の腹をまるでフワフワのパンかのように食い千切ってしまう強靭なその顎は、名うての冒険者達からも油断ならない相手だとは言われている。しかし目の前のそれは、話に聞こえる恐ろしさをはるかに上回る明らかに規格外の怪物であった。


 失った仲間を悼んでいる余裕など当然ない。即座に身体を翻し懸命に駆け出した残る二人、しかしぬかるむ足場に速度は上がりきらない。思わず泣き言を漏らす狩人。


「くっ、クソッ、あんなに大きいなんて聞いてねえぞ! 『伍両鰐グァンダパ』はせいぜい戸板一枚くらいのサイズじゃねえのかよ!」


「うわあっ」


 水面下の倒木につまづいた魔道士に、背後から迫っていた魔物が即座に喰らいついた。

 骨まで砕かれる鈍い音を振り向かずに必死で走った最後のひとりも、ドロドロの黒い毒沼を渡り切る手前であえなく追いつかれて肉塊となった。



 かくして、ここガルナッソ湿原にてひと組の冒険者たちが人知れず命を落とした。相手こそ異様であったとはいえ、運の悪い冒険者が道程どうてい路傍ろぼうの露と消えること自体はなんら珍しいことではない。しかしやはりその場の空気は、このつねからの危険地帯ガルナッソにおいてもなお異常なものであった。


 首をもたげ、ぐるりと周りを見渡した黒き魔物。その体はボコリバキリと不気味な音を立てながら、なんと先ほどよりも更に一回り大きくなりつつある。

 威容に恐れをなしたか、あたりに他の生物の姿は影も形もない。さらなるにえを求める貪食どんしょくの暴君は、しばらく鼻をひくつかせていたが、やがてナバテの森側から漂ってくる獲物のかすかな気配に感づいたのか、その方角に頭を向けた。


 静まり返った沼地に、水を跳ね上げて巨体の歩む音だけが響き渡ってゆくのだった。



◇◇◇



 迷宮都市ザバンの冒険者ギルドにて、掲示された依頼を前に男女の冒険者が話し合っている。


「今期の登録審査会、めぼしい新人に会えるといいなあ。お題は三択か。ネズミ狩り、鉱物採取、薬草採取、だってさ」


「その中だと薬草採取地の『ナバテの森』が、出くわす魔物としては一番弱いわよね。年明けから数が増えてるとは聞くけど」


「まあ、どれも五十歩百歩さ。受け持った志望者に合わせて選んでやろうぜ」




 今まさにその森を目指している脅威の存在を、彼等はまだ知らない。

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