ガールズ・メランコリー

リジャントブイルの門を出ると、すぐに長くて広いウォルナッツ大橋おおはしにさしかかった。


大橋を渡ると街のメインストリートであるルーネス通りに着く。


ミナレートは港町なだけあって、通りにはありとあらゆるものが揃っている。


特にマジックアイテムの取り扱いに関しては王都に勝るほどだ。


ファイセルはホムンクルス用のびんを求め、通りを歩き始めた。


「う~ん……何の店に売ってるんだろ?魔法薬の店とか行ってみようかな」


休暇に入った直後とあってか、通りはいつにもまして学生であふれていた。


歩いていくうちに通りの喧騒けんそうの中に入る。


心地いい空気にファイセルは眉を上げ、目を開きを口角こうかくをあげた。


「ちょっと、そこのお兄さん! ダジリヒキガエルの太モモ焼きとか食べてきなよ!!」


「ミナレート名物、珍味、爆裂海藻ばくれつかいそうヨウカンだよ~。お味は食べてみてからのお楽しみ~!!」


「や〜や〜。最近、王都で流行のオシャレなウィザーズローブ、どうですか~。エンチャント済みだよ〜〜」


威勢のいい呼び込みの声がかかる。


そんな中、懐かしい物が目に留まってファイセルは足を止めた。


明るい紫色をした独特な色の生地は地元の特産品である"アルマ染め"である。


染料のライラマという花はアルマ村近郊でしか採れない。


そのため、交易品としてはそれなりに価値があったりする。


「や~、それにしてもやっぱ都会は活気が違うね。ここらまで来ると高値で売れるんだよ。早く売らないと劣化しちまうが」


ライラマという花は大気中に少しずつ魔力を放出するという特性がある。


鮮度が高いと明るい紫だが、刈り取って時間が経つと黒く変色してしまう。


これを染料につかった布も同じように劣化していくのだ。


黒くなると商品価値も性能も落ちてしまう。


何気なくローブの値札を見ると「5万シエール」と書いてあった。


シエールとはライネンテ国の通貨単位である。


大昔は北部海岸でとれた貝殻シェルが通貨変わりになっていた。


それがなまって”シエール”と変化したものである。


それにしても想像以上に高い。


この布の服を着慣れていた身からすると有り得ない値段だ。


故郷の街ならば1万シエールで買ってもおつりがくる。


ファイセルはローブをあとに通りを歩いた。


やがて大きな看板がかかっているのが見えてきた。


「バルベナス薬貨品店やっかひんてん……か。初めて来たなぁ」


二階建てのかなり大きな薬屋だ。


店内は学院生であふれかえっていた。


あまりにも広すぎて、どこを見て歩いたのかわからなくなってしまった。


気づくと少年は二階の隅にビン漬けコーナーに迷い込んでしまった。


「う~ん、ナマケネズミの眼球に……オーグ熊の舌、スピンさけのウロコ……?アオゴケ猿の胃袋……なんか妙なところに迷い込んでしまったなぁ……いくらビン漬けだからって、ビンそのものは売ってないよね」


次の瞬間、ファイセルはひじで腰のあたりをつつかれて驚いた。


「うひゃあっ!!」


誰かが声をかけてくる。


「おい、お前、何やってんだこんなところで」


振り向いて下を見ると、そこにはチームメイトのリーリンカがいた。


自分が170cmそこそこと並の身長にも関わらず、彼女はひどく小さく見えた。


彼女は瓶底眼鏡びんぞこめがねをクイッと持ち上げた。


美しいあおい髪を見下ろす形となる。


いいニオイが香ってきて、ファイセルはほんの少しだけドキドキした。


透き通るような白い肌も目立つ。


だが、彼女から向けられる視線は辛辣しんらつなものだった。


眼鏡のせいで素の表情はわからないが、細い眉毛を釣り上げ、リップのないくちびるを"への字"にしている。


とても不機嫌そうだ。


「お前を見かけたのでついて来てみれば……こんな材料使わんだろ……。カリキュラムに薬品調合があるのか?ないだろ」


そして悪趣味なコーナーに居るファイセルに顔をしかめた。


「うわ~、助かったよ。この店初めてでさ。迷っちゃってさ」


腕を組んで少女は皮肉を言った。


「まぁこの店は広いからな。初めて来て迷うの無理はない。しかし、迷子とはまるで子供だな」


彼女は眼鏡をクイッとあげて笑った。


眼鏡が分厚すぎて目元の表情はうかがい知れなかったが。


子供っぽい見た目をした相手に子供っぽいといわれるのはいささか抵抗感があった。


だが、思わぬ助け舟にファイセルは安堵あんどした。


「で、何を買いに来たんだ?」


リーリンカは首を傾げた。髪が美しく揺れる。


「ホムンクルス用のビンが欲しいんだけど、どこで売ってるかな?」


少女はまたもやあきれていた。


「なんだ? お前さっきから専攻外の事ばっかりで。どっかの講義にモグりでもしてるのか? まぁいい、実験容器は一階だ。ほら、階段を下りるぞ」


リーリンカは先頭を切って歩きだした。


彼女は魔法薬学まほうやくがく専攻なので、この薬貨店やっかてんにはしょっちゅう訪れるらしい。


店の構造はほぼ把握しているそうだ。


そんな彼女でも何に使うかわからないモノが、多く並んでいるという。


混雑する店内をうように歩きながら、実験容器コーナーの前についた。


そこには大小様々な容器が陳列ちんれつしてあった。


大きい物では人体が浸かりそうなものも売っている。


「えーと、小型ホムンクルス用のビンは―――」


一番安いビンの値札を見てファイセルは目を疑った。


「は、8万9千9百シエール!? うわ高っ!」


思わず素すっ頓狂とんきょうな声を出してしまった。


店中の視線が集まる。


「馬鹿! 声がでかいって。妥当な値段だろ。それに、この店はこれより高い商品なんてごまんとあるんだぞ」


またもや彼女にあきれられてしまった。


「あ、ごめん……」


我関われかんせずとばかりに、学生たちの視線はすぐにばらけた。


「僕の学科ではこんなに高い教材は買わないんだよ。材料にお金がかかるクリエイション系専攻は大変だなぁ」


リーリンカの鋭い指摘が刺さる。


「そのための教材費支給だろうが。逆にお前らが課題に使わないで遊んでるだけじゃないか。で、結局買うのか?買わないのか?」


ファイセルは学生証の裏を軽く指でなぞって認証し、ビンを買った。


「今月の支給額残りはだいたい5万シエールか。残りは現金支払いだね。トホホ‥‥。まさか貯金から崩す羽目になるとは思わなかったよ……」


これも教材費の内だと割り切り、現金も支払った。


リーリンカと店を出た。軒下でビンを観察する。


ビンは片手で本体を掴んで持てる縦長の水筒型すいとうがただった。


太めで入れられる液体の量はかなり多い。


これなら水質チェックに不足はないだろう。


中身を確認できるように透明度の高い造りをしていた。


フタは本体と同じ材質で、回して本体にはめる。


口の近くにはベルトなどにひっかけるための取っ手がついていた。


(やれやれ、店で迷って、大金払って散々だなぁ。ビンの値段は師匠せんせいに請求してやろうかな)


しかし、師匠せんせいのことだ。もしかしたら一銭いっせんも持ってないかもしれない。


そんな危惧きぐを抱きながら、ファイセルはビンを腰から下げた。


「そういえばリーリンカは帰省きせいとかしないの?休みに入ったのに薬貨店やっかてんにいるし」


尋ねられた少女はうつむきがちに答えた。


「私にも一応課題があるからな。今月の前半で課題を片付けようと思ってな。帰省はそのあとだな」


休みの前半に宿題を片付けるという発想が優等生のそれである。


「そ、そういえばな、今度の帰省の時、友人が結婚するんだ。私の故郷では15歳前後でお嫁に行くことは珍しくなくてな」


少年は素直に花嫁を祝福した。


「へぇ~。それはおめでたいね」


だが、リーリンカは苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「いや、そうでもなくてな。いきなり許嫁いいなづけの30数歳上の富豪と結婚させられるらしい。ほ、本人は内心ひどく嫌がっているんだ。お、お前はどう思う?」


彼女はファイセルの顔色をうかがった。


少年は目線を泳がせつつ、ほほをかるくふくらませた。


「う~ん……富豪ってのは悪くないけど、本人が嫌がってるなら無理に結婚しないほうがいいんじゃない?」


色恋沙汰いろこいざたに無縁と思える彼女から、この手の話題が出るとは思っていなかった。


多少、面食めんくらったが、最近の物憂ものうげな様子はこれが原因なのだろう。


「やはりお前もそう思うだろう。こちらでは一夫多妻いっぷたさいが当たり前でな。富豪の男は金に物を言わせてよめを囲っているようなんだ。話によればその友人は7番目の花嫁になるそうだ。果たしてそこに”愛”はあるのだろうかな……」 


リーリンカははかなげに視線を下に落とした。


さきほどとは別人のようにまゆをハの字にした。


心なしか顔は青ざめ、くちびるをわずかにとがらせているように見えた。


――まずい。ずいぶん踏み込んだ話題になってきた。


自分も色恋沙汰いろこいざたには明るくないので、そういうのはいまいちわかりかねる。


「一夫多妻かぁ。よそ様の風習に文句言う気はないけど、そういう嫁買よめかいいみたいな結婚はやっぱ好ましくないね。婚約破棄こんやくはき出来ないの?」


その提案を彼女は思い切り突っぱねた。


「出来れば苦労はしていないッ!!」


リーリンカは急に声を荒げた。


「もう、決まってしまった事なんだよ。富豪と結婚すれば一族の繁栄はんえいは約束される。いくら家族や本人が拒否したところでくつがえったりしないんだ……決して……」


そう言ってリーリンカは肩を落とした。


大切な友達が本望で無い結婚を迫られていることに対する焦燥感しょうそうかん


それがひしひしと伝わってくる。


いつまでもこうしているのも気まずいので、少年は帰宅をうながした。


「そろそろ帰ろうか……」


リーリンカの表情は元に戻っていた。


「……そうだな。ああ、さっきの事だが、他の連中に言うんじゃないぞ。こんなくだらない話を真面目に聞いてくれるお人よしはお前くらいだ。だからこれはお前と私の”秘密”だからな」


彼女はまたもや皮肉ぶりながらそう言った。


そしてこちらの予定を聞き返してきた。


師匠やリーネの事を言うと色々とめんどくさいので詳細をはぶいて適当に答えた。


「まだハッキリ決めてないけど、とりあえず帰省はするつもり」


眼鏡の少女はポツリとつぶやいた。


「そうか……お前は南部、私は東部か」


そう言った後、彼女は押し黙ってしまった。


「ほら、元気出して。きっと友達も、君がいつまでも悲しんでる姿は見たくないって」


自分なりに気の利いた言葉を言ったつもりだった。


しかし、うわそらの少女の耳には全く入っていない様子だった。


「……私はまだ用事があるから。じゃあな」


そう言いながらっていった。


綺麗な青い長髪を揺らしながら。


ファイセルはもやもやとし始めた。


都会では自由恋愛が当たり前なだけに感覚がマヒしていた節がある。


地方ごとの風習やしきたりによっては必ずしもそうでない場合もある。


貧しい村では娘を売るという事も珍しくはないわけであるし。


国内でも貧しい東部では奴隷の取引は平然と行われている。


そういった娘たちにも自由はない。誰しもが目を背けている現実だ。


店を出てからファイセルは自分に何か出来る事はないかと考え続けた。


しかし、知らない土地の知らない少女に起こる出来事を解決できるわけがない。


彼は思わず黒髪をワシャワシャした。


無力感にさいなまれつつ、少年は部屋で眠った。

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