生命と花色

「……嫌い」

 あれから森を抜け、王都までの道を下っていたら、背後で不意にテルネラがそう零した。しばらく聞き慣れていなかったので、その言葉はウルリヒの胸にぐさりと刺さった。

 それでも僅かに肩を揺らして振り返らずに応える。

「おーおー、どんどん嫌えよ」

「ああするつもりで、私を連れて来たの」

 テルネラが怒っているのが声で伝わってくる。心臓が震えて、震えは体にも伝搬した。テルネラが何に怒っているのか、過ごした三年間の積み重ねでなんとなく思い至っていた。テルネラは出会った時から変わらず、一本芯を通してウルリヒと向き合ってくる。その真っすぐさが時にひどく鋭利で、刺されるだけどこか清々しささえ覚えるのは多少ならずあてられてしまっているからだろうか。

「それだけじゃ、ない……王さまにも見せるんだ。実物を見た方が話が早いだろ。王さまは綺麗なものに目がないから、実際にどれだけ綺麗かを見せつければきっと食いついてくる」

「嫌い」

「はいはい、好きなだけ嫌えって」

「そういうことは、ちゃんと先に言っててほしい」

「言ったらついて来ないかもしれないだろ。大体、言ったよな、これはお願いじゃなくておれからの、村の長としての命令だって」

「横暴」

 テルネラは震える声で言った。

「そうやって、横暴ぶって楽しい?」

「あ? 何がだよ」

 ウルリヒは立ち止まって、ようやっと振り返った。

「弱虫」

 テルネラは、紫陽花色の瑞々しい目を揺らして、ウルリヒをキッと睨みつけた。

「……弱虫!」

「だから……何がだよ」

「そうじゃないでしょ。私から嫌だって言われて、それを無理やり連れてくるのが嫌だったんでしょ。さっきの人たちにだってそう。ねえ、生贄って何?」

 ウルリヒは言葉に詰まった。覚えた感情をなんと表現すればいいだろう。

 ああ、こんなにおれのことをわかってくれるひとなんて、他にいるだろうか? 刺されるたびに、胸がどうしようもなく震えるんだ――

 貝の末裔に捧げる生贄のことを、テルネラに話したことは無い。テルネラをこの村に降ろしてから、一度も船に乗せたことは無かった。他の女達に教えていないように、教えてやらないことが正義だと思った。それが、分け隔てないやり方だと。だから、声を絞り出す。

「……言いたくない」

「言いたくないわりに、私に聞こえてもいいような話をしてたよ。ねえ、私を連れてきたら、私の耳に生贄って言葉が入ることくらい予想済みだったんじゃない? ウルリヒは狡いから」

「そうだな」

 ……だからって、気づいてくれると思いたくなかったし、気づかなくてもいいと思っていた。気づかせたかったわけでもない。ウルリヒは震える喉から息をゆるゆると吐き出して、心を落ち着けようと努力した。

「ねえ、生贄って、」

「うるさいな。貝の一族に捧げる生贄だよ。こっちから生贄を数人捧げる代わり、あいつらは人間の陸に来ない契約になってる。貝の一族の長は今のところそれを守ってくれてんだ、それだけの話だよ。だからおれは王様が寄越した罪人を定期的にあっちの陸に送り届けてんだ。おまえとオログが乗ったあの船だって……その、帰りだった」

 一気にまくしたてて、テルネラの顔を窺うように視線を上げた。テルネラは、わなわなと唇を震わせ、真っ白な顔をしていた。

「なに、それ……」

「何、軽蔑でもする? 別にしていいよ。これ、全部おれが考え付いたことだよ。もうこれ以上貝の一族がおれらの大地に足を踏み入れるなんて我慢ならなかった。でもあいつらは良質な真珠のために人間の肉が必要だっつった。だったら、死刑に処される罪人をやつらに食わせたところで何も変わらないだろ? 死ぬべき人間が死ぬだけの話。それでおれらみんな無事ならそれでいい。そうだよ、おれはそういうやつだ。おまえが、おまえらが知らないだけで、どんな残酷なことだって思いつくぜ」

「ばか、みたい」

 テルネラは遮るように呟いた。

「ばかみたい! ばかみたいばかみたいばかみたい! どうしてそんなことしかできないの! ウルリヒ、私に言ったよね、人食いのおまえらが嫌いだって。同族を食うなんて気持ち悪いって! だから私にも言ったよね、人間になれって、人間を食べる化け物になるなって! その化け物に、同じ人間を自ら差し出して、食べさせて、何がしたいの!」

「じゃあ、どうすればいいってんだよ!」

 ウルリヒは叫んだ。テルネラは肩を跳ねさせ、けれどキッとウルリヒを睨みなおした。

「じゃあ……じゃあ、聞くけど、ウルリヒ」

 テルネラは震えた声で言った。

「私は今、あなたの同胞になれてるかな?」

「な、にが……今、その質問に何の関係が――」

「あは、私、もしかしてまだなれてないの? だよね、だったらさっきみたいに、【おまえら】なんて言わないよね。私に貝の末裔の技術なんて聞かないよね」

 ウルリヒは言葉に詰まった。

「じゃあ、私が、今あなたを食べてもいいのね」

「な……」

「言ったよね。私、情があるからあなたたちを食べたりしないって。でも、人間を食べたら良質な真珠ができるんでしょ? だったら私、今からでもあなたを食べれば真珠吐けるかもしれないよね? 同胞と思われてないなら食べたっていいよね、それで、真珠吐いて、オログのところに帰れるよね!」

 テルネラの双眸から、ぼろぼろと涙が零れる。

「ウルリヒ、ウルリヒは、私がコエナシモドキだから、だから人間になれるって思ったの? ねえ、私たち貝の末裔は、人じゃないの? どこまでも、人間を喰らうしか能がない生き物なの?」

「おまえは……やっぱり、違うだろ」

 ウルリヒは、俯いて、テルネラの涙が地面に染みるのを見つめた。

「髪とか、目の色とか、肌の色が違うだけで、真珠なんか吐かねえし、おれたちと何も変わらないじゃねえか。でも、あいつらは、真珠を吐いて、真珠のために人間を――」

「いまだにあなたの同胞じゃない私も、同じ化け物ってことよね! ねえ、私、人間の肉が食べられないわけじゃないんだよ。猪や鳥の肉と何が違うっていうの。食べていないだけで、食べられないわけじゃないんだよ」

 テルネラが叫んだ。ウルリヒは絶句した。

「でも、人間だって一緒じゃない。貝を食べるじゃない。私の祖先を平気で食べるじゃない。何が違うの。人形ひとがたじゃないから? 違わないよ。襲ってくる恐い化け物だから食べられないの? そうじゃないでしょう。もしも貝の一族を滅ぼす術が見つかれば、あなたは簡単に一族を滅ぼそうとするでしょう。私と出会わなければ、ためらいなんてなかったはずだよ。金属を作ろうとするのは何のため? 王様に渡すためだけじゃないよね、私たちと同じものが作りたいからだよね、私たちよりも、優位に立てるようになりたいんだよね。そのために私を利用したんだよね」

「なに、を」

 ウルリヒの声が、震えた。そこまで言い当てられてしまうとは、思っていなかった。

 そうだ、図星だった。かつてオログが言った言葉に、あの日ウルリヒはカチンときていたのだ。

 ――『コエナシが、金属を知らないって本当なんだなって思って』

 ああばかにされているのだ、と思った。実際のところオログに悪気はなかっただろうが、貝の末裔はきっと人間を金属を作ることもできない能無しだと思っていたのは事実だろう。関心がないということは見くびられていることと同義だ。だからあいつらは平気で人間を餌にするのだ。自分達だって、人間の大地の木が欲しいと思っているくせに。

 舐められたくなかった。本当は生贄だって作りたくなかった。貝の末裔と対等になりたかった。対等になれば――食べられなくて済む。誰も犠牲になんてなる必要がない。オログが女神の贄だとしても、それだって関係ない。くれてやる命なんて、一つもない。オログが逝ってしまったことが、ウルリヒだって悲しかった。ずっと、心に棘として刺さり続けていたのだ、今でも。

「貝の末裔は、人間がおいしいから、食べてるのかな」

 テルネラは、俯いたまま、ぽつりと零した。ウルリヒはぎょっとした。

「何言ってんだよ、急に」

「おいしいお肉なんて他にもあるよ。鳥だっている。食べようと思えば貝だってある。なのに、貝の末裔が人間の肉を食べたがるのは、どうしてなの」

 テルネラは顔を上げて、ウルリヒの顔をまっすぐに見つめた。

「きっと、私たちは……貝の末裔は、人間が恐いんだよ」

「……は?」

「私……わかったんだよ。私は人間が羨ましい。私たちは人間が羨ましくて、それを認めたくなかったんだ。おいしいものがなにもない陸で、楽しいこともなくて、ただ真珠を生み出すだけの、生きてるのか生きてないのかわからないような人形ひとがたの生き物だった。人形ひとがたである必要なんてどこにあったのかな? 真珠を産むのが生きる意味なら、貝のままでよかったんだ。子どもだって海に産み捨てる。あんなに可愛い赤ちゃんを、自分の手で育てることができないんだよ。やり方がわからないから、しらないから……ねえ、ウルリヒ。私ね、赤ちゃんが欲しいよ。村の人たちがそうしてたように、赤ちゃんを産んで、この手で抱きたい」

「な、に言ってんのおまえ」

 ウルリヒは動揺した。テルネラは潤んだ目で自分を見上げている。

「あんな優しい顔をしたい。赤ちゃんが笑ったり、はいはいしたり、立ったり……そういうひとつひとつを見て、喜びたい。私たちは、そういうのを何も知らないの。だから、本当は自分たちが何になりたいかもわからないの。真珠は私にとって、私たちにとってよすがだった。真珠を吐けないなら生きてる意味なんてなかった。こんなこと、オログに言ってもわかってもらえなかった。そんなことない、僕がおまえを必要としてるから、って、そればっかりだった。でもね、真珠が吐けなかったらきっと、みんな生きていく意味をなくすんだ。オログは勘違いしてる。貝の末裔がコエナシモドキを食べるのは……コエナシモドキは真珠を吐けないなら、生きる希望がないから、可哀相だからだよ。だって、私ずっと、本当は死にたかった。コエナシモドキとして生き延びるくらいなら、何もわからないうちに殺されて、食べられて、誰かの真珠の糧になった方がましだったよ。私たちはみんなそういう種族なの。それが、オログにはどうしても伝わらなかった。旅人さんなんかに、出会ってしまったから」

 テルネラはやがてウルリヒにしがみつき、ぼろぼろと涙を零した。

「私たちはみんな、きっと人間に劣等感を持ってるんだ。私、旅人さんに聞いたもの。私たち貝の末裔は、人に裏切られたんだって。だから私たちは人間を恨んでる。食べたいから食べてるんじゃない、私たちは人間が恐いの! 私たちは、私たちを裏切った憎い人間と同じものになりたくなかったの。だから人間を殺して優位に立とうとするし、人間の持っていない真珠にしがみ付こうとするの。でもね本当は、ちゃんと人間のことを知ったら、そうしてきたことが怖くなると思う。今度はもう、人間を食べられなくなると思うんだよ。自分とお話ができる人を失うのは、恐い。オログだってきっと、そうだったんだ」

 テルネラはウルリヒから手を放して、首飾りの黒を握りしめ、ぎゅっと目蓋を閉じて、泣いた。

「オログが生かしてくれようとするたび、苦しかった。真珠を作れない私には、周りにいる貝の末裔全てが、違う生き物に見えた。生きているのは苦しかった。殻の木なんて美味しくもないし、具合悪いし、真珠も吐けないし、その劣等感なんてきっと誰もわからないよ。でも、私は旅人さんと出会って、ウルリヒと出会って、人間と一緒に暮らして、人間が好きだと思った。一緒に生きたいと思った。つがいをもって、子どもを育てて、一緒に笑いあって、一緒にご飯を食べる。あなたたちのあたりまえを、私は【生きてる】と思った。たとえ少しだけ蔑まれても、それでも、一緒に生きていけるのはすごく嬉しい」

 テルネラは嗚咽を漏らした。

「それを、みんな、知らないんだ。だから平気で人間を食べられるんだよ。少しでも関わろうとすれば、きっと食べるのは恐いよ。オログだって、旅人さんと少し話しただけなのに、人間を食べるのを怖がるようになってしまった。貝の末裔は人間を知らないだけなんだ。だから餌と見下していたいんだ。だったら、私たち、餌をやって、もらって、なんて、そんな関係を続けるのは、間違ってるよ。そんなの、やめなきゃいけないと思う」

「やめたら、また来るんだろ」

 ウルリヒは、震える声で応えた。

「おまえは知らないからそんなこと言えるんだよ。そんな偽善めいたこと言えるんだ。どれだけ恐ろしかったかわかるかよ。集団で押しかけて、青い炎を振りかざして、追いかけてくるんだ。げらげら笑って、爪を突き立てて、歯を突き立て、て」

「怯えるから足もと見られるんだよ」

 テルネラは涙を掌で拭った。

「貝の末裔が集団で押し寄せるのはなぜ? 恐いからよ。一人で行って、人間の恨みを買うのが恐いからだよ。自分たちがどんなことをしてきたか、知っているから。だってあなたたちは、人と違うことをすぐに【気持ち悪い】って言うじゃない。すぐに見下すじゃない。ウルリヒだって、オログのこと簡単に見捨てたじゃない。ウルリヒは私を同胞と見なすと言ったよね、でもオログのことは、ウルリヒの中で今でも化け物なんでしょう。あなたたちは私たちのことが恐いというけれど、私からすれば、あなたたちだって十分恐い。私が人間を食べないとわかってからも、いえ、害をなさないとわかっているからこそ、あなたたちは平気で私に気持ち悪いというもの。わかってないのね、私はあなたたちを食べられないんじゃないんだよ。食べようと思えば食べられる。でも食べないだけなの。大体、人間なんて食べなくても、真珠なんて作れるんだよ。良質な真珠なんて、何の役に立つっていうの。私たちにとって重要なのは最初に零した真珠だけ。あとはごみみたいなものなの。そんなの、ただの建前だよ。そう言って襲い掛かれば、あなたたち人間は、私たち貝の末裔を攻撃してこない。冷たい眼差しを向けてこないでしょ」

 テルネラは、ぐすっと鼻を鳴らした。

「私たちは本当は、人間の住む大地に憧れてる。でも、あの大陸を抜ければ生きていけないと思い込んでるんだよ。そんなことないよね。私がこうして、生きていられてるんだから。私は何も変わらないよ。真珠が吐けないだけ。他の貝の末裔と、何も変わらないの!」

 ウルリヒは気圧されていた。だから、喉から絞り出した声も、すっかり掠れていた。

「オログは……おまえは、殻の木を食べられないし、海水も飲めないって言ってた。あいつは、飲めたってことだろ……だったら、おまえはどう足掻いたって人間と一緒だ。海水を平気でがぶがぶ飲めるあいつらとは違う……」

「そんなの認めない……」

 テルネラは首を振った。

「私は人間じゃない。あなたが貝の末裔に人間を捧げ続ける限り、私はあなたの同胞にはなれない。貝の末裔にも戻れない。私は、何者にもなれない……」

 テルネラは自分の喉を両手で覆った。首を絞めるような仕草だった。

「だったら、生きてる意味なんて、もうわからない……」

 ウルリヒは、何も言えなかった。

 何か言いたいと思うのに、そんなことないって言いたいのに、言葉が見つからなかった。

 そんなことない、いてくれるだけでいいなんて――そんなこと言うなら、オログと同じじゃないか。それじゃテルネラは喜ばない。

 でも、おれは――

「おれ、おまえがいないと、さびしいよ」

 ウルリヒは、ぽつりと呟いた。もしもテルネラが死んでしまったら、苦しい。

 テルネラは訝しげに眉を潜めていた。呟いてから、ウルリヒは呆然として、自分の爪先を眺めた。

 さびしい? そうだ。おれはさびしいんだ。テルネラがいるから、さびしくない。笑っていられる。テルネラが貝の末裔である限り、そんな感情を向けてはいけないと思っていた。自分の感情を正当化したくて、テルネラに故郷を捨てろと言った。同じ人間になってほしかった。最初はただ、庇護欲だった。義務感だった。だけど今は傍にいてほしい。たまに喧嘩をしたっていいし、でも、笑っていてほしい。

 テルネラが貝の末裔であることがいやなのは、自分と違うものであることが恐いからだ。いつか失ってしまうような心地がするから――。

 ウルリヒはばっと顔をあげた。テルネラはびくりと肩を跳ねさせた。

 ウルリヒはテルネラを見つめて、口を僅かに開けて。

 結局、何も言えないままに、テルネラの手を引いて坂道を下った。


 おれ、テルネラのことが、貝の末裔なのに、いつのまにか。


 ウルリヒは、じわりと熱を帯びてきた目を拭って、唇を噛み締めた。


 おれ、喜んでる。テルネラが傍にいることを、喜んでるんだ。

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