第42話 砦に忍び寄る巨影


太陽が地に沈み、夜が空を支配し始めたころ、森は異様なほど静寂に包まれていた。


その静けさはアークノクティア国の防壁周辺にも及び、高さ8メートルある第2防壁の上には点々と最低限の松明が灯っているだけだった。


大地そのものが息を潜めるように、森全体が何かを警戒しているかのようだ。鳥のさえずりすら途絶え、風さえもその足音を忍ばせている。


耳に届くのは、かすかな松明の燃える音だけ。普段なら夜行性の獣たちの足音や風に揺れる木々のざわめきが耳をかすめるはずだが、今夜は違う――まるで何かが迫りくるのを、森が知っているかのように、静まり返っていた。


その静寂の中で、狼の獣人ルルの耳が、風に混じる微かな大地の震動を捉えた。彼女は斥候としての経験から、それが何か大きなものが近づいている証拠だと直感する。


「……何か、大きなものが近づいている……」


彼女はすぐさまリオトの元へと駆け寄り、緊急の報告を入れた。


「リオト様……!」


ルルは息を切らしながら駆け寄る。狼の耳が微かに震え、目の前の静寂が不自然に感じられる。


「巨大な何かが、この方角から向かっています。何か、大きなものが......間もなく到着します!」


リオトはすぐにその言葉に反応し、森の動物や魔物たちが逃げ出した理由が、この「何か」にあると悟る。彼ははベルノスたちに冷静に指示を飛ばす。


「みんな、警戒を怠るな。......来るぞ」


砦全体に緊張が走り、リオトと配下の兵士たちは防壁に身を潜めて、夜の闇の中、迫る敵の動向をじっと見守る。



**********



一方、森の奥深く――。


「ソレら」は重々しい足音を立てながらゆっくりと進んでいた。巨大な「ソレ」が先頭に立ち、その背後には他のけものや魔物たちが追従する形で進行している。


獲物が減り、生息地を追われ、追い詰められた彼らは、生存のためにすべてを犠牲にして進んでいた。


背後からは、かつての縄張りをおかした『奴ら』が迫り、さらなる飢えと恐怖が彼らを苛立いらだたせていた。


襲撃され、食料を奪われた彼らは、復讐と生存を求め、新たな餌場を探し求めていた。


「グゥゥゥ……」


先頭に立つ「ソレ」の鼻がかすかに動く。風に乗って何かの匂いが漂ってきたのだ。これまで嗅いだことのない異質な匂いだったが、その中には強烈な「肉」の匂いが混じっていた。腹を空かせた獣たちにとって、その匂いは抗えない誘惑だった。


―――肉だ……。


ソレの腹が鳴る。食料不足に苛立つモノたちが、同じくその匂いに反応して唸り声を上げた。


――飢えに苦しむ彼らは、ついに砦に辿り着く。


そこには、巨大な石と木で作られた異様な構造物――防壁が立ち塞がっていた。


しかし、その向こうからは、明らかに肉の匂いが漂っている。


それは彼らにとって見たことも嗅いだことがない人間ニクの匂いであったが、彼らはその正体に関わらず食料だと確信する。


「グォォォッ!」


他の動物や魔物の匂いも混じっていたが、目の前の壁が邪魔をしてそれを奪い取ることができない。


――この壁さえ壊せば、食料が手に入る――


ソレの巨大な体が緊張で震え、爪が地面を引っ掻いた。獣たちは次々とその動きに呼応し、攻撃の準備を整える。餌の匂いはすぐそこだ。


「グゥォォォオオ!」


ソレが咆哮を上げ、他の獣たちもそれに呼応して動き始める。彼らの眼前に立ちはだかる壁が、次の餌場への唯一の障害物だった。ソレらは壁に狙いを定め、全速力で突進を開始する。


リオトの砦に、巨大な襲撃者たちが迫っていた。



**********



――リオトの元にも緊張が走る。


「リオト様、前方から接近する気配が強まっています!」


ルルが再び報告を入れる。リオトは森の奥から迫り来る音を耳にし、すぐに指示を飛ばした。


そして前方の森に目を向けた。森の奥から聞こえてくる微かな音、地面を揺らす振動。それは徐々に大きく、そして確実に近づいてきていた。


「ベルノス、準備はできているか?」

「はい、防壁上には全兵が配置に就いております」


リオトは頷き、深く息を吸い込む。


敵が迫ってくるのを肌で感じながら、心を落ち着かせる。ここまで準備は整えた。あとは、どう動くかだ。


「深淵の監視者と影兵を前方に出して、敵の把握、動向、後続部隊を探らせろ。すぐに報告を入れるんだ」

「承知致しました」


彼の指示で、暗闇に溶け込むように監視者たちが動き出し、森の奥へと消えていった。


森の闇は深く、風は冷たい。時間が過ぎるごとに、リオトの砦を守る兵士たちの緊張感が増していった。


そして、見張りの兵士が叫ぶ。


「来たぞ!」


森の奥から巨大な影が姿を現した。月明かりに照らされ、その姿がはっきりと見える。リオトが防壁の上から見下ろすと、それは、巨大なーー繰り返すが、異常なほどに巨大なクマだった。


「……でかいな……」


リオトは呟いた。巨大なクマの群れが次々と現れ、その背後には、彼らに追従するように他の獣や魔物たちの姿も見えた。


一番目立つのは、やはり中央の先頭にいる一際巨大な一頭のクマ。その巨体は地面から肩までの体高が4メートルに及び、立ち上がれば6メートルを超えるだろう。


毛皮は暗褐色あんかっしょくから黒に近く、銀色や灰色の光沢こうたくがところどころに走り、月明かりに照らされた部分はまるで鎧のような輝きを放っている。首や背中にはとげのように逆立った毛皮が生え、圧倒的な威圧感を放っていた。


その周囲を護衛するかのように進んでいるのは、巨大なクマを一回り小さくしたようなでかいクマたちだ。


先頭のクマに次ぐ巨体を誇る3頭クマは、体高2メートルほど。岩のようなゴツゴツした毛皮と、肩に生えた硬質こうしつな毛が特徴で、その爪はまるで金属のように光っている。


次に目についたのは、体高1メートルほどの6匹のクマたちは、緑がかった毛並みを持ち、背中に生えた苔や植物が、まるで森そのものと一体化しているかのようだ。


さらに、その背後に控えていたのは、灰色と緑が混じった毛並みを持つ12匹の狼たち。群れで行動し、森の中で獲物を探し出すことに特化したしなやかな体をしており、鋭い目が月明かりに一瞬光る。


そして空中には、2匹の巨大な鳥が旋回せんかいしていた。4メートルに及ぶ巨体は空を裂き、その翼からはビリビリと雷のような音が鳴り響いている。黒い羽には稲妻の模様が走り、空中からの攻撃をいつでも繰り出す準備が整っているように見えた。


全部で約20体。一際巨大な一匹のクマを中心にしたこの群れは、まるで暴走しているかのように見えた。また、個体のどれもが傷を負っている。


――彼らは、何かに襲われてここまで逃げてきたのだろうか?


そして、今更ながらにいつもの唐突な電子音が、この戦場にそぐわない現実感を伴って、リオトの頭に響いた。


ピコンッ!


――――――――――


《緊急クエスト!

タイラントベア『大樹たいじゅくだく者 ウルス』と、その群れを撃退、または討伐せよ!》


――――――――――

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