手記16 やはりこの刑事だ
不審な物音がして姉のところに泊まったという話を聞くと、兄はこう言った。翌日のことだ。
「実は、自分が車でうちを出ようとしたとき、自転車の若い男が、家の中を覗きこんでいる様子だった。車を降りてひっとらえようとすると、慌てて自転車の向きを変えて逃げていった」
そして兄は、中川警察へ電話を掛け、滝本刑事にこの話を伝えた。私は、刑事と口を利くのも金輪際御免の気分だったのだが、兄が強いるので滝本さんと話をすることになった。
彼は、のんきな明るい声で、「大丈夫、大丈夫、何かの勘違い勘違い」と、不安になっている私をなだめようとする。
ところが私が、「勝手口のすぐの塀の外には、神社の建築中の資材が積み上げてある。ちょうど塀を乗り越えるのに都合が良い具合に。私が聞いた物音は、人間がその資材を踏み越える音だった」というと、彼は、何か思いあたったのか、電話の向こうではっと顔色を変える様子だ。
そして、まるで冷や汗を流さんばかりに、慌ててこう言った、「じゃあ、明日、そちらのほうに調べにうかがうから、待っててくれますね」
翌日現れたのは滝本刑事ではなく、あのX刑事と、初めて見る若い男性刑事だった。
X刑事は、前にあわてて飛び込んできて盗聴がばれてしまったのがさすがに恥ずかしかったらしく、照れ笑いを浮かべながらこう挨拶した。
「えへへ、滝本です」
このヒトなに考えてるんだ。私は辟易してしまった。
刑事たちは私が誘導する必要もなく、自分たちでさっさと勝手口の方へ駆けて行く。うちの勝手口がどこにあるのか既に調査済みだったのだ。うちの勝手口は高い塀と納屋にさえぎられて、外の道からうかがい知るのは難しかったのだが。
昨日の電話で私が、「勝手口のすぐの塀の外には、神社の建築中の資材が積み上げてある」云々と言ったとき、滝本さんははっと思い当たる様子をした。
あれとこれとを思い合わせると、捜査当局は私の家の電話に盗聴をかけるだけでなく、家の見取り図とか周辺の状況とかも入り念に調べてあげていたことがわかる。
例によって例のごとく、それでも全然ありがたいとは思えなかった。殺させてから捕まえる、このスタンスを当局が改めるとは思えなかった。
勝手口の前に立ち状況を見渡したX刑事はちょっとだけたじろいだ。
警備を抜かれた可能性もあるのだな、と私は思った。
X刑事があらわれたのをいい機会に、私は彼にいろいろ質問をしてみた。この人は、口から先に生まれた男というのか、どんな都合の悪い質問にも騙ったりすりかえたりしながら、立て板に水と返答する。
だがむしろその能弁が自ら墓穴を掘ることにもなるのだ。
「2月16日の夜、警官の到着が遅れた理由は何ですか?」と、私が尋ねると、彼は間髪をおかず答えた。「最初に来たのは伏屋派出所の警官で、二度目に来たのが下之一色派出所員だ」そして「遠くから来ているんだから、遅れるのは仕方がない」と、なぜ今ごろそんなことを聞く、といわんばかりに口を尖らせた。
やはりこの男だ、と私は思った。
この男こそ、その晩、捜査の指揮を取り、警官を故意に遅らせた張本人に違いない。そうでなかったら、なぜ彼が、あの夜の警官の遅れの理由を知っていて、即座に返答できたりするのか。彼こそが、そのような取り繕いを言いに行くように部下に指示を出したからこそ、すらすらと、あの夜警官を装った刑事が述べた言い訳と寸分違わぬせりふを繰り返すことができたのだ。
私は鎌を掛けて見た。「私、下之一色の派出所員と名乗ってきた人が戸田駅で私服姿で立っているのを見たんですよ。通勤時間帯に乞食ハットにセーターって出で立ちで」
刑事は「それは非番の日だからどこかに遊びに行くところだったんでしょ」しらばっくれていることがありありとわかる口振り。
嘘を重ねる刑事に向かって私は「それじゃあ、あの救急車のサイレン音はただの“救急車”?」吐き捨てるように言った。
刑事はちょっと目を丸くしたが、何も返事はしなかった。
X刑事は最後に、「あんた、怪しい物音を聞いたというのなら、5分も10分も家の中でぶるぶる震えてなんかいないで、すぐに110番すれば良かったじゃない」と蔑むように言うと、帰っていった。
女をもうひとり殺させてから別件逮捕に踏み込もうとする、いわば【殺させ捜査】をおこなう警察に頼れとは!自己矛盾もはなはだしい。私は開いた口がふさがらなかった。
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