7章 クローゼットを開けたら

7-1

 放課後、夕凪は双葉と友梨奈に「ちょっと用事あるから先帰ってて」と声をかけた。

「あっそ」

「ふーん」


 ふたりの返事はあっさりしたものだった。

 あたしのことはもう関心がないとばかりに、なんの用事か聞き出すこともなく、これみよがしにキリコを引き連れて帰ってしまった。


 まずい。状況はかなり悪化している。

 先に弁明するべきだったか?

 ひょっとして、もう遅い?


「音無さん、これでよかったんだよね」

 夕凪にまで心配され、あたしは胸を張るしかなかった。

「ぜんぜん。平気。それでいい」

 おたおたしているなんて、あたしらしくもない。

 真相を明らかにすればまた元通りになるはず。

 キリコが全部悪いんだから。


 とにかく、キリコを取り囲んだあの4人の先輩を見つけ出さないと。

 とはいっても、覚えているのは陸上部の先輩だけだった。

 その他3人は、顔を見れば、ああ、この人だったと思い出せるかもしれないが、名前もクラスもわからず、たどり着けそうにない。


 とりあえず陸上部だ。

「部活をしているところに乗り込んだら、しらを切り通せないはず。絶対白状させてみせる!って、それはあたしじゃなくて、夕凪の役割だった」

 意気込みを夕凪に向ける。


 夕凪には先輩にからまれたことからはじまって、だいたいのことは話してある。

 あとは音無花音の姿を見た先輩の反応次第だ。


「先輩相手だけど、音無花音になりきってね」

「えー。そんな自信ないよ」

 尻込みする夕凪の手首をつかんだ。

「行くよ」

 ぶるぶるっと頭を横に振って抵抗する夕凪。

 頭と一緒に髪の毛がぼわぼわっと揺れ、あたしはそれを見て大事なことを思い出した。


「ああ、どうしよう。今日こそは美容院に行かなきゃいけなかったんだ」

「美容院?」

「入れ替わりのゴタゴタで行きそびれて。二回もキャンセルできない」

「だったら行こうよ! わたし、ジッとしていられるから、任せて」

「子供じゃないんだからジッとすることぐらいできるでしょう」

「行こう行こう」


 逆に夕凪に引っ張られた。

 女子のトラブルに巻き込まれるより髪をいじられる方がましってことか。

 みょうにはしゃぎ出す夕凪に、まぁ今じゃなくてもいいかとあきらめた。

「しょうがない。終わったら学校に戻ってね。部活ならまだやってるだろうから」

 聞いているのかいないのか、夕凪はあたしの手を離れてスキップで校門へ向かった。



 夕凪をいつもの美容院に連れて行った。

「担当してくれるのはナミキさんね。スタイリングの話とか、わかんないことあると思うけど、適当に聞いておいて」

「大丈夫だって」


 あたしの話もそこそこに夕凪はそそくさと中へ入っていた。

 こういうところへ来たことがないのか、興味深そうにキョロキョロしている。

 うまくやれているのか心配というのもあるけど、そのまま帰られても困るので外をウロウロしながら見張っておく。


 待つのは長かった。

 なんどもスマホで時間を確認する。ずいぶん時間が経ってもなかなか夕凪は姿を現さない。

 いつもならもう終わっている時間なんだけどな。


 やきもきしていたら、出入り口付近で支払いをしている夕凪が見えた。

 ナミキさんと笑顔で会話を交わしている。どうやらうまく打ち解けられたようだ。

 ナミキさんに見送られ、手を振ってドアから出てくる夕凪がふとこちらを見た。


 え?

 なにか違う?

 いや、あたし、すごくかわいくない?

 ちょっと待って。こんな本音、声に出して言えないけど、ストレートパーマかけて毛先切っただけだよね?


 夕凪は駆け寄ってきて、ぴょんっとあたしの目の前に立ち止まった。

「どう?」

 すっごく楽しそうにあたしを見つめる。

「まさか……」

 あたしは音無花音の顔をよく見る。

「まさか、メイクしてるの?」

「ふふふ。そうだよ。やってみたかったんだ」


 してるかしてないかぐらいのナチュラルメイクだが、全然違う。目元が色っぽくて唇も発色良くてつやっぽい。

 ママの化粧品を借りて見よう見まねでやってみたことがあるが、こんなふうになったことがない。

 元々ママはメイクがヘタだし、あたしも不器用で動画を見ながらやってみても全然うまくいかないのだ。


「安心して。かさんだ代金はちゃんと自分で支払ったからね」

「いやいやいや。そうじゃなくて。なんで?」

「そっか。やっぱり理由だよね……」

 夕凪はちょっと寂しそうに目を伏せた。


「音無さんってメイクしたことある?」

「ま、まぁ……一度や二度は……」

「メイクするのに理由なんて考えたことある?」

「え? 理由? それは……かわいくなりたい、とか?」

「わたしと音無さんは自然と同じところに行き着いたんだと思うよ」


 夕凪の言っていることがよくわからなかった。

 男子もメイクをしたいって本心では思っているけど、普通はやらないから我慢してるってこと?

 ぽかんとしているあたしに、なんと説明したらいいのかためらっているようだったが、夕凪は思い切ったように口を開いた。


「クローゼットの中は見た?」

「夕凪の? 着替えるために引き出しの中は見ちゃったけど……」

「奥の方にメイク道具がしまってあるんだ」

「なんで?」

「だから、メイクがしたいって思ったから」

「そういう職に就きたいってこと? だからナミキさんにアドバイスもらったとか?」

「それもひとつにはあるけど、そうじゃないよ。うまく説明できないんだけど。でもまだ自分の顔にメイクするのは勇気なくて全然使ってないんだ」


 あたしは女の子だから、やっぱりよくわからなかった。

 メイクをするのに緊張はしたけど、ワクワクするような感じ。勇気を出してメイクをしようという気持ちではなかったから、あたしと夕凪が同じところに行き着いたというのがよくわからなかった。


 黙っているあたしを見て夕凪がどう感じたかわからない。でも夕凪は「わからなくていいの」と言った。

「わかってほしいとかじゃないんだ。ごめんね勝手なことして。でもすごく楽しかった」

 そうだった。

 夕凪がドアを開けて出てきたときはすごくうれしそうにしていた。

「ワクワクした?」

「うん」

「それはあたしも同じ」


 あたしたちは自然と笑みがこぼれて、そこだけは少しわかりあえたのかもしれなかった。

 だけどまだ夕凪には重大な仕事が残されている。


「せっかくだけど、これから学校に戻らなくちゃいけないのに、メイクはまずい」

 先生に見つからなくても、陸上部の先輩から事情を聞き出そうというのに、メイクなんかしていたらそれだけで反感買いそう。

 メイクは落としてもらわないと。


 回れ右して逃げ出そうとする夕凪の腕をガッチリとつかんだ。

「こら、逃げるな」

「明日にできない? ね、明日は絶対いうこと聞くから」

 夕凪は両手を目の前に合わせて拝み倒す。


 そんなこと言われても、早いところ問題を解決して双葉と友梨奈との関係を修復しなくちゃいけない。

 それがあたしにとっては第一だ。

 でも、その関係が気になるのも、あたしが元の体に戻ったときのことを考えてこそだ。


 あたしは元に戻りたい。

 そのためにはどうしたらいいのかわからないけど、それには夕凪の協力は絶対だ。

 夕凪をとっとと満足させたらいいのか。それとも、もう戻りたくないほど音無花音でいることを気に入ってしまうのか……


 だけど、こちらの要望を答えてほしければ、まずは相手からだ。

 あたしはいっそのこと夕凪を誘ってみることにした。

「わかった。じゃあ、これから夕凪のうちに一緒に行かない?」

「一緒に?」

「うん。夕凪が持ってるメイク道具でメイクしてよ」


 あたしはそう言って自分の鼻を指さした。

 つまり、まだやったことがないという夕凪自身の顔を。

 夕凪は顔をこわばらせてこちらを見ていた。毎日毎日見ていたこの顔を。


 あたしも自分の顔を見つめ返す。

 飽きるほど見て、イヤな部分も見つけて、それでもこの顔と一生添い遂げなきゃいけないと諦めにも似た感情になりながら受け入れて。


 夕凪は自分の顔のことをどう思ってる?

「夕凪がどんなふうにメイクしたいと思っていたのか見てみたい」


 夕凪は時間をかけて考えて、やがてはうなずいた。

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