第42話 お願いします

「……すまない……」泣きながら、ベロニカさんが言った。「……私が泣いていい立場じゃないのは、わかってるんだ……」

「そうね。泣きたいのはこっちだもの」それはそうだけれど……「だから……見なかったことにするわ」


 それだけ言い残して、母さんは歩き始めた。今度はアマリリスのところに行くのだろう。ベロニカさんから引き出せる情報はすべて引き出したからな。


 ローズさんは気まずそうな表情でベロニカさんに頭を下げてから、


「ベロニカさん……」

「……なんだ……?」

「……環境を変えようと願うことは、悪いことではありません」ローズさんも俺と同じことを思っていたようだ。「別の世界でも、今の世界でも……前の世界でも。あなたはあなたです。あなた自身を愛してくれる人が見つかることを……願っております」


 ローズさんはもう一度頭を下げてから、母さんを追った。ベロニカさんの食事については……まぁ後回しになるのだろう。


 そして俺だけがベロニカさんのところに取り残されて、


「……ライラック……」ベロニカさんが言った。「……もしも私が……ベロニカに体に入り込むんじゃなくて、私自身としてこの世界に来ていたら――」


 ベロニカさんはゆっくりと間を取ってから、続けた。


「……家族に、なれただろうか」

 

 ……目の前の彼女と、ベロニカさんが会話する姿を想像してみる。


 きっと家族になれただろう。無愛想な彼女と、適当で自由奔放なベロニカさん。仲良くなれたと思う。


 だが……


「……どうでしょうね……」たられば、の話に意味はない。「とりあえず……暴力的なのは勘弁ですよ」

「……了解した」ずいぶんと言葉の邪気が取れたものだ。「……情報が必要なら言ってくれ。知っていることなら、なんでも話す」

「……わかりました」

「ああ。それから……」ベロニカさんは自嘲気味に。「……拘束は解くなよ。また……暴れてしまいそうだから」


 たしかにもう一度ベロニカさんが暴れ始めたら、二度と捕まえることはできないだろう。

 

 そんなリスクは必要ない。ベロニカさんには悪いが、しばらくはここで過ごしてもらおう。


「じゃあ……俺、アマリリスのほうに行ってきます」

「ああ……行ってらっしゃい」


 その優しい声音は……俺の知るベロニカさんによく似ていた。



 ☆



 比較的協力的だったベロニカさんとは打って変わって、


「おい!」アマリリスは拘束された状態で暴れていた。もちろん厳重に拘束されているので、こちらに危険はないけれど。「早く外せよ! こんな薄暗いところに閉じ込めやがって!」


 大きな音を立てて、アマリリスは拘束を解こうと暴れ続ける。それは飢えた獣が柵に噛みついているような動作に見えた。


 目を見開いて、怒りの表情を向けて……罵詈雑言を並び立てる。


 俺の知ってるアマリリスとは、あまりにもかけ離れていた。あいつは意味不明な言動こそすれど、暴言は吐かなかった。


 母さんが言う。


「アマリリスさん。これから――」

「うるせぇよババァ! てめぇヒロインでもないモブキャラが出しゃばってんじゃねぇぞ! 俺はお前なんか――」


 アマリリスの言葉は途中で止まった。いや、止められた。


 アマリリスの口にはパンが突っ込まれていた。


 ローズさんが持っていたパンをアマリリスの口に押し込んだのだ。


 そしてそのまま、悲痛な声で告げる。


「……その姿で……あまり汚い言葉を使わないでください……」……ローズさんは下を向いたまま。「……お願いします……」


 ……


 家族が暴言を吐き続けてる姿なんて見たくない。それは俺も同じ気持ちだった。パンを口にいれるという行為で黙らせるあたりがローズさんらしい。


 ……


 しかし……見る限りローズさんも相当追い詰められているな。他のメイドさんや使用人の前では気丈に振る舞っているが、俺達の前だと取り乱すことがある。


 ……


 ……


 なんにせよ……家族が追い詰められている姿なんて見たくない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る