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結局その後、大騒ぎをしていた僕たちのところに、篤久の母が血相を変えてやってきた。
何度言っても繰り返し巻いた糸がすべての指からなくなり、「母さん」と弱々しい声で呼んだ息子のことを、彼女は強く抱きしめて泣いた。
ありがとう、と何度も礼を言われたが、僕はただ黙って会釈をすることしかできなかった。
「これから篤久、どうなるんだかな」
篤久の家を後にした僕たちは、並んで商店街を歩いていた。大輔の言葉に僕が反応しないせいで、独り言になってしまっていた。
正気に戻ったとはいえ、精神的にはいまだ不安定極まりないし、身体も心配だ。しばらくは、病院にかかることになるだろう。
心身ともに健康を取り戻したところで、高校に普通に通えるようになるとは思えない。
直接の原因になったわけじゃない僕ですら、針のむしろ状態なのだ。夏休み中に忘れてもらえるような事件ではない。一生言われ続けるのだから、僕はもう、今の学校から転校すべきだと思う。
肉のフジワラの前で大輔と分かれ、僕は糸屋にやってきた。いつもは緊張するのだが、今日はただただ、疲れていた。何も考えずに扉を開ける。
糸子は僕の顔を、ちらっと見る。心配したり、首尾を聞いてくれるわけではなかった。いつも通りの対応に、僕は逆に安心した。
カウンターに糸切りばさみを載せる。受け取った彼女は、はさみを撫でた。
「ありがとうございました」
口にしてから、礼を言うのもなんだか違うかな、と思った。諸悪の根源はこの店だし、糸子でもある。
もちろん、篤久のよこしまな気持ちや、それをいさめなかった僕も悪いのだけれど、やっぱり糸子に責任がないとは思えなかった。
「どうするの?」
はさみをカウンターの引き出しの中にしまいながら、彼女は抽象的な問いかけをした。おそらくこれからのことを聞いているのだろうな、とあたりをつけて、僕は少し考えた。
篤久のことは、一応の解決をみた。もともと僕がここで働くことになったのは、糸子に誘われて断れなかったこともあるが、篤久のことをどうにかできるのも、彼女だけだと思っていたからだ。
もう僕には働く理由はない。けれど。
「この糸がある以上、僕はここで働き続けるべきだと思います」
見知らぬ誰かの執着が、今後の人生にどういう影響を与えるものかわからない以上、糸を見ることができる彼女の傍から離れるのは、得策ではない。
それに。
糸子をまっすぐに見つめる。
彼女は糸を売り、五円玉をおつりとして返すだけ。その後、人間がどのような縁を紡ぎ生きていくのかを、ただ観察する。
救おうとか干渉しようだとか、そういう行動を起こさない傍観者なのだ。
もしも今後、篤久のように運命を狂わせた人間がいたら、僕は糸子と違い、どうにかしたいと思う。
ボロボロになった篤久に、僕が美希にしてしまったこと(しなかったこと、かもしれない)を話すのは、まだ先の話になるだろう。彼への償いは、そのときになる。
だから僕は、それまでの間、縁というものに振り回される人たちを見守り、どうにかすべく行動をしたい。最終的に絡め取られてしまう運命だったとしても、僕は僕自身の心を守るために、動かなければならない。
「そう」
僕の決心を聞き届けた糸子は、いつも通り素っ気なかった。たった一言頷く彼女を、僕はもう、気にしなかった。
扉が開く。お客さんが来たようだ。
「いらっしゃいませ」
ユニゾンする出迎えの挨拶。にっこりと微笑む糸子と、少しひきつった笑顔の僕。
さあ、今日の客は誰と縁を結ぶのか。それとも縁切りを望むのか……。
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